六章 容疑者と花嫁⑩

 血が頭から流れ出したような髪から、どす黒い眼が覗いている。爛れたような赤紫の肌がぬらりと光る。その怪物の圧倒的な存在感にシウスの剣先が震えている。


「っち、武者震いが止まらねーぜ」


「シウス殿。修羅場をいくつも潜り抜けた昔を思い出しますな」


「そのときの非じゃねーけどな。さすがに魔王クラスを相手にしたことはねーよ」


 化物の体にはいくつもの魔法円が取り巻いている。伝説ではその魔法円一つ一つに異なる魔法が保持され、戦いを挑んだ者をあらゆる属性において打ち払われ掃討されたと伝説を持つ。

 アスモデウスが石床を踏みしめる度に、両足に取り巻かれている魔法円が輝き、地響きを起こす。どうも土属性の魔法が内包されているらしい。


「――っ」


 その揺れにバランスを崩すジャン。


「くははは、さあどうする?」


 その腕に巻き付いた魔法円が歩く度に腕が振られ黒い炎が荒ぶり、氷霞が吹きすさぶ。攻撃を受けているわけではないのにすでに窮地に立たされている。

 シウスは舌打ちをする。


「どうするよ? ゴーレム使い――」


 唯一の頼みの綱を振り返ろうとした瞬間、魔王の腕が薙ぎ払われる。業っ。と空気が震えると地獄の業火がドーム状の天井を紙切れのように消し飛ばした。


「――っな」


 っだと。ここは囚人を収監するために作られたこの城でもっとも堅牢な牢屋である。周囲の壁の厚さは地下牢の非ではない。だからこそここを戦いの最終決戦地に選んだのだ。魔物が召喚され外にとき放たれないために自分たちが壁となり。


「壁を一瞬で吹き飛ばしやがった」


 相手を侮りすぎていた。


「ベアトリーチェっ。ここは一旦、退却だっ、俺らが生きていれば今回の件は表にでるっ」


「逃がすはずないだろう? お前らはここで死ぬんだよ!」


 稀代のゴーレム使いベアトリーチェがずいっと進みでる。


「最高の花嫁を目指し者。旦那様のおいたを正すのもまた花嫁の務め。ならばこれもまた花嫁道の一つ。参りますよゴーレムさん!」


 ベアトリーチェの隣をゴーレムが石床を踏みしめ、前へと歩を進めていく。


「御意」


「――待てっ、あんなもんまともに受けたらゴーレムが消し炭に――っ」


 シウスの声も虚しく、石床に亀裂を走らせゴーレムがアスモデウスに突進していく。


 巨体対超ど級の巨体。


「ゴーレムさーんエクスプロージョンセンセーショナルグラビティ――」


 ベアトリーチェの声に合わせゴーレムの拳が振り上げられる。


 アスモデウスの岩の塊のような拳が灼熱の炎を纏、向かってくるゴーレムに轟音を上げ発射された。まともに受ければ消し炭になりゴーレムは消滅する。


 熱風がシウスを襲う。


「や、やめろ、ゴーーレムゥゥゥ!」


 シウスの記憶に、ゴーレムの手料理が浮かぶ。冒険者になり食事は酒場での味付けの濃い料理か、保存食の干し肉、旅先で調達する謎のキノコ、山菜、モンスターの肉。そんなものばかりを食してきた。ゴーレムの家庭的な料理はひと時の安らぎを提供してくれた。


 そしてこれまで精神を共有してきたことでゴーレムの純粋な心を知ったシウスにはかけがえのない存在になっていた。

 そのゴーレムが今まさに消し炭になろうとしている。


 アスモデウスの灼熱の拳がゴーレムに直撃する。


「――っ」


 ゴウンっと鈍い音が木霊した。


「へ?」


 熱風に晒されている目をこすり見れば、ゴーレムは消し炭にされておらず、心なしか白銀に輝いているように見える。


 ベアトリーチェが人差し指をピコリと立てる。


「ふっふっふっふ、ミスリルゴーレムさんです。牢屋の格子に使われていたものをちょっと拝借してこんな時のためにゴーレムさんに融合させておきました。ミスリルは魔法耐性を持つ。その効果をゴーレムさんに取り込むことで増大しました。いざというときのとっておきですね」


「は、ハハ、ほんとに、あんたはでたらめだ」


「グラビティパーンチ!」


 ゴーレムの白銀の拳がアスモデウスの拳にめり込む。


 ――ビシリ、と亀裂音が響く。


 亀裂音が鳴り続け――ゴーレムの体に無数の罅が走った。


「――は?」


 シウスは何が起きたのか理解が追いつけなかった。

 次の瞬間、無残にゴーレムがガラスが割れるように砕け散った。

 空間が一瞬にして静まり返る。


 ――ドサっと音がした。


 振り向くと、ベアトリーチェが真っ白な顔で力なくゴーレムだった残骸を眺めていた。


 何が起きた? 


「くっくっくっく、はっーっはっはっはっは! 何かと思えば他愛もない。たかだかミスリルを取り入れたくらいでこのアスモデウスの魔法を防げるとでも思ったか! 次元が違うんだよ次元が! くっくっく、ぼ、僕に何かを教えてくれるんじゃなかったっけぇ~? ひゃーっはっはっはっは――」

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