二章 幽霊船の花嫁⑤

 波間に漂う朽ち果てた船の残骸と日の光の当たらぬ海面から漂う臭気に、鼻を顰める。


「時刻はお昼ちょっと過ぎくらいなのに、周りが霧で覆われて日光がまったく入りこまないですねー。薄暗くてすごい不気味。でもだからこそ冒険しているって気分がありますね」


「ん? ああ、どうなんだろな」


 幽霊船といえば、魔物に襲われ打ち捨てられた船員が迷える魂となり成仏できずにいるところを高位霊鬼のリッチーなどに捕らわれ、生きた屍になった亡者共が巣くっていることが多い。


 もし船ごと取り付かれ、進入を許してしまえば戦う術を持たない船員や一つ星冒険者では太刀打ちできずにとり殺され、永遠に海を漂う幽霊船を一隻増やすだけだろう。

 渡航船などは、高位の神官、最低限でも浄化の魔法を使える冒険者を雇っているのが当たり前であった。

 ただ――。


「ただのゾンビや霊鬼は、船をここまで破壊なんてしねーよな」


 シウスは海面に漂う船の残骸に手を伸ばす。それはとんでもない力で一気に握りつぶしたようにひしゃげている。ゾンビ共がやったものとは到底思えない。

 シウスは跡形もなく破壊された残骸に別のモンスターの気配を感じていた。


「でもちょっとした観光業にはなりそうですよね? ホラー観光なんて今流行っているらしいですよ? 私も旦那さまができたら、脅える私を旦那さまが守ってくださる。なんて、ふふふ」


 シウスが霊鬼とは別の気配を感じ取っているなか、小船は何事もなく難破船に寄せられる。シーフを生業にする冒険者がスルリスルリと身軽に幽霊船をよじ登っていき、手際よく縄梯子が下ろされる。

 冒険者たちは縄梯子から幽霊船の甲板に下りたつ。

 甲板も予想したとおり惨憺たる状況だった。

 樽などが粉々に破壊され転がり、甲板は穴だらけ、歩けば床が腐りたわみが酷い。


「とりあえず、霊鬼の類、ゾンビどもの気配はしねー」


「すいませーん、ちょっと引き上げてくださーい! 縄梯子って上りにくくて、腕がプルプルしてきて、お願いしまーす」


 シウスがその声に気づき、顔をだすと縄梯子の下にさっきの女、ベアトリーチェといったか、涙目で訴えかけていた。

 その様子を見たシウスは嘆息する。


「おい、誰か引き上げてやれ。ったくこの急がしいのにおばさんの相手してる暇は――ん?」


 シウスの言葉に了解した力自慢の冒険者の一人が縄梯子を女ごと手繰り寄せる。


「ありがとうございまーす」

「おう、こんなの造作もねーよ」


 自分の失態を恥じているシウスの背後でちょっとした談笑が聴こえてくる。


「よいしょっと、ふぃ~、ありがとうございます。それにしても、縄梯子上るのって意外に大変なんですね。びっくりしました」


「ガハハハ、あんたのそのほそっこい腕じゃきついかもな、もっと鍛えねーとよ」


「むむぅ。そうですね、これからも色んな家事をこなさなければなりませんし、善処――」

「――てえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ、なんで一緒に小船に乗り込んでついてきてんだよぉぉぉ!? 危険だから来るなっていっただろ! お前も何普通に会話してんだよっ! おかしいことに気づけよ! なぁ!? お!? 気づいてなかった俺も悪いけどよぉ!」


 シウスが目、鼻、口を極限まで見開き小姑のごとく切れた。


「あ、ご、ごめ、ごめんな、さい」

「ご、ごめ、あ、いや、すまなかった」


   ●●●


「ここまで来ちまったのは仕方ねー。小船で待ってろともいえねーし。おい、気をつけろよ」


 暗く陰鬱な湿気で腐敗した通路をカンテラの火を頼りにシウス達は船内を探索していた。

 どれだけ月日が経っているのか、生臭い匂いがたち込め、呼吸をするにも吐き気を及ぼす。


「ただし、命の保障はしねーぞ? ここまできちまったからには自分の身は自分で守るしかねーんだ。わかったぁぁ!?」


「はいっ!?」


 最新の注意をはらい、船内に浸入した冒険者一行をなりゆきで率いることになったシウスはちょろちょろとドアを開け放ち覗き込んでは床を踏み踏みしているベアトリーチェに釘を刺す。


