四章 メイドと花嫁④

 雨が止み、雲の切れ間から夕陽が顔を覗かせている。

 台所の熱気もおさまり、いまではメイド長が一人で洗い場から食器を洗う音だけがきこえていた。他の使用人たちは休憩を取っているのか姿は見えない。


「御、御意……」


「悪いけどあたしに近づかないでくれるかい?」


 ゴーレムは立ちすくむ。

 年老いたメイド長の背中。服はどこかくたびれ何回も洗濯され擦り切れほつれている。それでもその背中は日々研鑽された剣のように立っている。

 その無言のプレッシャーに巨体であるはずのゴーレムの足を床に縫い付けさせる。


「……あたしもさ可哀相だとは思うよ」


 お皿をおく音とともに、ぽつりと零した言葉には自戒の念が込められていた。


「でもね。あたしにはみんなを守る、この台所を守る義務があるんだ。……六十年、働いてきた。色々あったよ。色んな子がいた。彼女たちがここから巣立っていくのも見てきた。ジェシカのことも、あたしがしっかり覚えておくよ」


 メイド長はぽつりぽつりと話だした。

 少女の名前はジェシカ・グラント。フランベル国フィルネ村出身。最近雇われたメイドで裕福ではない家で生まれたために字もかけず、もちろん読むこともできなかった。メイド長はなぜそんな者を雇ったのかと辟易したが、家の一員になったからにはと仕事はみなと一緒に変わらず教えた。幸いに彼女はちょっとした魔法が使えた。それは彼女自身のイメージを絵として紙などに焼き付ける魔法。お使いはそれでなんとかこなせていた。

 そんな矢先、大臣からのいいつけによりメイド長は家族同然の使用人の一人を王の遺体の世話係に任命しなければならなかった。

 ただの世話係ならばよいが、不遇の死で亡くなった王族は強い穢れをもつと伝えられている。

 穢れをもつ遺体に生者は決して近寄ってはならない。


(あの装束はいわば死者を模したもの。不遇の死の王を、世話をする者は生者であってはならない。死者がその生者に嫉妬し取り込み蘇ろうとするから。だからあの少女はあの髑髏の仮面とボロボロの黒い布切れをまるで死神のように身に纏っていたのです。自分は死者であると)


 死者に触れることは穢れに触れること。それは穢れを一身に受けることとされた。そして、穢れに触れた人物はそのまま城に止めることはできないというしきたりがあった。

 つまりは任命された者は王の葬儀が終わると同時に纏った金をわたされ城から出て行く。

 そしてメイド長は、まだ城にきて日も浅いジェシカにその役目を与えた。

 それは彼女なりに考えた結果の決断であった。


「キャリー。入ったばかりで申し訳ないけど、ジェシカの手伝いをお願いしたいんだ」


 メイド長はゴーレムのことをすごく不満そうな顔で振り返った。

 せっかく優秀な人材が入ったのに手放なさなければならなくなった不満。そして、彼女に近づくことは決してやってはいけないことだと言い含めておかなかった自分の失態だろうか。


「あの子だけじゃ不安だからあんたについていってもらいたいのさ」


(死者の血を触ったことで穢れがうつった。だから、お前はすでに死者だと、存外にそう言うことでしょうけど)


(それはあくまでしきたりの話だろ? 台所の奴らの脅えようはそれとは違ったようだ)


 今更彼女が本当に穢れを持ち、彼女に触れることでその穢れが感染するなど信じる者などはいないだろう。

 形骸化したしきたりに恐れを抱く者はいない。

 だがメイド長は彼女の血に触れたゴーレムを遠ざけようとしている。

 王の死因は他殺と伝わっているはずだが詳細などは一切知らされてはいないだろう。

 『人狼病』は治せる病気と知られている。しかし王の病気は治る見込みはなく遠方からの得たいの知れない魔女を呼び寄せるに至った。

 結果、王は死んだ。

 それだけで彼女らの想像は膨れ上がり未知の病気で死んだのでは? と疑念を抱く。

 もし――その病気が感染する可能性があったら?

