魔術師と少女

(ほんっっっっっとうにしくじりましたッ!)


 一人の学生服を着た少女が森の中を駆ける。

 服が枝に引っ掛かろうがお構いなしに時折右に曲がったり左に曲がったりとせわしなく動いているのは、目的地がないからだろうか?

 ともあれ、金色の髪をサイドに束ねた少女───ソフィアは背後を振り返りながらも走った。


(私はお祈りをしに来ただけなのですが……ッ!)


 ソフィアの胸の内に後悔が押し寄せる。

 荒くなった呼吸が焦燥を煽りながらも、縋るように首からぶら下がっているロザリオを握り締めた。

 その時、ふとソフィアの足が止まる。


「……イリヤと離れてしまったのが痛かったですね」


 足を止めた視線の先。

 そこには決して身なりが整っているとはお世辞が言えないほどボロボロな服を着た男が数人、退路を断つように立ち塞がっていた。


「おいおい、この歳にもなって鬼ごっこをさせんなよ嬢ちゃん。ガキのお守りをしているわけじゃないんだからさ、こっちは」

「まぁ、これも醍醐味ってやつだろ? 逆にここまで逃げられたことは褒めてやるべきだと思うぜ、きゃひゃ!」

「ははっ、違いねぇ!」


 何が楽しいのか? ソフィアは男達の下卑た笑いを見て自然と苛立ちが込み上げてくる。


「まったく、卑怯な方々ですね。お祈りに来た信者を狙って集団で狩り立てる……目的は人身売買ですか?」

「それもあるし、俺達が楽しみたいっていうのもあるな。野郎だったら殺して身包みを頂戴するさ―――流石に男とよろしくする気はねぇよ!」

「その点、嬢ちゃんはいいね! 楽しめそうだし高く売れそうだ!」

「……どちらにせよ、クズだということが分かりました」


 ソフィアは一歩後ずさる。

 しかし、そのあと背後から聞こえてきた足音にまたしても足が止まってしまう。

 どうするべきか? このままでは、自分が男達の楽しい晩餐の一品になる。そのあとの未来は、想像に難くない。


(黙ってお祈りに来てしまった私に武器はありません。今頃、イリヤがいなくなった私に気づいて探してくれている頃だとは思うのですが……間に合いそうもないですね)


 ならば諦めるか? そう考えるが、易々と自分の命を手放せるほどソフィアは覚悟と勇気を持ち合わせてはいない。

 苦しまず一発で自害しようにもナイフは手元にない。あれば少なくとも男達に立ち向かっていただろう。

 となれば舌を噛み切るしかない……でも、話は戻る。噛み切る勇気なんて、お祈りをしに来ただけのソフィアには持ち合わせていなかった。


(ならばむざむざとこの人達に捕まりますか? ……いいえ、どんな目に遭わされるか分かったものではありませんし、論外)


 だとすれば、と。

 少女の思考は解答を得られないままぐるぐると回り続ける。

 そして、回り続けた思考はいつの間にかこんなことを考えるようになってしまった。


「……誰か」

「あ?」

「誰か……


 懇願。

 物語に出てくる脇役が発してしまいそうな、他力本願の言葉。

 虚勢を張っても、どうしようもなく怖いから。これから死よりも恐ろしい境遇に落とされるのかと考え、怯えてしまったから。


「ははっ! こりゃあいいっ! 強がっていても所詮は小娘ってところだったか!」


 震え始めたソフィアを見て、男の一人は愉快そうに笑う。

 あり得ないと、一蹴しながらソフィアに向かって近づいていく。


 運よく誰かが助けてくれるなんて考えてもない。

 ソフィアも、男も。どちらも、この世界が都合のいいように回っているとは思っていなかった。


 しかし、である。

 もしという言葉が現実的にあるのなら―――



「何が面白いんだよ、クソ野郎共が」



 ―――きっと都合のいい世界じゃなくても、誰か駆けつけてくれるだろう。

 何せ、この世界はかつて英雄と呼ばれる存在がいたのだから。


「ぐぼっ!?」


 ソフィアに近づいていた男の姿が視界から消える。

 正確にいえば、突如として現れた膝が頬にめり込み、何度もバウンドして転がっていたからだ。


「なっ!?」


 意味が分からなかった。

 どうして突然男が吹っ飛んでしまったのか?

