第3話
明らかに謳歌するべき青春のラインを大幅にオーバーしてしまっていた、あの仏頂面のくせに中身が淫猥な水色髪の少女と分かれ道で解散してから数分後。
誰も来ない橋の下で、そもそも基本的に人が外を出歩かない雨の日なのをいいことに、同級生と不純異性交遊に励んでしまったらしい自分の知らない自分に対して延々とツッコミを入れていると、いつのまにか帰るべき場所の目の前に立っていた。
「ただ、いま……?」
亀も驚く鈍重さでゆっくりと扉を開き、玄関をくぐって帰宅する。
一応の自宅のはずなのにここまで慎重かつ遠慮気味に足を運ぶ理由はただ一つ。
俺が未だこの家に馴染んでいないから、である。
時刻は夕方。
玄関の明かりはついていたが、人影はない。
誰もいないことに内心ホッとしつつ、音を殺しながら靴を脱いで家に上がる。
(……どうするべきか)
このまま二階の自室へ直行するか。
それとも居間に顔を出して帰宅のあいさつをすべきなのか。
二つの選択肢の前で右往左往してしまい、廊下に突っ立ったまま身動きが取れなくなってしまう。
そもそも泥棒みたいなムーブで帰ってきたのは、帰宅してからどのような態度で彼女に接すればいいのかを、いつまでも判断しかねていたからだ。
玄関あけてただいま一言、そのまま当たり前のようにリビングで手洗いうがい、ちょっとした小話をして自室に戻るか、適当にソファに腰かけてテレビを眺める──だなんて、まるで一般的な一般家庭の一般的な行動をとれるほど、俺はこの家を”自宅”だとは認識できていない。
それはとても、とても悲しいことだ。
彼女も俺も、互いに歩み寄りたい気持ちで日々を過ごしているというのに、内心とは裏腹に物理的な距離は全くと言っていいほど縮まっていない。
互いに親のいない身で、少々歳が離れているとはいえ
「……っ」
意を決して居間のドアノブに手をかける。
悩んでいたところで進展はない。
このまま自室に戻り閉じこもったところで、関係性の改善がまたひとつ遠のくだけだ。
そもそも挨拶もせずに家に上がったら不審者と間違われるかもしれない。
彼女と打ち解けられない原因を作っているのは間違いなく俺なのだし、歩み寄る理由を作るのも俺でなくてはいけない気がする。
両親を失って学んだことはたくさんあるが、そのうちの一つに甘えすぎてはいけないというものがあるのだ。
こちらを気遣ってくれている彼女の厚意に甘えすぎてはならない。高校二年生なら人からの厚意を自覚して、逆にこちらから気を遣うくらいできて当然のはずだ。
心に刻んだその教訓を胸に、いざ一歩踏み出すとき。
──扉を開けると、そこにはリビングのテーブルにパソコンを置いて、なにやら文章を打ち込んでいる様子の大人の女性がいた。
「あっ、大我くん!」
こちらに気づいた女性はとっさに立ち上がる。
すると厚手のニットで主張が控えめになっていたはずの胸部がたゆんと揺れた。
とっさに目を背けることもできず、しっかりとソレに視線を奪われてから、改めて彼女の顔を確認した。
安堵したような表情だ。
無事に帰ってきてくれてよかった──そんな印象を受ける。
何だと思われてるんだ、俺は。
もしかしてこの家に嫌気が差して転校早々に外泊をするだとか、そんな余計な心配を彼女にさせてしまっていたのだろうか。
……そりゃあ、まぁ、確かに昨晩は彼女が躓いたせいで牛乳を顔面にもらったけども、そんなことでグレるほど短気でも恩知らずでもないつもりだ。
「よかった、おかえりなさい……」
「……はい」
思わず目をそらして下を向いてしまう。
他人と話すときはしっかりと相手の目を見て、という常識はわかっているつもりなのだが、彼女が醸し出すほんわか善人オーラは、俺にとっては少しばかり眩しすぎるのだ。
「ただいまです、スズさん」
「ぁ……う、うん。──あっ、そうだ、今日は知り合いからケーキをもらってきたの! あとでいっしょに食べない?」
「は、はぁ……じゃあ、遠慮なく」
俺の返事に一瞬だけ暗い顔をしたものの、すぐに持ち直して別の話題を提供してくれた。この切り替えの早さはさすが大人だ。
彼女が落ち込んだ理由は自分でも見当がついている。
わずかに残っている記憶の中──つまり幼少期のころに、彼女を”スズねえ”と呼称していた事実が存在するのだ。
小学一年生のころから顔を合わせる機会がパタリとなくなり、それから十年間連絡すら一切取らなかった相手ということもあって、昔みたいに愛称で呼ぶのはさすがにハードルが高すぎる。
しかし、それはあちらとて同じこと。
昔はタイガと呼び捨てだったが、今はこの通り距離を感じる君付けだ。
仲が深まらない一因は俺だけじゃないと判明し、ほんの少しだが落ち着いた。
俺と同じ苗字を持つ、齢二十四のふわふわお姉さんだ。
両親を失って行き場をなくした俺を引き取ってくれた恩人であり、従姉ではあるが唯一の血縁者でもある。
本業がイラストレーターなせいか自宅にいる時間が異様に長い彼女だが、意外にもコミュニケーション能力は一般のそれをはるかに凌駕しており、彼女とともに近所の八百屋へ顔を出せばなんと野菜をいくつも譲ってもらえてしまう。
友人も大変に多く、夜に街を歩けばガラの悪いお兄さんたちから真っ先に声をかけられるほど容姿も優れていらっしゃる。
そんな陽キャの中の陽キャである従姉が唯一コミュニケーションに四苦八苦している相手がこの俺であり、順風満帆なはずの私生活を脅かすただ一つの要因こそが、やはり俺なのであった。
なんとなくこのまま自室に戻ると空気が悪くなると思ったのか、彼女の天敵である俺はなんとか敵から味方にジョブチェンジするためコミュニケーションを図ることにした。
具体的には手洗いうがいをし、コップに水を注いで彼女の反対側──つまり正面の椅子に腰をおろした。
まぁパソコンいじってるし、面と向かってお喋りすることはないだろう。
小話とか、相槌をうって会話っぽい何かができればそれでいい。
「そういえば大我くん」
パソコン閉じちゃった……。
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