二章 幽霊船の花嫁②

「……その変な海域に迷い込んだからですか?」


「そう。迷い込んで命からがら帰ってきた人の話だと船の墓場に行き着いたとか化物に襲われたとか。わけわからなくってその海域を調べるために船をだした人も帰って来ていない。あいつも結局帰ってこなかった。それから危険だってことで漁は禁止されたんだ。魚の仕入れはほとんどなくなって、それでもこっちも生活していかなくちゃいけないからさ」


 彼女の海色の瞳には空に浮かんだ雲が虚しくうつっていた。

 あいつも結局帰ってこなかった。なんとなく察した。


「そう。だから、魚がこんな高値に」


 ベアトリーチェは自分がおばさんと言われ怒っていたことが恥かしくなり、涙が滲んだ海色の瞳を見つめる。

 そして、ベアトリーチェは彼女の肩にそっと手を置き、一言、彼女に向けて言った。


「……どんまい」


 ピシリとひび割れが走る音とともに娘の顔が引きつった。二人はきっと睨み合う。


「どんまいって何よ!? ここはおばさん気の利いた台詞をいうタイミングでしょ? 『どんまい』? どんまいじゃないわよ! おばさんどういう感性してんのよっ」


「もうおばさんおばさんって言わないで! 私おばさんじゃないものっ! まだお肌もぴちぴちで近所の果物屋のおじさんからはお嬢さんって言われているんだもの! おばさんじゃなくおねーさんって言ってよ!」


 睨み合う二人。


「「なによっ!」」


 二人は一気に頭に血が昇り激昂したためにふらっと立ちくらみを起こす。慌てて手近な壁に寄りかかる。


 海猫の鳴き声が青空に響き、南風が海面にさざ波を立てていく。

 近くの砂浜からぽっこりと顔をだしたカニが押し寄せた波にころころとさらわれていく。


「……ごめんなさい。私こういう時どんな言葉かけていいかわからなくて」


「……もういいよおば――、……おねーさん。私もキレちゃって、悪かったわ」


 堤防に羽休めに下りてきた海猫がどうしたの? といった顔でこちらを伺っている。


「その……、あいつって、恋人だったの?」


「まあ、ね。将来を約束した仲ってやつ? 私たちもうすぐ結婚する予定だったんだ。……そう結婚するはずだった。それはもう盛大な結婚式よ」


 声は弾み、まるで夢見る少女のような瞳になる。


「私たちは鰯のアーチに歓迎されて貝殻の祭壇で永遠の愛を誓い合うの。彼に差し出された赤サンゴの指輪が私の左指にサメのように喰らいつくの。永遠に離れないように。そして鰯のトルネードに私たちの愛を乗せて世界中の海に届けるの。きっと二人の人生は潮の満ち干のように波のある人生。それでも光輝くクラゲが照らしてくれて私たちは大海原を旅してきっと二人だけのひとつなぎの秘宝を手に入れるのよってね。ふふ」


「……あはは」


「でも……。そんな二人のこれからの門出を邪魔する不気味な霧が現われた」


 娘の瞳に光が揺れやがて消え失せる。


「どんな荒波でも彼は自分の操舵術で乗り越えられるって、どんな海域であっても漁師である自分は魚を獲ってみせるって」娘の瞳に涙が滲む。

「彼が漁に出て、もう一週間がたつわ」


 漁にでて一週間という時間は他の猟師と同じくその彼は帰ってこないということを意味しているようだ。


「どんな人だったの?」


「彼はとてもやさしい人だったわ。そうまるで深海に漂うオニキンメのような」


 ベアトリーチェはその魚を知らなかったので、「そう」とだけ相槌を返した。


「でも一度漁に出ればまるでマグロのような速さとサメの牙のするどさで、鰯の群に網を仕掛けるの。おじいちゃんはその手際のよさに、よく海がめの産卵に似ているって言ってた」


「へー」娘が楽しそうに話すので相槌だけ返した。


「そんな彼も陸に上がれば、陸に上がったかっぱのように無気力になって、それが可愛くて」


 急に東洋のモンスターが出てきたので魚類? と困惑したが考えても仕方ないので黙って相槌だけを返した。


「でも、もう彼はいないっ」


 娘の瞳からはついに涙がぼろぼろと零れだしていく。


「……あなたの未来の旦那さまは、みんなから好かれるマダイのような方だったんですね」


「……」


 違った、かしら? ベアトリーチェの額に汗がたれる。


「いやね。マダイだなんて彼そんなイケメンじゃなかったわ。ふふ」


「そ、そんなこと、ないですよ。あは、あはは(マダイってイケメンの部類に入るのね)」


 笑顔を引きつらせながら笑う。


「ありがとう。少しだけ話せて楽になったかも」


「そう。でしたらよかったわ。気をしっかり持ってくださいね。それじゃ――お魚お安く」


「断わる。でも聞いてくれてありがとうおねーさん」


「いや? 今の流れだと……」


「ごめんね。私も生活かかっているからさ」


「え、あ、そうよね。おほほほ……はあ」


 彼女は生きているかどうかもわからない男を待ち続けるつもりなのだろうか。その事実を抱えながら、魚屋の娘は日々をこれからも生きていく。彼の幻影を追いかけるように海が見える店に立ち続け。

 それは、儚さのなかに垣間見えるたくましさか、それとも虚しさか。

 ただ――どうしよう。

 ベアトリーチェは当面の問題である魚の調達に頭を悩ませる。

 娘は『値切り』交渉には応じてこない。そもそも多少値下げしてもらったところでベアトリーチェの皮袋には3千ルノしか入っていなかった。圧倒的にお金が足りない。

 はてさてどうしたものかとベアトリーチェは眉をへの字にまげ困ったものだと溜息をつく。


「おい! ギルドから冒険者たちが派遣されたそうだぞ。ハボク船長の船に集まっている」


「ほんとうかよ! これでゴーチ海峡の霧が晴れるかもしれねーな!」


「ああ、領主もこれは町の一大事だってことで多額の報酬金をだしたらしいぞ」


 ベアトリーチェの耳がぴくぴくと動く。

 船の手入れをしていた猟師たちに興奮した声が飛び込んできてそんな話題で持ちきりになる。


「あっちに冒険者たちが集まってる。中には『座』持ちの冒険者もいるって話だぞ!」


「ほんとうかよ。こうしちゃいれねー」


 会話が終わると猟師たちはあっという間に走り去っていった。


「町が冒険者ギルドに依頼して調査船が出るみたいね。きっとあの海域の霧をはらしてくれるわ。そしたらきっと漁ができるようになる。そしたら、値段も元に戻ると思うわ。もちろんすぐってわけじゃないけど。そしたら、おねーさん買いにきてよ。……って、あれ?」


「ちょっと待っててくださいねー。あっ、そのお魚売らないでくださいねー」


 ベアトリーチェはすでに猟師たちの後を追いかけていた。

 瞬間、地響きが起き、娘の体が浮き上がる。


「――っ」


 ベアトリーチェの後を追うように石畳にひび割れが生じていく。


「何? 何々? 何あれ? え? っていうか待ってって、どういうこと?」


 少女の前から謎のおばさんはあっという間に消え去った。

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