四章 メイドと花嫁⑤

 その後、ゴーレムが無理やり着たので装束は破けてまさにボロ布になってしまったが、ベアトリーチェの魔法によりちゃんと着ているように見せていた。

 ジェシカはなるべく離れてついてくることを伝え、ゴーレムは一定の距離を保ちながら彼女の後を歩いた。時折、こちらを気にする素振りを見せている。


(城の者にしてみたら王の病気は正体不明。病気がうつる可能性を考えると誰も王の世話なんかやりたがらねー。結果、彼女のような立場の弱い人間に白羽の矢がたつ。えげつねーなァ)


(何をおっしゃいますシウスさん、これくらいであればまだまだ序の口。嫁姑の戦いの姑のえげつなさに比べればましなほうです。それに、あれは移る様な類のものではありません)


(なんでまだ結婚していないあんたが分かるんだよ? ――ん? うつるものじゃないってそんなことまで分かるのか?)


(私は最高の花嫁を心ざす者。そんなことがわからなくてどうします!)


 シウスの隣でえへんと鼻を高くする三十路の女。


(……とにかく当初の目的である王の遺体を調べるところまできたな)


 ジェシカは兵士たちにゴーレムのことを説明し了承を得る。

 兵たちが槍をひく。彼らの目もまたジェシカを歩く病原菌でも見るように脅えていた。

 扉が開かれる。


 窓から魔法石の灯りよりも明るい満月の光が王の眠る寝台を照らしている。

 ジェシカが部屋に足を踏みいれるのに倣い、ゴーレムも後に続く。一瞬、微かに魔法音のような微弱な空気の振動をゴーレムは感じ取った。


(――なんでしょう? 一瞬、ゴーレムさんを探るような気配を感じましたけど……)


 ジェシカは王の寝台に近寄ると、その手にもった布きれをお湯に浸し、体を拭きだした。


(おいチャンスだ。手伝うふりをして王の身体を確かめようぜ)


(そうですね。さあゴーレムさんよろしくお願いします)


「御意」


「あなたはそこにいてください」


((――え?))


「御、御意……」


 ゴーレムの動きが止まり、シウス達に緊張が走る。


「ここは私がやりますから。あなたにもし病気がうつったら大変だもの」


(そういうことか)


 ただこれでは王の体を確認できない。


(これは――緊急事態ですね)


(なんでだよ。ジェシカには悪いが、無視して近づけばいいじゃねーか)


(これだから殿方は、女性の世界ではこのいまだ微妙な関係性の女性間のやりとりは一歩間違えれば――ボンっですよ)


 ベアトリーチェが神妙な顔で握った手を開く。


(いや、意味わかんねーんだが。そしてなんとなくバカにされた気がするぞ)


 ベアトリーチェはシウスを可哀相な瞳で見ながら一つ「ふう」と溜息をつき向き直る。


(シウスさん。なるべくわかりやすく説明をしますとね。彼女とゴーレムさんの間柄は言わば先輩と後輩、そこには暗黙の上下関係が存在するのです)


(まあそれは分かるけどよ)


(その上下関係の中、彼女はそこにいてくださいましと告げてこられました)


(そうだな。でも無視して近づけば――)


(だまらっしゃい! その関係性の中、その言葉を無視するということがどれだけの角を立てると思いいですかっ。もしゴーレムさんが近づけば、この子、私の言ったことを守らなかったわ。これは私が善意で言っていることなのに、それを無視するなんて……許せない! きいいっと、伝説の槍グレゴニールのようなするどい角がたつのです!)


 ベアトリーチェは袖を噛み親の敵でも見るような目つきで悔しがる。


(……以前なんかあったのか?)


