二章 幽霊船の花嫁⑦
「ぐはっ――」
シウス達は船底に叩きつけられた。
くぐもった悲鳴がそこら中からきこえてくる。
痛みに耐えながらもすぐに自分の足首に絡み付いた『何か』をミスリルの剣で断ち切る。
視界には切断したにも関わらずぐねぐねと蠢く触手が映っている。
氷柱だと思ったものはどうもこの触手のようだ。
シウスはふと気づく。
船内の壁には蜘蛛の糸のような膜に包まれた漁師らしき人々がへばりついていた。
誰もが血の気のない肌をしており死んでいるのか生きているのかは不明だ。
「今回の騒動はどうやらあいつが原因か」
触手の集まるその中心に視線を向ける。
そこに大きな目玉と大きな頭、そしてぽっかりと空いた口に棘棘しい歯を並べたどでかいタコのような巨大な魔物が鎮座し、不気味な音とともに霧を噴出していた。
どうやらこの海域の生臭い霧は奴から発せられていたものらしい。
視界にその姿を捉えた瞬間、まずいっ、と舌打ちする。
シウスの脳裏ではギルドのレッドリストが捲られていた。レッドリストとは数々の冒険者によってモンスター情報が纏められた本の中で赤いページに記載された災害レベルのモンスターページである。
そのレッドリストのページには確かに目前の魔物の特徴が記載されていた。
伝承に登場する海を縄張りにする魔物と言われているが、この魔物は確実に存在する。その巨体には生半可な魔法や剣撃ではダメージを与えることは皆無。巨体からくりだされる怪力は船をも藻屑にする。もし、出会ったら運が悪かったとあきらめるしかない。運よく生き残ることができれば、できる限り早急に冒険者ギルドへと情報を寄越されたし。
「ありゃ、クラーケンだ……。冗談じゃねー。なんでこんな近海にこんな化物がでやがる」
勝てる相手ではない。
ギルドの討伐ランクではレベル8に該当する。騎士団よりも上のレベルの要請が必要だ。『座』持ちの更に上のレベル、世界に十二人いるといわれる黄道十二宮の冒険者ぐらいしか相手にできる者はいない。
(どうする?)
遺体の一つも見当たらなかったのは、人間を後でゆっくりと食うためにクラーケンが捕らえていたためだ。
ご丁寧に壁にへばり付かせていた。
中にはまだ生きている者もいるかもしれない。
「魚人に人を襲わせ捕らえていやがったか? てめーの食事のために」
「キャーっな、なによこいつっ」「や、やめろ離せ!」「ぐう、このくそー」
謎の触手により宙づりになった冒険者達が抵抗もできずに振り回されている。魔法使いが叩きつけられ、触手により巻きつかれ羽交い絞めにされボキリと骨が折れた鈍い音が響く。
「あああああ」
彼女の顔が歪にひずみ生気が消えていきぐったりと青白く変色していく。
逃げるが正解だ。
だが短い時間だが冒険者同士力を合わせたその事実が、他人と切り捨てられなくなっていた。
自分はどこまでもいっても弱い意思しか持ち合わせちゃいないのかもなと自嘲気味に笑う。
まずは戦力を取り戻し、隙をついて猟師たちを救出し、この化物から逃げる。
「やるしかねーか」
ミスリルの剣を握る手に更なる力を込める。
クラーケンが奇声をあげる。
「っけ、罠に引っ掛かった今夜のディナーに喜びの声でもあげているのか?」
シウスは剣をかまえ精神を集中させる。体に堆積する魔力を粘性する。
「母なる大地に育まれし、豊穣を齎す彼の者よ。恵みを齎す円環の連鎖に我を加えたまえ――ノーム!」
力を引きずりだす言葉とともに、シウスのかまえた剣の刀身が淡く輝き、土色の妖精が息吹をあげる。
木の葉が舞いちるように、赤い三角帽の白い髭を蓄えた小人がルーン文字が刻まれた刀身の周りを浮遊する。
「すごいっ、土の妖精さんを呼びだせるんですね!」
「ああ、おれのとっておきさ。ミスリルは魔力を取り込む性質がある。俺が魔力を流し込むと剣に刻まれたルーン文字が召喚の魔法陣を作りだし俺の言葉をトリガーに精霊を召喚するってわけさ。まあ、こいつを使える時間はそう長くはないけどな……って、見当たらないと思ったら、あんたは無事だったのか?」
ベアトリーチェは頬をぽっと染める。
「えーっと、釣竿で床を叩いてたら脆くなっていた床が抜けて、そのまま落ちてしまい。てへ」
「……ま、まあ無事ならそれでいいんだよ、無事なら」
てへってなんだよ。と思ったが、決して口には出さなかった。
「それにしてもタコにしてはグロテスクですねー。さすがにあれは食べたくありません。それに、肝心の足場がこれでは――」
ベアトリーチェは船底をトントンと釣竿で叩く。
「おい、また抜け落ちるからやめとけ」
「うぎゃあああああっ、助けてくれー!」
はっと気を取り戻し視線を向けると、一人がいまにも死にそうな顔で絶叫していた。伝播するように他の冒険者も叫びだし惨憺たる光景が広がりだす。
「こうしちゃいれねー! あんたは下がってろ」
クラーケンに向かって駆け出す。
クラーケンが目を糸のように細め紙束を破いたように威嚇し、触手を打ちだしてきた。
シウスは剣の周囲に浮遊する三角帽に命ずる。
「穿て! 奈落の石矛!」
ノームがひらりと舞うとシウスの周囲に石の槍が発生する。
剣がふりおろされると共に射出される。
石槍は触手を穿ち、突き刺さり引き裂き機能を停止させていく。クラーケンが怒声をあげる。絶叫が空間を引き裂き、鼓膜を破裂せんばかりに震わせる。
触手が次々にシウスに飛来する。
「ストーンウォール!」
呼びかけに応じ、三角帽が舞い踊る。触手が被弾する直前――宙に噴出した石壁に阻まれる。
怯んだ触手を一閃によって斬りおとす。あるいわ石槍によって触手を船体に縫い止める。動きを止めないシウスに苛立ち触手が弾丸のように次々に発射される。
一本一本を処理していくが物量にしだいに押され、触手が腕にぶち当たった。
「――がっ」
痛烈な痛みに手に持った剣が弾き飛ばされる。
「――っ」
動きの止まった一瞬を見逃さずに濁流のような触手が四肢を絡めとる。
「ぐっ、があああああああああ」
シウスは宙吊りにされる。その絡まった触手のすべてがじりじりと食い込んでいく。身動きのとれない獲物にクラーケンはようやく満足したように目を細めた。
シウスは笑った。
「アイスダガー!」
轟く声と同時に氷のダガーがおおダコの母体に突き刺さる。
「――――っ」クラーケンが目を見開く。
「バアーカ、触手を俺に集中させすぎなんだよ」
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