御笠山学園演劇部の日常
棚架のぶ
第1話 リコ、走る。
彼女は家を飛び出して走った。ポニーテールが激しく揺れた。
玄関のドアを乱暴に閉めたので大きな音が隣近所に鳴り響いたが決して振り返らなかった。
リコは心から怒っていた。父親に対してである。
朝食の際に見合い写真をイキナリ出されて来月の予定を訊かれた時点で完全にキレていた。
21世紀も終わりかけている時代に何という錯誤した親なのかと頬を膨らませて早朝の国博通りへと急いだ。冬服のセーラーが少し走りにくいが新しいバスケットシューズは良い感じに思えた。
今日は授業の前に演劇部のミーティングがある。頭から余計な雑念を消して臨まねばならない。脚本と監督を任されている自分が仕切らねばと気合いがはいっている。
通りに出て校舎へと急ぐと見慣れた後ろ姿を見つけた。「サクラ!」と声をかけた。
演劇部の看板女優である彼女ははオーソドックスなセーラー服を可憐に纏い長い髪を靡かせて歩いていたが振り返ることは無かった。
「どうしたぁん?なんしよるん....」
リコは俯いて歩くサクラの顔を覗きこんだ。
いつもの柔らかな笑顔はそこには無く能面の様な冷たい表情が黒髪のベール越しに見えた。
「お、お、おはよぅ」と瀕死の仔猫の声で返事が来た。
「わぁいたぁ、寝不足なん?脚本読み込み過ぎたんやない?」とリコは心配になった。
我が演劇部のトップを争う売れっ子である瀬多サクラのコンディションは次回の生配信の数字に大きく影響するからだ。
21世紀中頃、福岡県太宰府市に設立された学校法人「御笠山学園」は小中校一貫教育の国際資本による教育機関である。福岡県営地下鉄太宰府天満宮駅から徒歩で20分ほどの距離にあり生徒数は増加傾向で留学生も多い。その演劇部は舞台演劇生配信コンクール全国大会において毎年好成績を収めている。
三年生になって植田リコは脚本と監督を兼任する事となったのだ。昨日の始業式の後のミーティングで顧問の先生から直接任命され感激したのだが部長の基山アイは不服そうな顔をしていた。彼女はミュージカル志向が強くリコの書く歴史物のストーリーが気に入らない様だ。
アイにも全部員にも納得して貰えるだろう。新しい脚本に。リコは自信があった。
十年以上前から代々受け継がれてきた「時平と道真」という演劇部オリジナルの本にバトルシーンを大幅に増やし海外向けに脚色した。そして入部以来初めて配信用に採用されたのだ。
演劇関係の仕事を目指しているリコにとっては大チャンスだ。評価を得て両親に進路を認めさせたいと思っていた。今朝、父親と衝突したのは少し失敗ではあった。
「キイナは ?相方は ?」と訊ねた。
春野キイナとサクラは大体いつも一緒に登校するからだ。
二人は同じ中学出身で家も近く演劇部の二枚看板として多くのファンを獲得している。
「時平と道真」の配信ではダブル主演で活躍してもらう予定だ。
サクラはユラユラと歩きながら虚ろな声で応えた。
「キイナ、バイクで行ったよぉ」
「えーっ?」とリコは立ち竦んだ。
登校のルール違反ではないけども彼女はバイクを持っていたかな?
自転車も苦手だった筈だが何か妙な気がした。
その時不意に右耳朶のカフスから音声連絡が小さく響いた。
「緊急入電 ! 早く来て ! リコ先輩 !」
後輩部員の八柳ミユの上ずった声だった。
「たいへん!たいへーん !」とさけぶ青井リルアの声も遠くに聴こえた。
今年の春は忙しくなる。リコは確信した。
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