第2話 アイはダンスを踊らない
アイは学校の正門を通って部室のある西の校舎へ向かった。今日は部員のみんなに言わなければならない事がある。思いを巡らせながら歩いていた。
ふと背後に騒めきを感じて振り返ると門の外に人だかりが出来ているのが見える。その真ん中から金属的排気音が辺りの空気を震わせると歓声と悲鳴が校庭に拡がった。キイナがハイブリッド4輪バイクに乗ってきたのだ。半透明ルーフ付きの派手なオフロード対応日本製250ccにノーヘルでの登校だ。無表情に長い黒髪をかきあげて彼女はバイクから降りた。柄の悪い男子生徒などが集まり始めたので職員室もそろそろ誰かを寄越すだろう。
アイは演劇部の長として事態を穏便に済ます為にやるべき事をやると決め、穏やかに微笑みながら門へと歩き始めた。
視聴覚室では青井リルアと八柳ミユの二人が全ての状況を校内全域監視システムで把握していた。
「うーん、悪い予感するけん、リコちゃん先輩に連絡するね....」ミユはモニターで校門付近を俯瞰で監視しつつ言った。
「いやいやいや、部長のアイちゃんおるんやけんさぁ、そげんまでせんで良かっちゃない?」リルアは楽観的だった。
「ばってん、善き後輩としては最悪の事態を想定しておきたいっちゃん。それにぃ、好感度高まるっちゃない?」とミユ。
「あーね、じゃぁミユ隊員に判断を委ねよう!」リルアは敬礼のポーズで微笑んだ。
ミユは緊急連絡用音声電信システムの起動ボタンを強く押し込んでマイクに叫んだ。電波を通してでも自分の声が敬愛する先輩に届く事が無性に嬉しくて上ずった声が出た。
ほとんど同じタイミングでリルアが更に大きな声で叫んだ。「たいへん!たいへーん!」とモニターを指差して凝視している。
「もう、どげんしたとぉ、声のふとかよぉ」
「キイナ先輩やばい、やばいって!」とリルア。
ミユがモニターを覗き込むとキイナと大柄な男が対峙しているのが見えた。顔を付き合わせて何か会話をしている。男は汚れた作業着の様な服を着ていたが学生であろう。
ミユは指先で画面の男に触れ「検索」と呟きパソコンのエンターキーを叩く。名前と学年その他の情報がディスプレイ上部に表示された。
「うわぁ、物理部の三年生で二十歳ってヤバ過ぎるやん?」眉をしかめてミユはリルアに言う。
「この人しってる、わたし」腕を組みながら少し歩いて「物理部ロケット研究会のボスよ。留年二回してる危険人物ね」とリルア。
キイナとの関係性が全く判らないので顔を見合わせ二人して首を傾げた。
キイナは微かにアルカイックスマイルを浮かべたかと思うとバイクの鍵とホルダーを宙に投げた。ホルダーには天満宮の御守りが付いている。それは物理部の男の掌にまるで狙った如く落ちた。
「御苦労」透き通る声で詠うように彼女は言う。
男は作業着の泥を手で払い「いいえ、またの御利用を...」と受け取ったリモコンキーを操作しながら物理部の車両用倉庫の方へとのっそりと歩き出す。バイクは牧羊犬の様に後を追った。
「ともだち?」傍に来ていたアイが訊ねる。
騒動を期待した野次馬が散らばって行く。しかし彼女には状況を最後まで見定める責任があるのだ。そして疑問点が多すぎるとアイは思っている。
キイナは何も応えずに後方にゆらりと間合いを取る。そして踊り出した。
春休みの演劇部合宿では神楽とブレイクダンスの融合をテーマに激しい論争が有った。春野キイナは徹底して伝統的神楽をメインにダンスパートを構成する事を主張して部内では二つの派閥が出来て気まずい空気となった。アイはアメリカ合衆国での配信を伸ばす為にどうしてもブレイキンの要素を多くとりいれるべきだと確信していて学園の上層部とも意見は一致している。キイナを排除する覚悟もある。
キイナのダンスは予想外のものだった。遠くから聴こえる軽音部のミネアポリスファンクの激しいビートに合わせた幽玄かつ官能的な全く新しいダンス。融合と革新性。アイは息をのんだ。合宿での争点が見事に解決している。そして完全に役に入っている。天満大自在天神たる菅原道真の役に。短期間で見事に仕上げてきたのだ。
「キイナ、わかったよ」と心から安堵してアイは大切な決断を告げた。
「今度の配信、私は踊らないから。貴女に任せる」
そのとき何処からか微かな梅の花の香りが風に乗り吹き抜けていった。
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