二章 幽霊船の花嫁③
ゴーチ海峡のある地点。曇天の真下。
肌に纏わりつくような霧が海域には漂っている。
「こりゃ、だいぶ刺激的じゃねーか」
銀髪を逆立てた眼つきの悪い冒険者シウス・コルポーネが惨憺たる現状を目の当たりにし剣のようなするどい目を歪ませる。
船員たちは顔を蒼白にし一刻も早く離れたいと震え上がっている。
他の冒険者もその惨憺たる光景に身動きできず息を飲む。
最近この海域で船が帰ってこないという事件が起こり、港町の有力者がギルドに依頼しクエストとして霧の海域の調査として正式に貼りだされた。
目的はあくまで調査、情報収集である。
なぜこの海域において謎の失踪が起こっているのか、何が原因か。その原因が調査船に乗った冒険者によって解決できるような程度ならばそれでよし。
そうでなければ即刻撤退し、王都に報告、騎士団の要請である。
「さてさてこりゃ嫌な予感しかしねーな」
襲われた猟師の船の残骸であろうそれが波でぶつかりゆられ呻き声のような音をあげる。
「――なにかくる」
シウスは異様な気配を感じ取り、剣のような斜視をさらに細め、他の冒険者も身構える。
霧の中から、一隻の船がゆらりと浮かびあがる。
船体は朽ち果て、マストは朽ち破れ首皮一枚で垂れ下がっている。
亡者が吐くような生臭い空気が、船が近づくとともに押し寄せ肌を撫でる。その異様な光景に船員達は「ひい」と抱きあい悲鳴をあげた。
荒事に慣れている冒険者達でさえ身動きができずに汗を垂らす。
みな一様に緊張した静けさの中、ガチャリと緊迫した空気のなか金属音が響いた。
シウスが反射的に振り向くと船内に続く扉が開かれていた。
「あら? 静かになったんですけど、もしかして到着ですか?」
ひょっこり顔を出したのは、小麦色の髪の女。たっぷりとした白のローブに身を包み、その手に持った釣竿を嬉しそうに胸の前で掲げこちらの様子を伺っている。
緊張感の欠片もない、しかしどこかで聞いたその声音にシウスは疑問符を浮かべる。
(……冒険者、か?)
「ふぁ~、すごいまるで船の墓場みたい。ちょっと恐いかも……あっ」
女は周囲の惨憺たる光景に見入り甲板から出てくると板に躓きそのままうつ伏せに転んだ。
「――ぐべぇっ」
緊迫した空気のなかドジっ子? いや、それにしては歳がと、みな心のなかで思った。
「いたたたー」
シウスは呆れたように白髪をかく。
「おいおい大丈夫か? なんもない平坦なところでよくつまずけるな」
苦悶の声をあげる女に手を差し伸べ、引き起こしてやる。
「あっ、あいたたた、ありがとうございます。こ、これは、とんだ恥ずかしい所を、あ、初対面の方にはちゃんと自己紹介をせねばですね。お師匠さまにも初対面の印象がすべてを決めると言われましたし……、わ、わたくしベアトリーチェ。ベアトリーチェ・ルク・ロシニョルといいます。あなたは?」
ベアトリーチェは恥ずかしかったのか真っ赤になりながら名前を告げてくる。
「ああ、おれか? おれは流れの冒険者をしているシウスってもんだ」
白髪の冒険者が名を告げると同時に周囲からどよめきがあがった。
「シウスって、『雪猫座』のシウス?」
「銀髪に、剣のようにするどく眼つきの悪い斜視……」
「間違いねぇ。あの眼つきの悪い斜視。『雪猫座』だ! 今回のクエスト、まさかの『座』持ちがいるのかよ。こりゃ楽勝じゃねえか?!」
眼つきが悪い? おい聞こえてるぞ。
賞賛のなかに混じる悪口にシウスの額に青筋がビキっと浮き上がる。
「おい待て待て、あいつ一人に活躍されちゃクエストの報酬全部もってかれねーよ。俺らも気をひきしめねーと」
「五つ星の上のランク。事実上最高ランクの冒険者。おれ初めて見たよ。でも『雪猫座』ってずいぶん可愛いっすね」
