第5話


 翌日の放課後。

 俺は内心舞い上がりながら校舎の階段をおりていた。

 きっかけをもらったとはいえ、そう都合よく事が運ぶことはないだろう──とあまり期待しないで登校したのだが、美術の授業でペアになった中嶋という男子に手品を披露してみたところ、なんと意外にも絶賛の声をいただいた。

 それをきっかけに話してみると、なんと彼の実家はスズさんがよく立ち寄っていたあの八百屋だったらしく。

 中嶋はたまに店番をしているときに訪れる彼女に憧れを抱いていたらしく、そこから繋がる話もあって彼とはすぐに打ち解けることができた。

 彼は女好きというか惚れっぽいというか、女性に興味を抱きやすい性質があったものの、個人的にはさして気にするほどでもない個性というか、むしろはたから見れば面白いと思ったため、相性が悪くなかったのも幸いだった。

 俺は学校生活中に話せる仲の人間が欲しくて、中嶋はスズねえとつながるきっかけが欲しかった──互いに多少の打算はあったものの、話の合う友人になれたのは間違いない。

 同じゲームをやっていたのもポイント高かった。彼と話すきっかけをくれたスズさんと美術の先生にはもっと感謝しなければ。


「……?」


 昇降口におりて、立ち止まる。

 中嶋は部活の先輩に挨拶をしてから帰るとのことで、このあと校門前で待ち合わせをしているため、一刻も早くそこへ向かいたいのだが、どうしても立ち止まらざるを得ない状況が目の前にはあった。

 あの茜色の髪──赤嶺だ。

 友人を待っているのか、ソワソワした様子で立ち往生している。

 そういえばだが、今日の昼休みはあの空き教室に彼女は現れなかった。

 自分から取り付けた約束は反故にするけども、噂が立つほどの有名人なのはやはり間違いないようで、男女ともに下校前の生徒から逐一声をかけられている。

 中嶋から聞いた話によれば、なんでも読者モデルとやらをやっているようで、さらには動画を投稿しているSNSのフォロワーもそこそこ多いらしい。

 であればあの人気っぷりも納得だ。 

 他の生徒の噂話を小耳にはさむ程度だった俺ですら有名人だと知ることができるほどの影響力を持つ彼女だったからこそ、中嶋からもたらされた新情報を耳にしてもさして驚くことはなかった。

 そして、また一つ判明した事実がある。

 校内では名の知れた人気者で忙しい身にある彼女が俺に近づいた理由だ。

 何を隠そうそれはイタズラ、ないし罰ゲームである。

 あのいつもボッチの根暗をからかってやろうぜ──くらいのノリで賭け事がおこなわれ、それに負けたからこそ彼女は俺に近づいて恋人のフリなんかで遊んでいたのだろう。

 青島の件は……まぁ、あいつもきっと似たような感じだ。

 ぜんぶ罰ゲーム。

 そうしたらあの二人のおかしな言動にも説明がつくのだ。

 教えてないはずの名前も、よく考えれば教室にある座席表を見たらそれで把握できる。

 察せたのなら、あとは空気を読むだけ。

 舞い上がって声をかけたりなどせず、遊ばれた被害者は飽きられたおもちゃだったと自覚して、さっさと退散するに限る。


「──あわっ!」


 そう考えて彼女の横を素通りしようとした瞬間、赤嶺が段差に躓いてしまった。

 幸い転倒することはなかったものの、空きっぱなしだった彼女のカバンの中からノートやら筆箱やらが散乱してしまう。

 偶然にも人の通りがパタリとやんでいたこともあり、彼女に手を貸せるのはその場で俺だけであった。

 しょうがない。

 ここで無視してまた罰ゲームの標的にされてはかなわんし、人としての普通の優しさ程度は向けてやろう。


「だいじょうぶかさくら……これ、教科書」

「あっ。ごめんね、ありがとう」


 ほら、まるで他人行儀。

 すでに彼女の中で恋人ごっこは終わっていたらしいし、俺の必要以上に声をかけないムーブはきっと正しい。

 茜色の艶やかなロングヘアーに、カラコンなのか自前なのか判別できないがとにかく発色のいい金色の瞳と、目鼻の整ったいかにもなモデル顔──容姿は最上だが、中身が最悪なことは既に判明している。

