二章 幽霊船の花嫁①
小麦色の瞳には海猫が風にのり優雅に青い空を羽ばたいている景色が映る。
燦々とした陽射しに癖っ毛小麦色のショートボブが黄金色の光をはらむ。
潮の香りに胸が高鳴り、足は自然とへたくそなスキップをする。
ゆったりとした白いローブの裾が潮風をはらみ、ふわりと膨らんだローブがまるで少女のような心を表しているようだと、巷の囁きが聴こえてくる。
世界の果てまで繋がっていそうな地平線にベアトリーチェの心は踊る。
たくさんの観覧船、漁船、にぎわう港の活気を全身に浴び、ひさしぶりの遠出に気分を良く買い物する――はずだった。
検討はずれの時間なのか猟師たちの目はどんより生気がない。肝心の魚を卸している船はどこを見渡しても見当たらない。
にぎわいとは縁遠い暗さのなか、ある店に並べられた品に小麦色の瞳を驚愕に染め、その場に縫い付けられた案山子のように佇んでいた。
普段は近隣の村で食材の買い出しをしているが、今日はお師匠が魚を食べたいということだったので、おもいきって港町にまで足を伸ばしたのだったが。
「……30万ルノ? た、高すぎるっ……暴利、サンモ一匹に。おかしくないですか?」
ベアトリーチェは魚の値札に書かれた数字のゼロを「ひぃ、ふう、みぃ」と数え、目をしろくろさせる。サンモは秋の季節には脂がのり、焼けばその身はふっくら皮はぱりっと香ばしくとても美味しい魚ではある。
だからといって高級魚ではなく庶民魚と言われるほど家計に優しい代表のような魚だ。
それがなぜこんな法外な値段で売られているのか。
困ったように皮袋の中身を覗くが。
溜息一つ。「足りない……」
背後でいたずら好きなシルフが空風を起こし、海猫の羽をヒューっと空へさらっていく。
「ひやかしはお断りだよ」
海色の髪の女店員がきつめの目を送ってくる。金がない奴はただのブタだよといわんばかりの目だ。
「高すぎないですかっ? サンモ一匹30万ルノって……法外です」
「だったら、よその店で買えばいいじゃん」
娘は肩を竦ませ取り付く島もない。言い方から察するにどの店にいっても値段は変わらないけどねと告げている。
「むむぅっ」
しかし、ベアトリーチェもここで引き下がる訳にはいかなかった。お師匠に「今日の夕飯は魚を食べたい」と言われたのだ。ならば、それを用意するのが弟子の務め。
お師匠の言葉はすべて花嫁修業につながっている。このクエストに失敗するということは花嫁という高みが遠のくということ。なんとしても手に入れねば。いやここは弟子入りし培ってきた花嫁修業の成果を見せるとき。ベアトリーチェは鼻息荒くずいっと一歩前へ。
「んっ、んっ、ごほ、ごほ」「??」
この世界で花嫁に必要なスキルの一つそれは『交渉術』。
一家の家計を司る嫁は、その身一つで戦場へ赴き、研ぎ澄まされた嗅覚を武器に少しでも安く獲物を狩り取らなければならない。
歴戦の主婦などは、店主と対峙した瞬間に『値切り』の算段を立て追加の『おまけ』までのシナリオを描きだす『交渉術』を身につけているものだ。
その術は大きくわけて三つあると言われている。
一つは――『相場』。七百ルノで店に売られているならば他の店では五百ルノで売ってあったと。それを突破口に『値切り』を行なうものだ。
二つめは――『罪悪感』。初めに大きく値切って断わられることで、相手に一度断わった罪悪感を植え付け、再度、本来の値段の十分の一ほどを値切る術だ。
三つめは――『贈り物』。相手に飴のようなちょっとしたものを提供することで、警戒心を緩め、値切りを行なうものだ。
これらが基本形となる『交渉術』。歴戦の主婦になれば自分流の『武器』を身につけている。
そしてまた歴戦ではないにしてもベアトリーチェもまた己自身の交渉の武器を持っていた。
「ごっほん。んん……」
「?」
「あの~。守護してあげても、いいですよ?」
「…………守護?」
娘は急に何を言い出したんだこのおばさんは? という目をした。
「そうです。値引きして頂く変わりに、お店を守護してあげないこともないです。このご時世いついかなるとき店に悪徳地上げ屋に目をつけられて、店頭のお魚をぶちまけられるなどの嫌がらせにあうかわからないでしょ? そんなときのために、守護してあげてもかまいません」
ベアトリーチェは胸をドンっと叩き誇らしげに告げる。
娘は目をきょとんとさせ、笑った。
「あはははは――っ何言ってんのこのおあばさん。お腹痛い、笑わせないでよ。おばっ、おばさんがうちを守ってくれるの? おばさん冒険者には見えないけど、魔法でも使えるの? あはは」
「――お、おばっ」
ガラスにピシリとひび割れが入った音が聴こえそうくらいベアトリーチェの笑顔が固まる。
な、何、この子? すごく失礼。私は見た目はまだまだ二十代前半と言えなくもない。
事実、森の近くの村の果物屋のおじさんには「お、お譲ちゃん可愛いから、リンゴを一つおまけしちゃう」「あら? うふふ。じゃあその大根ももらっちゃう。もちろんおまけとして」「え?」。そんな会話は日常茶飯事。果物屋のおじさんからはあくまでお嬢さんなのだ。
その事がきっかけによりその果物屋の常連になったのは当然と言えよう。
なのに、この子はおばさんと言う。
聞き間違いかしら?
「あはは、おばさんどこから来たの?」
聞き間違いじゃない。
「えーっと、おねーさんは近くの森からちょっと足を伸ばしてきたといいますか」
それとなくいい間違いを正してみる。
「……? へえー、おばさん森から来たの?」
額に青筋が浮かぶ。
「そ、そうおねーさんは森から夕飯の買い出しに来たのです」
「じゃあ知らないのも無理ないね。一ヶ月ほど前からかな、港の玄関口にゴーチ海峡ってのがあるんだけど。そこに変な霧が発生してね。船をだした者は妙な海域に迷い込むって話なんだ」
「……おねーさん」心のなかで負けないとつぶやく。
「聞いてる? おばさん」
「ええ、しっかり聞いてますともっ」
再び青筋が浮かぶ。
「それで漁にでた漁師が帰ってこないって騒ぎになって。時期的にも天候的にも海が荒れる時期じゃなかったからおかしいってことになって、他の漁師さんが探しにいったんだ。そしたらその人たちも帰ってこなかった」
彼女の海色の瞳が地平線の彼方を見つめる。
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