王立学園

 ヘルゼン王立学園。

 在籍生徒数、総勢五百人程。ヘルゼン王国内の十五を超えた若者が集う、王家管轄の学園である。

 在籍生徒の大半が貴族。とはいっても、中には商人の息子なり富豪の息子だったりと学費を払えた平民も在籍している。


 学園は王都の南西に位置し、ルルミア領から比較的近い場所に存在していた。

 そのためセシル達は馬車で当日移動ができたのだが、残念ながらそうでない人達もいるのは言わずもがな。

 何せ国中から集まってくるのだ―――辺境にいる人間が「今日出発すれば間に合うっしょ」で行けるはずもない。


 何日も前から出発することになるし、一度通えばおいそれと帰れなくなってしまう。

 そのため、この学園には生徒が住むための寮があるのだが……残念ながら、セシル達には関係のない話。

 頑張って毎日通学帰宅をしよう! 何せ片道一時間なのだから! と前向きに物事を考えられればいいのだが、面倒臭がり筆頭のセシルは「辛い・だるい・面倒くさい」の三拍子を嬉々として口にするだろう。


 ―――という話は置いておいて。

 そもそも、どうして貴族は学園に通わなければならないのか?

 それは、大きく二つの理由があったりする。


「一つはコネクション作りだな」


 教壇を見下ろすような形で並ぶ椅子に座り、セシルは気怠そうに口にする。

 現在、割り当てられた教室に移動したセシル達は教師がやって来るのを待つフリータイムへと突入していた。

 見渡すと、大人しく座っている生徒や談笑して時間を潰している生徒の姿がちらほら見える。

 もちろん、セシルは群がることなく隅っこで一人大人しくであった。

 自分で関わりたくないというのもありつつ、そもそも「無能貴族」に近づこうとも思われないからそうなっているのだが。


「ここに集まる大半はこれからどろっどろの貴族社会に身を投じるドM集団。パーティーやお茶会みたいなイベントごとに参加する機会の少ない若者は社会になると苦労する。何せ、貴族社会は顔が命だ。見惚れるようなルックス以前にコネがものを言う世界だから、若いうちから種を撒かなきゃいけない。芽が出るのは薔薇とは限らんけど」


 何かあれば、すぐに頼れるし美味しい話にも食いつける。

 初対面の人間から「俺にも一枚噛ませてよ!」と言われるより「俺俺、久しぶり!」と言ってきた相手の方を優先する。

 簡潔に言えば、少しでも顔を知ってもらっていたり関係値を深めていた方が誰もが今後動きやすくなる。だから種を撒こう───そういう話だ。


「へ、へぇー、そうなんだ……ハッ! じゃ、じゃあセシルくんは私を見捨てるの!?」


 だがしかし、そんなコネやら種やらの話など平民出身のアリスちゃんには関係のない話。

 どちらかというと、セシルがコネクションを作っている間に一人ぼっちになる可能性が浮上してしまったことしか頭に入っていなかった。


 セシルの影に隠れるように身を縮めていたアリスが不安そうにセシルの襟首を掴んで揺らす。

 不安なのは分かるが、首がもげそうだとセシルは辟易だ。


「見捨てねぇし、そういう貴族なんちゃらは面倒臭いし、落ち着きなさいやアリスさん。このままじゃ、入学早々首に包帯巻いてる面白おかしなピエロになっちゃうよ」

「でも、セシルくんも貴族じゃん! しかも忘れそうになる侯爵!」

「忘れそうになるぐらいの家督はまだ継いでないから安心しなさい。っていうより、そういうのは弟に任せて俺は家督は継ぎませーん。どろっどろに溶けたチョコレート社会に踏み込んだら全身甘いお菓子になっちゃうもん」