「ったく、なんで見た目は大人しそうなのに、妙な行動力があるんだ?」


「ほら、私もともと人見知りでしょ? お師匠さまが人見知り治すのも花嫁修業の一環だってことで、ほらお嫁さんになったら色々近所付き合いとかあるでしょ? 尻込みしている場合じゃないってそれで色々お使いを頼まれるのです。その甲斐あって、行動力だけは付きました」


「花嫁修業って……、あんた、確か晩のおかずを調達しにきたって言ってたよな? それがなんで調査船に乗ってんだよ」


「港に買い物に来たら、漁船の謎の失踪でまったくお魚が入ってこないって聞いてね? どこぞの貴族の食べ物かってくらい値段が高騰しすぎてとてもじゃないけど買えなくて、どうしようって悩んでたら、たまたま、船をだすって話を聞くじゃない? わっ、この幸運は逃してはならない。よしいっそ自分で獲ってこよう! お魚ぐらい自分で獲ってこれなきゃいいお嫁さんになれないぞファイト私! って。ちょっと行動力を発揮? しちゃったみたいな」


(何がしちゃっただよ。どこが人見知りだよ。すでにため口じゃねーか。おばさん特有のずうずうしさを感じるわ)シウスはじと目になる。


 ベアトリーチェと言ったか、よほど幽霊船がめずらしいのか瞳には好奇心が浮かんでいる。


(ったく、なんの因果でこんな日常の延長線でちょっと冒険しにきましたって面のお荷物を連れながらクエストに臨まなきゃなんねーんだよ)


 溜息をつき女との会話は打ち切ろうと決めた瞬間、首筋に危険を知らせる疼きが走った。


「――っ剣を抜け!」


 他の部屋の探索にあたっていた冒険者たちもその声に反応し剣を抜き放つ。

 銀色の眼光が鋭さを増し小さな違和感も逃さないと周囲を走る。


「いやがる。首筋がぴりぴりしやがるぜ」


 通路の奥から影が蠢く。

 ぴちゃりぴちゃりと足音が伝う。

 一つや二つではない。

 そこら中から、獲物が腹の中に飛び込んできたことを喜ぶように気配が膨れ上がっていく。


 冒険者の一人がカンテラの灯りを掲げる。


 闇の中から、鱗に被われた人型の魔物が照らし出された。

 その手には槍が持たれ、鱗に覆われた体は灯りで薄紫に光っている。

 顔の真横にある目玉がぎょろぎょろと動き、こちらをとらえた。


「――魚人」


 ギルドの討伐ランクではレベル2に分類される。冒険者ランク二つ星であれば楽に立ち回れる魔物ではある。

 ただ――、

 魚眼が獲物を捉えたか、奇声をあげぴちゃぴちゃと駆け、槍を振りかざしてきた。


「う、うわぁっ」


「あ、あ、気をつけてください! そこ床が腐ってますよー!」


 若い冒険者が槍を打ち払おうとすると、足元の床が抜け落ち片足をとられてしまった。


「あ、ほら言わんこっちゃない」


 魚人の槍が動きを止めた若い冒険者を串刺しにと放たれる。


 若い冒険者は間一髪それを避け、勢い余った魚人の隙をつき、シウスがその手にもった剣を一閃させる。

 若い冒険者の顔にびちゃりと血しぶきが飛び散り、隣に胴体を切断された魚人の下半身が倒れこんでくる。


「ひいっ」「気をつけろ! 足場が腐って脆くなってやがる」


 魚人が暗闇から次々に姿を現わし、襲いかかる魚人の槍を打ち払いながら舌打ちする。

 魚人は群で動く。


「……魚人の巣か」

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