「ばあーか。そりゃ、町にいる猫の話だろ? 雪猫ってのは獲物を求めて何千キロと平気で移動する獣なんだぞ? どんな危険地帯や未知の領域であろうと獲物の為なら躊躇わず足を踏み入れ、標的を狩る『追跡者』って異名をもつ猫だ。あのシウスってやつももまたどんな危険な場所でも未開地域でも単独でいっちまうってクレイジーなやつよ。どんな標的があるのかしらねーが、そんな命知らずなところと機動力がまるで『雪猫』のようだってんで、ギルドがその名を与えたっつー話らしい」
「ひぇーっ、そんな奴、いや方なんですね。でもそんな『雪猫』がなんでこんなクエストに?」
「さあな、大方ギルドに直接依頼されたんだろ? 『雪猫』は未開地域を主に活動している。今回のクエストは情報が不足している。海のクエストってことで大方の予想ができても実際の所、どこにどんな危険が孕んでいるのかわからない。そんなクエストに打ってつけの冒険者が『雪猫』よ。常に未知領域に身を置いているやつの危険察知能力はギルドに高く評価されてるからな。そこで奴にこのクエストの引率として白羽の矢が立ったってところだろ」
周囲の反応にシウスは気恥ずかしそうに頭を掻く。
ギルドに『星座』を貰ったのは一年前。今回のクエストは本来であれば気乗りしなかったが、ギルドからの直接の依頼と交換条件のもと受けることにした。
冒険者のランクが三ツ星より上になればギルドにとって重要であると判断されたクエストには上級冒険者に直接の依頼がいく。シウスの立場もまたそれであった。
自身もまた駆け出しの頃は上級冒険者に少なくない助力を得、やってきた。安易に断わることはできないのだ。
「っていうか、あんたも冒険者か? 見たところドン臭そうだけど、一つ星にも見えねーしな。だからといって二つ星にはまったく見えねー」
冒険者のランクは、ギルドに登録すると星の入ったプレートを与えられる。ランクが上がることで二つ三つと増えていき、これが五つより上になると『星座』が与えられる。
一つ星とはいわゆる冒険者になりたての初級冒険者のことであるが、シウスには目の前の婦人が初級というには年が……。
「一つ星に見えないってどういうことでしょうか? もしかして、私が若くないとか、そういうことでしょうか?」
女の瞳が凍てつくように細まった。瞬間、シウスの首筋にぞわっと疼きが走る。
周囲がビリっとひりつき、やりとりを傍観していた者はさっと顔を背け、海の様子を観察している。
「ああいや、なんだその、ほら! 感じるんだよ新人には思えないけど、何かその内に秘めたものを感じるって、ほら? 俺こう見えても『座』持ちだろ? そういうの感じちゃうタチなんだよ」
シウスは心中やばいと察し慌てて言い繕う。
「あら、そうなんですね」
ベアトリーチェは手をぽんっ、と合わせ凍てつく瞳を笑顔に変える。
シウスはその笑顔に窮地を脱したかと、胸を撫で下ろす。
「みなさま方は冒険者さんのようですけど、冒険者さんといえば、クエスト。クエストと言えば危険な冒険にそれに見合う財宝と報酬。クエストをたくさん成功させて報酬をたくさん稼いでらっしゃるのでしょうね」
急になぜそんなことを? 気にかかるが――目の前の女はどこか所帯じみた田舎臭さを感じる。まるで近所の嫁に行き遅れた三十路女が何かできることはないかと思い切って冒険者ギルドに登録してクエストに初挑戦してみましたという風体である。
シウスは田舎の風景を思いだし自嘲気味に口端に笑みを浮かべる。
「あんたが思っているほど冒険者は儲かっていないさ。危険なクエストはそれこそ命がけだ」
周囲の冒険者たちも物知り顔で頷く。
「装備の新調に、怪我したときのための回復アイテム。それらは一般人がおいそれと買える値段じゃない。確かに報酬は悪くない。だが命をかけるために、冒険を続けていくためにかかる金もまた一般人が、一生をかけても手にはいる金額じゃないんだぜ?」
シウスはこれみよがしに腰に帯刀している剣を引き抜く。不思議な銀光を放っておりそれだけで素人目にもその一振りが値打ち物であることが分かる。
「おおお」っと歓声が沸く。
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