二章 幽霊船の花嫁⑥
狭い船内の通路。
視界の悪い暗闇。
あっという間に乱戦へとなだれこんでいく。
このままでは味方が分断され混乱し思うように応戦することすらできなくなる。
「であありゃあ!」
力自慢の冒険者が魚人を一刀両断する。
「アイスーダガー!」
魔法使いの冒険者がその手により作りし氷のダガーを魚人に放つ。魚人の胸に直撃し一体を葬りさる。
「っこのやろおおっ」
怒声とともに魚人の槍をなぎ払い、一心不乱に切りつける先ほどの若い冒険者。
(と思ったが……。どうしてどうして中々やるじゃねーか。こりゃ、心配のしすぎだったな……、そういや――)
シウスはもう一つの一番気がかりな者の姿を魚人の攻撃をあしらいながら探した。
若い冒険者の助けに入った時、あの声がなければ動けていなかったかもしれない。
まあ、その女のせいで調子を狂わされているところもあるのだが。
その声をあげた女を視線で探す。すぐに見つかった。
「…………」
乱戦のなか、おろおろしながら魚人の攻撃を器用に避け足元の床を釣竿の尻でトントンと叩いているベアトリーチェの姿があった。
「……何してんだ?」
あいたたーっと今度は難しい顔で額に手を当て唸っている。背後に魚人が忍びよっている。
「キシャアアっ」「邪魔だ! どけっ」
向かってくる魚人の一匹を斬りふせ、ベアトリーチェの背後に忍び寄っていた魚人を体当たりのまま剣を突き刺す。勢いあまり倒れこむ。
「――なにやってんだ! まるで財布を忘れた主婦みたいな顔をしやがってここは八百屋の店先じゃねえんだぞ!」
「上手い!」
ベアトリーチェが手をぱんっと叩く。
「…………おおおおおおおおおおおい! 舐めてとんかアアアい我えええええ!」
「ああ、ごめんなさい。財布を忘れた主婦って言われたのがちょっと的を得ていたので思わず。実際、忘れ物をしちゃって、私は某家族劇場のおっちょこちょいのお嫁主人公かって。みんなに笑われて顔真っ赤っかなんて、やだ~、シウスさんたら、もう。うふふふ」
「もういいいいよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
シウスは魚人の打ち込んでくる槍を怒りに任せうち払い、額に血管を浮き上がらせ、魚人の息の根を止め血走った眼で女を睨みつける。
「えーっと、しっかりした足場が必須だったので、丈夫な所を探してましてっ、じゃないと重さで底がぬけちゃいますから」
シウスに怒鳴られ汗をたらしたベアトリーチェがつんつんと指を合わせる。
気になることは多々あったが今はそんな暇はない。他にも気になることがある。
シウスは魚人の槍を弾き、がら空きになった胴を横一閃切り伏せる。
魚人は確かに恐ろしいモンスターだ。だが、それでも船を握りつぶすような破壊力はない。
最後の魚人を切伏せ、剣を鞘に収める。
「全員無事か!」
シウスは周囲をぐるりと見渡す。負傷している者はいるが、それぞれが用意していた回復アイテムや魔法などを使用し傷を癒している。被害はそれほど大きくはないようだ。
「こいつらが船を失踪させていたのか?」
力自慢の冒険者が魚人の死体を見下ろし首をひねる。
「だったら、俺たちがその原因を倒しちまったってことだよな」
若い冒険者が肩の傷口をおさえながら、逸る気持ちを抑え切れないのか勝ち誇った顔をする。
これだけのクエストは初めてだろうから仕方ないことだと力自慢の冒険者がからかう。
「馬鹿ね。喜ぶのは早いわ。まだ魚人がどこかに潜んでいるかもしれない」
魔法使いのその言葉に若い冒険者はすぐに緊張した顔に戻り物陰を注意深く覗き込み始め、滑稽なその姿につかの間の笑い声が満ちる。
一時の勝利に喜ぶ冒険者を尻目にシウスの斜視は鋭さを増していた。
失踪したはずの船に乗っていたはずの漁師たちの遺体などが見当たらない。
もし魚人たちが船を襲い漁師たちの命を奪ったのなら、難破船のこの海域の周囲に漁師たちの遺体が一つも見当たらないのはどういうわけか?
すべてが海の藻屑となり海底に沈んでしまったのだろうか? 一つも残らず?
いくつもの修羅場を潜り抜けてきた冒険者の勘が否定する。――別の『何か』が、いる。
「あっ、みなさん。飴ちゃんどうです? 激しい戦いをしてお疲れでしょ。こんなときは甘いものがいいんですよ」
ベアトリーチェがローブの中に忍ばせていた皮袋から赤い粒を取りだす。
「あら、赤いわね? 何かしら?」
「これはお師匠さま秘伝の製法で作った野いちごと蜂蜜を煮詰めて固めたものなのです」
「へー、じゃあ一つちょうだい」「はい、お一つ」
「お、ありがてーな。俺にも一つくれ」「はいはい、お一つ」
「あっ、おれもおれも」「はいはいはい」
冒険者たちが飴玉を口に放り込みコロコロと転がす。
「「「んー、さっぱりと甘いー」」」
魚人の死体が転がる船内の廊下にひと時の安らぎが広がる。
そのにぎわいに思考が散り、シウスのこめかみに青筋が立つ。
「……おい」
休むのはかまわないがもう少し静かにしてくれないかと声をかけようとすると、勘違いしたベアトリーチェが、世話好きおばちゃんのように「あら、はいはいはい」といそいそと寄ってくる。皮袋から飴玉を「はい」っと差しだした。
シウスの頭にかっと血がのぼる。
「――っ、いいかげんにしろっ」
渇いた音が響く。
「――っい」
シウスの右手がベアトリーチェの左手を払っていた。
赤い粒が壁にあたり、ころころと床に転がる。
「……あっ、あら、あらら、飴玉が……」
ベアトリーチェは左手を摩りながら、転がった飴玉を申し訳なさそうに拾い上げる。
「あはは、これはもう食べれない、ですね。はは、なんだか、ごめんなさい。私つい余計なことしちゃって……」
にぎわいをシウスの叱責が一瞬にして掻き消し、冒険者の間に沈黙が落ちた。沈黙の中、ベアトリーチェのしぼんだ笑い声だけが行き場なく響き、取りだした布に拾った飴を包んでいる。
「――あ、いや……」
シウスは心中で己の行為を恥じた。だがここは命がけの現場なのだ。ベアトリーチェの遠足にでもきたような調子に神経の尖りきったシウスの心は耐えられるものじゃなかった。
「俺たち、ちょっとクエスト中に気を緩めすぎたな、いや『座』持ちがいると思うとどっかで甘えちまってたな」
「そ、そうね。さあ、休憩は終わりっ。探索を進めましょう。行方不明の漁師達を探さなきゃ」
冒険者たちが空気を察したのか挙動不審気味に慌てて言い繕う。
「……あっ、いや悪い、考えごとをしていたんだ、それで少し静かに――」
首筋に疼きが走る。
「――っ気をつけろ」
叫ぶが何に気をつければいいのかと自分に舌打ちする。
みなの視線が集まったとき――床から一斉に氷柱のようなものが突き出してきた。
「きゃあーっ」「なんだこりゃっ」「や、やめろっ」
それらが冒険者達の足首を絡めとり、床下へと引きずり込んだ。
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