(とにかく、例えその時がよくても私達はこれから先、真犯人を捜し当てるため協力者は一人でも多いにこしたことはありません。それに今の時点で妙な行動を起こし怪しまれることはなるべく避けねばなりません。なので今は彼女の言葉を無碍にすることは愚作、かといってこのままではせっかくのチャンスも無駄にしてしまう。くぅ~、この現状を角が立たないように打開せねばなりません。さてどうしたものか。うーん)


 シウスの言葉は当たり前のように無視されベアトリーチェは考えこむ。

 その時、シウスの心に妙な感情が流れ込んできた。この感覚はゴーレムのものであることは間違いないようである。その感情は彼女、ジェシカに対して何かもどかしい気持ち。

 シウスの見立てではこのゴーレム、主人と違いかなり純粋で優しい心の持ち主であることが今までのことで分かっていた。

 きっとこのゴーレムは彼女に同情しているのだろう。

 立場の弱い彼女もまたメイド長に言い付けられ仕事を行なっているにすぎない。

 原因不明の病気で死んだ王の体に濡れた布をあてる。

 彼女はときおりゴーレムに「そこで見ていてくださいね」などと気丈に笑顔を浮かべ振舞っているが、その手は震えていた。

 だったら、ジェシカもまた新入りのゴーレムに言い付け、ジェシカ自身は安全な距離で仕事の内容を伝え、指示すればいいだけの話である。

 なのに彼女はそれをしない。

 その彼女の優しさにゴーレムは打ち震えているのだ。

 その感情がシウスの中に流れ込み、胸を締め付けてくる。


(だあああっ、なんだよこのいても立ってもいられない気持ちはっ)


 自身の感情とは裏腹にゴーレムの溢れだしてくるような彼女への思いにシウスはいても立ってもいられなくなってくる。


(ええい我慢ならねえっ)


(シウスさん?)


(こうなりゃ関係ねえっ――ゴーレム、彼女を手伝うんだっ)


 そうつい叫んでしまった。

 瞬間、ゴーレムがビクンと震える。


「御、御、御、御意!」


(??!へッ?)


 ゴーレムの行動に気づいたジェシカがはっとする。


「ち、近づかないでくださいっ――」


 王の体にあてていた濡れ布にゴーレムの手が重ねられる。「――な、何をしてっ」

 ジェシカはゴーレムを引き剥がそうと抵抗するが、そもそも巨体のゴーレムを少女の力でどうすることなどできずに壁を一生懸命押しているような滑稽な絵が出来上がっていた。

 その大きな手が布で王の体を拭きだした。


「ど、どうして……」


 ジェシカは咎めるように見てくる。


(ちょっとシウスさん何やっちゃってくれてるんですかっ、ああ、精神をつないでしまったせいでゴーレムさんの心とシウスさんの心がシンクロしてしまい行動に移ってしまったのですね。まったく、ほらほらそのせいでジェシカさんが信じられないといった風にこちらを凝視しているではありませんかっ。ああ~、これでハブ決定です。だって彼女きっとこのことをメイド長に告げ口して、今度はゴーレムさんを病原菌扱いするに違いないです)


(彼女はそんなことをしないっ!)


 ジェシカの優しさを、ゴーレムを通して感じ取った男は断言した。


(はいはい、最初はみんなそう言うんです)


 ベアトリーチェは盛り上がる三十間近のおじさんに呆れた視線を向け半笑いで肩を竦める。


「なんで言う事を聞かないのっ。そこをどいてっ、あなたにまで病気がうつってしまう」


 涙を浮かべジェシカの言葉にゴーレムはただ一言そう返した。


「……御意」


 月が雲に隠れ、窓辺から差し込む光が途切れる。魔法石の灯りがおぼろげにうつろう。


「――っ、なぜ? あなたは怖くないのっ」


「御意」


「そんなの眉唾かもしれないし、あなただけに怖い思いをさせられない? そんなの可能性の話でしょ? もし病気にかかったら、あなただってこの王様みたいに黒の斑が体全身に毒のように行き渡って死んじゃうんだよ?」


「……御意?」


「私だって怖いよ。でも仕事だし、働かなきゃ――」


 泣き出しそうな顔で、その小さな体に溜め込んだ重すぎる責任を彼女は吐露する。再び口を噤みもう一枚の布で王の体を拭きだした。

 彼女は何かに耐えるようにその小さな唇を噛み締め、自分のやるべきことは生まれたときから決まっているとばかりに作業に戻っていった。

 ゴーレムもまた何も言わずに彼女に倣った。

 雲に隠れた月が再び顔をだし、窓辺から月あかりが流れこんでくる。


 月に照らされる王の体は黒の斑が全身に行き渡っていた。

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