一章 天空から花嫁

 

 空から光の神が舞い降りた。そんな伝説が残る地であった。

 その軌跡ともいうべき光景がステンドグラスによって描かれていた。


「……光の神ルムミナの奇蹟か」

 

 かつての聖堂。今は見る影もなく天井と外壁は無残に朽ち果て、見上げれば星の光が瞬いている。聖像と壁面のステンドグラスが焚き火が作りだす陰影にうつろう。

 焚き火に白髪の男が照らされる。剣のようにするどい目が印象的な男だった。

 その目がステンドグラスを眺めている。

 人々が争いあっている中央に下りたつ光の神ルムミナが人々を正気に戻している光景だった。


「古王国時代に流行した『人狼病』を患った人間を救った偉人の話が神格化されたものか……ここにも、とこしえの麦の情報はなかったな」


 自嘲気味につぶやく男の名は、シウス・コルポーネ。一介の冒険者である。

ナイフでそぎ獲った干し肉を炙り、熱く少しやわらかくなった肉をかじり切る。

 凝縮された肉の旨味が口の中に広がり、荒事続きの心を少しだけ和らげてくれる。

 ただ、焚き火の光がとどかない聖堂の外からは、魔物の気配がちらついている。

 自嘲気味に口端だけで笑うと先ほど切り倒し腰掛にしている魔狼から相棒の剣を抜き布で手入れを始める。

 血糊がついた刀身を拭い、真水で洗い流す。それを何度か繰りかえし、刀身を炎に翳す。

 自分の顔が映され、頬に刻まれた傷や、すっかり粗野になった己の顔を一瞥し、また笑う。


「里をでて十年、いやもっとか。こうまで変わっちゃ、親父やお袋は俺とわかんねーだろな。アーシャは今頃、村の若い奴と結婚して子供もいるだろうか」


 風にゆれる炎を見つめ、自分の心の中にまで空風が吹き込んでいく感覚に、また笑う。

 歳の所為か。最近では焚き火の中に無鉄砲だった頃の自分や、家族の姿が懐かしく浮かび上がってくるからたまらない。

 荒んだ心が『何か』欲しがっているのか、シウスは囚われまいと頭を振る。


「いけねえ、いけねえ」


 枯渇した心に燃料を継ぎ足すように足元の枯れ木を焚き火に放り込む。

 炎は勢いを増し、大きく揺れる炎に昔の記憶を浮かび上がらせる。


「っち、今夜はどうもいけねー。しみったれた風がよくないのを運んできやがる」


 そのうち炎に映しだされる記憶にまるで意識を吸い取られ眠気に瞼が閉じていく。


「それでも……冒険者を……やめるわけには、いかねえ……とこしえの、麦を――」


 ――瞬間、首筋がヒリッと疼く。

 剣の柄を瞬時に握りこみ、閉じた瞼はすでに見開き、覚醒している。


「なんだ……」


 モンスターの気配じゃない。だがビリビリと首筋が疼く。『何か』近づいてくる気配だけがする。周囲の気配を探っても不審なものは見当たらない。はっとした。


「――っ上か!」


 振り仰いだ上空に星の瞬きよりも眩しい一条の光が徐々に落ちてくる。


「なんだ、あれは……」


 眼をすぼめるが、姿形を認識するには距離がある。

 気づけば夜の廃墟を駆け出していた。獣のように神経が尖っていく。

 すでに根っからの冒険者。好奇心が踊りだしていく。

 駆けるシウスの表情は固く口は真一文字に引き締められているが、その眼にはさきほどの悲壮感など無かったように輝きを灯している。


「鬼がでるか、蛇がでるか、それとも――」


 小高い崖に上がり距離は確実に近づいていた。

 光が強すぎて眼の前に手を翳す。


「まじかよ……」


 その光に神々しさを感じた。地域に伝わる伝説がぶり返す。


「その神は、天女のように美しく。町人を正気に戻した――」


 徐々に落ちてくるその光を抱きとめるように腕が自然に広がっていく。

 光が弱まってきたのかそのモノの姿を捉え始めた。

 ――でかい岩だった。

 光は急速に弱まり、落ちてくる速度が増した。

 シウスは落ちてくるものの丁度、真下。丁寧に手を広げており抱きかかえる準備万端。

 岩が、真上に――。


「――っおいおいおい待て待て待てドゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウワアア――っ」


 稲妻が落ちたような音に紛れ小さくカエルが踏み潰されたような「プギュっ」という断末魔と共に視界が暗転。


「着地成功~。やったねゴーレムさん」


「御意」


「それにしてもお師匠様は天界に浮かぶ孤島に美味しい果実があることをご存知だなんてやっぱり博識ですね。これでまた一つ私の花嫁としてのレベルがあがりました」


「御意」


 薄れ行く意識のなか、聞こえてくる何者かの会話。両親と妹の顔が浮かび、村の祭りや土を耕していた記憶が通り過ぎていく。


「さ、早くこの果物をお師匠様に届けないと。鮮度が大事といいますからね。全速力で戻りますよゴーレムさん」


「御意」


「ん? わわわ! ゴーレムさん下に人が――」


 そこでシウスの意識は途絶えた。


 さぁーっと風が麦穂をたおしていく。実った香りを胸いっぱいに吸い込むと心が高鳴なる。麦穂から顔をだす父や母が太陽の光よりも眩しい笑顔でお茶を取ってくれとこちらに手を振ってくる。妹が俺の手からお茶をいれた革袋を奪うと楽しそうに駆けていく。

 黄金色に染まる空が大地に降りてくるころ待ちに待った収穫がはじまる。


 眼を覚ましたシウスは、呆然と体を見回していた。


「無事だ……。夢? いや確かに俺は何かでかいものの下敷きになって――」


 証拠にシウスを中心に流星でも落ちてきたかのように地面が窪んでいた。


 体には傷一つ見当たらない。何が起きたのか考えようとしたが自嘲気味に頭を振り止めた。


「俺……冒険者やめて村に帰ろうかな」


 この世にはまだまだ己の理解の追いつかないことがあることを知り、気弱になったシウスは天に昇るお日様をちょっと哀しげに見上げ、そう心の声を洩らした。


 そして月日は流れる。

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