「弟さん、すっごくいい子だよね」

「あぁ、どうしてうちの家系にあんないい子が生まれたのか、ルルミア侯爵家最大の謎だ」

「……どっちかというと、セシルくんのような子が生まれたことこそルルミア侯爵家最大の謎じゃないかな?」


 失礼な、と。

 アリスの鼻を摘んでお仕置きをするセシル。「いひゃいいひゃい」という可愛らしい声は断固無視だ。


「あとはまぁ、婚約者探しじゃないか?」

「婚約者!?」


 アリスは勢いよく立ち上がり、セシルに顔を近づける。


「お、おぅ……今日一の食いつきっぷりにお兄さん驚きです。美味しい餌なんか与えた覚えはありませんけど、飢えてらっしゃったの?」

「目の前にホットな話でアツアツになったステーキをぶら下げられた気分だよ! あっ、肉汁じゅわ〜っていいよねっ!」

「ば、ばかちん! そんなこと言われたら肉厚ジューシーなステーキちゃん食べたくなっちゃうでしょ!?」

「食べたくなるけどそんなことより! セ、セセセセセセセセセシルくんは誰かと婚約しちゃうの!?」


 アリスの急な慌てように、セシルは思わず考え込んでしまう。

 確かに、今はセシルに婚約者がいない。しかし、もし婚約者ができたとすれば同じ女であるアリスの立場は息苦しいものになるだろう。

 何せ、婚約はこれから結婚する相手になるわけで、常にセシルと一緒にいるアリスは婚約者にとってもいい気はされないし、周囲からも白い目で見られること間違いなしだ。


 セシルも婚約者ができてしまえば、今までのようにアリスを傍に置いておくわけにはいかなくなる。

 つまり、婚約者ができてしまえば―――アリスの立場が脅かされてしまうのだ。

 たとえ、それが魔術師の最愛者ラヴァーだとしても。


(ふむ……まぁ、そういうことだろうな)


 アリスが慌てている理由を推測し終わったセシル。


「(ど、どうしよう……や、やっぱりセシルくんも結婚とかしちゃうよね。貴族だし、私じゃ立場的に無理だっていうのは薄々は分かってたけど……わ、分かってるんだけど! 分かってるんだけども! い、嫌だなって思っちゃう私がいます!)」


 ……その答えは、どうやらニアミスのようだ。

 一人でブツブツと呟くアリス……前途多難である。


(とはいえ、「無能貴族」で馬鹿にされている俺が婚約者なんて見つかるはずもないのにアリスはおかしなことを考えるな……フッ、まぁ最愛者ラヴァ―の不安を取り除くのも魔術師の務め。任せろアリス! 俺はお前の不安を取り除いてみせる!)


 セシルは内心意気込み、気合いを入れる。

 そして、アリスの肩を思い切り掴んだ。


「アリス!」

「ふぇっ!?」


 いつになく真剣な表情で見つめてくるセシルに、アリスは思わず驚いてしまう。

 セシルの琥珀色の双眸が、逃がさないと言わんばかりに注がれる。


(ど、どうしたの急に……まさか!? こ、ここで告白でなの!?)


 思い至った考えに、アリスは思わず顔がこれ以上にないぐらい真っ赤に染まった。

 脳裏に浮かぶのは「もっとロマンチックな場所でもよかったんじゃないか」やら「教会で言ってほしかったな」やら「でも、こういう強引さも悪くないですはい」やらの乙女的なうんちゃらかんちゃら。

 目まぐるしく回る思考は、アリスの心臓をうるさいぐらいに高鳴らせた。


 そして—――


「安心しろ! !」

「ば、ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

「ぶべらっ!」


 デジャブ。

 アリスの重たい一撃が、セシルの体を簡単に吹き飛ばしていった。

 それぞれフリータイムに興じていた生徒達も、激しい物音を立てて転がったセシルに驚いて視線を向けてしまう。


 一方、周囲の関心という視線を一身に集めたセシルは頬を抑えながら震える体を起こした。


「ア、アリスさんや……俺、悪いことでもしましたか?」

「わわっ、ごめんセシルくん!」


 慌てて駆け寄るアリス。

 よくも悪くも、二人は入学早々周囲の視線を集める結果で初日をスタートしたのであった。

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