二章 幽霊船の花嫁⑨
シウスは別の冒険者に猟師たちの救助を指示していた。
壁に張り付いていた猟師たちはすべて下におろされていた。救助は完了した。
「――撤退だっ! 急げ! この化物からできるだけ遠くに逃げるんだ!」
クラーケンは体力を回復するためか、魚人を貪るのに夢中で攻撃の手を休めている。逃げるなら今だ。
力自慢の冒険者は若い冒険者に肩を貸し、他の冒険者は残った力で猟師たちを担ぎ上げている。シウスもまた死んでいるのどうかも分からない猟師の一人を担ぎあげた。
だが、船底に空いた穴から噴出していた海水に足を取られ、ある者は転倒し、あるものは穴に足を取られ、海水が膝元まで水位が上がっていることに気づく。
「に、逃げっ――くそっ。……霧が邪魔で足元が見えねー」
船壁は霧に覆われ、その霧が足元を隠し始めていた。
「だから、穴から海水がどばどばって……」
「だったら塞げばいいんでしょ! みんな床から離れて!」
魔法使いの声にみんなが反射的に反応する。力ある言葉を連ねていく声が伝わりベアトリーチェも慌てて近くの樽の上に飛び乗った。
「コールドスプラッシュ!」
魔法使いの杖から絶対零度の吹雪が床に溜まった海水を氷の床へと変えていく。
床下の穴は塞がり、クラーケンが魚人を捕食していた穴も塞がれたはずだ。
「私だって三ツ星の冒険者これくらいわけないっての。まあ、さすがに船に入ってきた海水を凍らせるので限界だけど。さあ足場は確保したわよっ」
残りわずかの魔力だったのだろう魔法使いは崩れ落ちる。それを他の冒険者が支えた。
足場ができたことでこちらの動きに支障はない。
「うわあああ――っ」
(――今度はなんだっ)
視界に青白くなった猟師の腹を突き破り、クラーケンの幼生が産声とともに生まれた。
クラーケンの幼生が腹からずるりとこぼれ落ち、周囲の冒険者を威嚇するように金切り音をあげた。その叫びに冒険者たちは顔を驚愕に変える。
思考が停止しかけていくが、すぐにそれを振り払う。肩に担いだ猟師を放り、ミスリルの剣でその幼生を脳天から突き刺した。
「――人間を苗床にしてやがったっ」
だとすれば救助した猟師たちはすべてタネを植え付けられている可能性がある。
「クソやろうっ」「――回復をっ」
腹の割れた猟師に駆け寄るヒーラーの冒険者が詠唱を行うと傷はふさがれていく。彼女の詠唱とともに腹の傷はふさがるが、首筋に手をかけた彼女は頭を振る。
「他の猟師たちも種を植え付けられているのか?」
力自慢の冒険者が猟師をそっと横たえるヒーラーに問いかける。
「恐らくそうね。そして……。腹をさかれて傷をすぐにふさげば一命だけをとりとめることができたはずだけど。この人はすでに死んでいたよう。予想でしかないけど、恐らくクラーケンの幼生が生まれる前に養分をすべて吸い付くされ死んでしまうのじゃないかしら」
「助けるためには事切れる前に、腹の中のこいつらどうにかしなくちゃいけねーってことかよ」
ヒーラーが無言で頷く。
「おいおい冗談だろ? こいつらみんな死んでるようにしかみえねーよ。どれだけ時間が残されてんだよっ」
「な、なあ、置いていこうぜ。この人たちみんなもう死んじまうよ。猟師たちを運びながら逃げるなんて、無理だろ?」
若い冒険者が縋り付くように告げる。
「馬鹿やろうっ」力自慢の冒険者が若い冒険者の胸倉をつかむ。
「だってよ……。このままじゃ、俺らもこいつらの苗床にされるんじゃないか!?」
声が震えている。無理もない。まだ冒険者に成り立ててで修羅場らしい修羅場もくぐったことがないだろう。『雪猫』の座をもつ冒険者でさえ退却を選択するほどの強敵。その強敵に立ち向かっただけでも褒めてやりたい。力自慢の冒険者が何か言いたげに顔を歪める。つかんだ胸倉から手を離し、代わりに若い冒険者の肩に手を置く。
「おれが五人くらいはまとめて担いでやるよ」
「とにかく急いで脱出だ」
(――上にあがる階段はどこだ?)
周囲の壁にはクラーケンの出す霧にもくもくと覆われ上に続く階段がどこかにあるはずだが見えなくなっている。時間をかけている暇はない。こんなときは己の経験と勘に頼るしかない。
シウスは船の作りを脳裏に浮かべ、当たりをつけた。
「こっちだ! 急げ」
クラーケンとは反対の方向に駆け出し、生臭い霧に覆われた空間へと体ごと飛び込んでいく。冒険者たちもシウスに続く。
そして、霧が薄まり視界が抜けると同時にシウスはその場に硬直した。
「――っ?」
視界の先にクラーケンがいた。正確には先ほど霧に飛び込んだ場所に戻ってきていた。
「これは、どうも霧が結界になっているようですね」
誰かの声が聞こえ、魚人たちがなぜ言い様に餌と成り果てているのかを身を持って理解した。
「なる、ほど。霧が結界になってやがる、この霧のなかに入った者は魔物であろうと外に出ることは叶わないってことかよ」
逃げだせた猟師たちはいたが、それは偶然の産物、幸運だったのだろう。仮に方法があるにしてもこの時点でそれを探る時間などはない。奴から発せられる霧は船内どころかこの海域すべてに充満している。逃げ場など最初からどこにもなかった。
「ど、どうしたんだよ」
若い冒険者の声が背後から聞こえてきた。
冒険者たちの戸惑う声のあと、ドサドサと何かが氷床に落ちる音が聞こえる。
きっと力自慢の冒険者が絶望のあまり猟師たちを落とした音だろう。
「……くそったれ」
この危機から抜けだすには、倒すしかない。
不気味に霧を出し続けるクラーケンを絶望とともに見据えた。
氷の魔法によりクラーケンの体力の供給源の穴は塞ぐことはできた、はずだ。
だがこちらの陣営もすでに限界がきている。クラーケンにダメージを与える体力はどれだけ残っている? かくゆうシウスもまた精霊を使い続け疲労困憊であった。
頭を回転させ勝利のパズルを組み立てようとするが上手くピースがはまらない。いや、そもそも勝利するためのピースが最初から欠けているのだ。
「――ちくしょう首筋の疼きが止まらねえっ」
クラーケンが叫びをあげた。
花が一斉に開花するごとく――触手がすべて再生した。
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