 必要以上にかかわるべきではない。


「それじゃ」

「あっ! ちょ、ちょっとまって」


 今すぐにでもこの場を離れたい俺の心境とは真逆に、ここへ残ることを提案してくる赤嶺。

 まだなにかあんのか。


「どうした?」

「……あの、変なことを聞くようでごめんね。……あたしたち、どこかで会ったことある?」

「は?」


 記憶消去すっとぼけタイプかよ、タチ悪いな。

 ……待て。

 ならどうしてわざわざ引き留めたんだ。

 ──あっ、しまった。

 そうだ、さっきは”さくら”と呼んでしまっていた。

 仲がいいわけでもない男子からいつまでも下の名前で呼ばれるのは虫唾が走るのかもしれない。有名人だしたぶんそういうとこある。


「ほ、ほら、さくらって名前を呼んでくれたし……」


 呼んでってお前、どこまでも他人が喜ぶ言い方を熟知してるな。

 相手が罰ゲームにハメられた男子じゃなかったら『えっ、この子もしかしてオレに名前呼ばれて嬉しいのか……?』って勘違いしていたところだぜ。気をつけなさいよ、ホント。


「ごめん、馴れ馴れしくいって悪かった。ほら、赤嶺って有名人だからさ、つい」

「あ~……なるほどね。あっ、その怒ってるとか、全然そんなんじゃないよ。むしろみんな遠慮して赤嶺としか呼んでくれないから」

「そ、そうか……」


 お前をそう呼ぶように仕向けたのは他ならぬお前自身なんだけどな。いやまあ、言い間違えた俺も悪いけど。

 ていうかここまで無知を装ってとぼけられるなんてもはや一種の才能だ。

 わざわざ引き留めてまで名前呼びの理由を聞いてきたり、まるで罰ゲーム中の記憶なんて忘れましたとでも言いたいようなその雰囲気づくりには恐れ入る。性格が悪いとかそういう次元じゃない。

 ハメた男子が俺でよかったな。

 他の男子だったらたぶんこの段階で普通にキレてるぞ。


「呼び止めてごめんね。また会ったら、そのときもできたら名前で呼んでほしいな。……えっと」

「あぁ、俺の名前か。如月だよ」

「如月くん、か。気をつけて帰ってね、如月くん」

「お、おう……それじゃ」


 昨日までの昼休みがウソのような他人行儀のやり取りを済ませ、靴に履き直して昇降口を出る。

 いま話していた間も中嶋を待たせているのだから、はやく向かわないと。一緒に帰ろうって約束した当日にドタキャンしてしまったら心象最悪だ。



「──大我っ!!」



 はやる気持ちを抑えつつ早歩きでグラウンドを踏みしめていると、後ろから名前を呼ばれた。

 それを受けて振り返るよりも先に、後ろから誰かが背中に抱き着いてきた。

 心臓が跳ねる。

 生まれてこのかた一度たりとも、背後から誰かに抱擁されたことなどありはしない。

 初めての体験に大きく動揺し、生物である以上存在する無意識的な反射反応で肩が跳ね、おもわず抱き着いてきた人物を跳ねのけてしまった。


「あっ」


 まずい、突き飛ばすような威力が出てしまった。


「ご、ごめ──」


 抱き着いてきた誰かさんも悪いが、俺も少々大げさな反応をしてしまったと、混乱しながらそう判断して振り返り手を差し伸べる。

 その手と視線の先にいたのは、つい数十秒前まで眺めていた見慣れた顔だった。


「ぁ、赤嶺……?」

「いたた……も、もうってば。急に抱き着いたあたしもわるいけど、なにも突き飛ばさなくたっていいじゃん……」

「は……?」


 尻もちをついた赤嶺が不平不満を垂れているが、そんなものは関係ない。

 ──意味が分からない。

 なにがあったらさっきのやり取りからこんなシチュエーションに繋がるというんだ。

 どうすればそんな人格が切り替わったように振る舞えるんだ?

 手を貸すのも忘れてしまうほどこちらは狼狽しているというのに、彼女はなんでもないといった雰囲気ですっくと立ちあがり、とても自然に隣りへ立って俺の手を握ってきた。

 グラウンドの砂で少し汚れた赤髪を軽くはたいて。

 いつの間にカラーコンタクトを外したのか、燃えるような紅色の瞳をぱちくりする赤嶺。

 呆けた俺を前にして、彼女もまた呆けている。


「大我……? どうしたの、帰ろうよ」

「……あ、赤嶺おまえ、まだそれ続けるのか?」

「な、なに言ってんの……?」


 恋人ごっこは終わったんじゃなかったのか。

 なら先ほどの他人行儀な、まるで初対面かのような態度と言動はなんだったんだ。

 俺の疑問も懊悩もはねのけて、赤嶺は自分の行動がまるでいつも通りであるかのように振る舞い、俺の手を引いて歩きだす。


「あっ! ……ご、ごめん、学校じゃ付き合ってるの内緒だもんね。手を握るのはまずいか……」


 手を放してきたが、そんなことは関係ない。

 困惑と恐怖が脳内を埋め尽くしていく。

 わからない。

 この眼前で”当たり前”を振舞う少女が──わからない。

 正門付近に友人を待たせている大事な約束すら太刀打ちできないほどの、茫漠とした空気に支配されてしまった俺は、ただ言葉もなく立ち尽くすことしかできなかった。


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