第8話




 流石にクラスメイトの女子相手に身構えすぎな気もするが、つい数時間前に逃げ出してしまった自分を鑑みればこれでも進歩しているほうだろう。

 あんまんは冷めてしまうが温め直せば問題ない。


「……だれ?」


 橋の下で、膝を抱えて蹲っていた青島が顔を上げる。

 俺の顔を見てもハッとしたような表情にはならない。

 よくわからないが今の青島は俺を覚えていない設定のようだ。 

 ここらのコミュニケーションで、彼女たちのこの言動が魔術やら催眠術やらによる精神的ダメージの影響なのか、それとも単に演技力がカンストしているだけなのかをハッキリさせてやろうじゃないか。

 考えがまとまったこともあって今はやる気に満ち溢れているところだ。


「同じクラスの如月だよ」

「如月……そう。こんばんは」


 ここで挨拶。

 なかなか機微が読み取れない相手だが、こちらとて引くわけにもいかない。


「青島はこんな雨の日に何やってるんだ? 傘も持ってないようだけど……」

「……あなたには関係ない」


 目を伏せて突っぱねるとは意外な行動だ。

 こんな儚げなオーラ全開の少女が、あの橋の下で不純異性交遊にいそしむムッツリ無表情っ娘と同一人物だとは思えない。

 

「なぁ青島、俺はこう見えても口は堅いほうなんだ。悩み事くらいなら聞けるぞ」


 多分これまでの人生で一番がんばって女子にアプローチをかけてる瞬間だ。

 動機の九割は自己保身なのだが。


「あなたには関係ない。これで二度目。一般人に話せることなんて何も──」

「いや、青島も一般人じゃないか?」

「……うるさい。世の中知らないほうがいいことだって多いのだから、わたしのことなど放っておいて早く帰ったほうがいい」


 ツンツンだ。昨日までのデレなど欠片もない。

 悩んでいるときに馴れ馴れしく話しかけてきたよく知らないクラスメイトの男子に対しての反応なんて大概こんなものなのか?

 しかしこれでは埒が明かないし、少々切り込んでいこう。


「──魔術とか、関係してたりするのか」

「っ……!」


 それを口にした途端、青島の肩がビクッと跳ねた。

 間もなく、立ち上がった彼女は胸ぐらをつかむ勢いで俺に詰め寄ってくる。

 急変した少女の雰囲気に気圧されてしまい、思わずたじろいで一歩引く。


「あなた、どこの所属。答えによっては帰せない」

「は? なにいって──」


 そしてに気がついた。


「……ッ!?」


 首元にナイフが突きつけられている。

 瞬間、血の気と余裕が引いていく。

 蛇に睨まれた蛙のごとく、声を上げることもできないまま彼女に密着されて固まってしまった。

 なぜか、ナイフから僅かに冷気を感じる。

 まるで冷凍庫から出したばかりのアイスバーのような、氷によく似た寒さが首の下にあてがわれている。

 比喩などではなく、どことなく覚えのあるひんやりとした冷たさがすぐそこにあるのだ。

 意味が分からない。

 こいつは先ほどまで完全に手ぶらだったはずだ。

 服装は制服だが、ブレザーはなくワイシャツとスカートだけ。

 こんな物騒なサバイバルナイフを隠しておける場所などあるわけがない。

 だいたいそんな危険物が目に入っていたら近づこうとなんかしなかった。危ない道具を持っていないかと、一応遠目から確認もして、それから改めて声をかけた。

 おかしい。

 どうして──待て、落ち着け。

 人間あまりにも常軌を逸した状況に置かれると、逆に頭が冷静になるんだな、と暢気に考えられる程度には余裕が戻ってきている。

 いや、これは余裕か?

 勇気……無謀……違うな、ヤケになっているだけだ。

 だが突然の恐怖体験を数時間前に赤嶺で体験していたせいか、思ったよりも現状を俯瞰して把握できているのもまた事実だ。

 ヤケでもなんでも、パニックにならずに思考できているならそれでいい。

 落ち着け。

 深呼吸はするな。

 なるべく早く返事を返して、まずは彼女から敵意を削がなければ。


「……どっ、どこにも所属してない。ていうか、そもそも魔術って言葉が何を指すのかも、おまえのいう所属ってやつがなんなのかも一ミリたりとも把握してない」

「なら、どうしてわたしに魔術のことを聞いたの」

「もしかしたら、って思っただけだ。最近そういう怪しげな話が流行ってる掲示板を見て……ははっ、ち、違うならいいんだって。勘違いさせて悪かった。少なくともこうしていきなりナイフを突き立てられるほどの悪事を働いた覚えはないって……っ」

「…………?」


 怪訝な表情に変わる青島。

 無表情がデフォルトなだけで、そういう顔もできるんだな。

 ……まずい、命を危険にさらされてアドレナリンが過剰になっているせいか、余計なことばかり考えてしまう。 


「ライサス」

「……えっ?」


 は?


「……その反応、本当に何も知らないんだ」

「だ、だから最初からずっとそう言ってるって」


 ”ライサス”という言葉に対しての俺の反応があまりにもマヌケだったおかげか、軽くため息を吐いた青島はナイフを持った腕をおろしてくれた。

 すると彼女の手に握られていた半透明のナイフは砕け散り、地面に落下すると瞬時に溶けて水と化した。

 その瞬間、心臓の鼓動を強く感じ始める。

 緊張状態が解除されて、思わず全身から力が抜けそうになるのをグッとこらえる。

 驚きの連続だが、ここで正気を失うのはまずい。


「ライサスは相手の身体に電流を流し込む魔術。基本中の基本である魔術を知らないなら、まあ信用してもいい」

「……お、おまえ、まさか俺に電気ショックをするつもりだったのか? 下手したら死ぬぞ?」

「ビビってたら実際に発動してた」


 こいつ頭おかしい。


「──待て。なんでそんなことを俺に教える? お前の口ぶりから察するに、知られちゃいけないことなんじゃ……」

「これは警告。少しでも魔術をかじったのなら覚えておくべき。主に自衛の意味で」

「自衛……?」

「ライサスという言葉を口にする人間は間違いなく魔術師。初級魔術だけど、よく使われるもの。これを耳にしたらすぐさまその場を離れたほうがいい。下手に関わろうものなら確実に命を落とす」


 話に現実味がなさ過ぎて、逆に恐怖がわいてこない。

 

「あと、わたしにも二度とかかわらないこと。近づけばただでは済まないし、わたしとしても無関係の一般人を守れるほどの余裕なんてない」


 そういって踵を返した青島は、俺を置いて橋の外へ向かって歩き出した。

 傘すら持っていないというのに。


「おい!」

「うるさい」


 声をかけるともう一度だけ振り返り、彼女はその手に再び、その切っ先を俺に向けた。

 俺が生まれて初めて目にする、敵意のこもった視線でこちらを睨みつけながら。


「勘違いしないでほしいのだけど、さっきのは優しさじゃなく警告。次、学校の用事以外でわたしにかかわろうとしたら──殺す」

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