 見えない恐怖は人を必要以上に臆病に、そして残酷にする。 

 彼女の血に触れたゴーレムはそれだけで彼女たちメイドにとっては忌避すべき対象になる。


(本来の目的は彼女に近づくことだったので不幸中の幸いと言えば聞こえはいいですけど。あまり気持ちのいいものじゃないですね。せっかくメイド達とガールズトーク

に花咲くひと時を味わうチャンスだったのに)


(……)シウスは聞き流した。


    ●●●


 ジェシカの宿舎は本来使用人たちが住む宿舎とは中庭を挟んだ一つ先にあった。

 本来は兵舎として使われている建物で今は常駐の兵達のほとんどが遠征で出払らい空室なためにジェシカの仮住まいとして急遽当てがわられていた。

 何の変哲もない木製扉。その一つにゴーレムはノックした。


「……どなたでしょうか?」


「御意」


 戸惑いを含むガラス細工のような声が向こう側から聞こえてくる。

 畏れるようにゆっくりと扉が開いていくと隙間から青い瞳がこちらを覗きこんでくる。ゴーレムの姿を認めると彼女の銀髪が揺れ、奥の青瞳がみひらかれた。


「……どうして?」


「御意」


「メイド長があなたを私の手伝いに……。そう、私のせいだわ。ごめんね、私があの場にいかなきゃよかったのに……」


 彼女はゴーレムの視線から逃れるように顔を逸らし俯く。


「御意」


「気にしていない? 私は与えられたお勤めを全うするだけ? あなた変わっているのね」


 ジェシカはめずらしいものでも見るようにゴーレムを眺めてくる。


「御意」


「ええ、もうすぐお勤めの時間です。準備をしなくちゃ……。あなたにも死者の装束を着てもらわなきゃ。入ってください」


 ジェシカに促され部屋にはいると床には荷物が一つだけが置かれている。その中心にはイーゼルが立てかけられ書きかけの絵が目を惹いた。

 不思議な筆圧で描かれた肖像画がそこにはあった。


(へえ~、上手いもんだな)


「あっ……、これは。ごめんなさい」


 ジェシカは顔を赤く染めイーゼルの絵を慌ててその腕に隠す。

 よく見れば机の上には束になった紙が積重なっていた。

 紙には絵のようなものがいくつも描かれている。ジャガイモや人参、玉ねぎのような形をしているものが羅列するように描かれたものある。メイド長の言葉がよみがえる。

 ジェシカは字が書けない代わりにおつかいは先輩メイドから言付かった注文を絵に起こしてやりくりしていたと。


(不思議な魔法ですね。イメージを絵として残すなんて。それにとってもお上手ですね)


 ジェシカは書きかけの絵に布を被せ、壁に掛けられている死者の装束に手を伸ばした。


「これから、王の遺体を清めるためのお勤めに向かいます。それは、もしかしたらとても危険なことなのかもしれません。あなたも知っているでしょ? 王のご病気の話。上の方は、王は殺されたのであって、病死ではないとおっしゃっていますけど……」


「御意」


「問題ない? ……わかりました」


 ジェシカの手が死者の装束を手に取る。


「では、これを着てください。私の予備になるので申し訳内ですけど。決まりなので。怖くないんですか? 私が」


「御意?」


「いえ、なんでもありません」


 振り返り際、微かに微笑んだように見えた。彼女はボロ布を手に取り纏はじめる。

 ゴーレムもまた彼女に習うようにボロ布を頭から被る。


「御、御、御意~」


「どうしました……? って、あなた意外に着やせするタイプなんですね」


 死者の装束がゴーレムの肩の部分でまるでサーカス団のピエロのような襟巻きになっていた。実際はゴーレムの肩幅が広すぎて肩の部分で止まっているだけであった。


(おい、無理に着なくてもいいんじゃないか?)


 シウスの言葉に反応したのか分からないが、「御意―!」ゴーレムは死者の装束を無理やり着ようともがきはじめる。


(だああっ、ちょっと待った、服がやぶけ――)

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