 その答えは分からなかったが、その代わりに一つの答えを視界は捉えてしまう。


「アリスの付き添いでお祈りに来たと思えば、女の尻を追いかけ回す野郎がいるしさ……なんなの? やっぱり学園なんて行くもんじゃねぇよ。幸先悪すぎて今後の未来が不安になっちまう」


 短く切り揃えた白髪。

 歳は自分と同じぐらいだろうか? そんな少年が、ソフィアの前に現れた。

 その顔に、どこか見覚えが―――


「あな、たは……?」

「ん? さぁな、俺って結構「無能貴族」で有名枠を勝ち取ってたんだけど、知らないなら名乗っても分からないだろうよ」

「ッ!?」


 ソフィアは少年の言葉でふと思い出した。

 聞いたことのある言葉———もし、自分の記憶が正しければその人なのだと。

 でも、自分の聞いていた人とはだいぶ印象が。そんな疑問も同時に浮かび上がる。

 だが、その答え合わせは残念ながら行われることはなかった。


「て、てめっ!」


 蹴り飛ばされた男を見て、他の男達が一斉に襲いかかる。


「多勢に無勢、しかも相手は女の子……ハッ、馬鹿かよてめぇら。武器を持つってどういうことか分かってんのか? 守りたいやつを守るためにあるんだぞ、クソが」


 だが、少年は臆することはなかった。

 剣を持っていようとも、自分より人数が多かったとしても。

 その代わり───


「俺が生まれて初めて綺麗だって思ったのは、小さな教会にあるステンドグラスだった」


 少年が指を鳴らすと、辺りの地面一面に色鮮やかなステンドグラスが広がる。


「だから、俺が魔術を生み出す時……真っ先に思い浮かんだのは、だった」


 色鮮やかなステンドグラスは光に反射し、生い茂る森を一瞬して幻想的に映えさせた。

 その光景は見蕩れてしまうほど。教会に足を運んだことのあるソフィアは、見たことのあるはずのものなのに魅入ることしかできなかった。


「んなっ!?」


 一方で、男達は驚くだけ。

 常識的には考えられない事象が目の前に広がったことにより、足を止めてしまう。

 しかし、それも徐々に現実へと追いついていく。


「てめぇっ、まさか魔術師───」


 だが、驚きは驚きのまま余韻が残ることはなかった。

 足元に広がったステンドグラスはひび割れ、男達がいる場所のみ足場が崩れる。


「俺はただ、だけなんだ。そんな綺麗な場所に、てめぇらみたいなクズはいらんだろ」


 先程までは固い地面だったのに。

 ステンドグラスに変わり、今度は深く底の見えない奈落へと。

 目まぐるしい変化。突如襲いかかる浮遊感に、男達の悲鳴が響き渡った。


 響き渡り終えると、男達の姿はなかった。

 ひび割れた地面一面に広がるステンドグラスと、ソフィア、少年だけが森の中に姿を残す。


 何が起こったのか。

 少女はあまりにも現実離れした光景に言葉が出ない。

 そして、少年は振り返ってソフィアを見据える。


「すまん、なんか───」

「あー! やっと見つけたんだよセシルくん!」


 少年が口を開いた途端、奥の茂みから一人の少女がぴょこ、と顔を出す。

 その少女は、制服にウィンプルといった少し変わった格好をしていた。


「もぉ、急に走り出すからびっくりしたんだよ! 誰もいない森の中で迷子だと誰かに聞いて回ることもできないんだぞうがー!」

「悪い悪い、ちょっと野暮用があっただけだ。間に合うかね、学園に?」

「ふっふっふー、私はこんなこともあろうかと一時間早く出発したスケジュールを組みました!」

「おぉ!」

「セシルくんとは違って、私はやればできるじゃなくてやらなくても勝手にできちゃう優良児なのですえっへん! 回り道をしたセシルくんを寛大に許してあげましょう!」

「……先にお祈りしようって寄り道始めたのアリスだからな? 唐突に始まるマウントで俺が傷ついても知らないぞ」


 少年はソフィアを無視して少女に近づく。

 一方、少女は少年が近づいてくるまでの間、キョロキョロと周囲を見渡した。

 すると、何かを理解したのか急に満面の笑みを浮かべる。


「……んだよ」

「むふー! 偉いねぇ、私の優しい魔術師さんは。だから大好きだよ〜」

「え、めっちゃ唐突に褒められるじゃん」

「いい子いい子」


 背伸びし、少年の頭を撫でる少女。

 その光景を傍から見ていたソフィアは、状況の理解が追いつけずただただ呆けるばかりであった。


「それじゃあ行こっか、セシルくん」

「その前に、残りの連中も探しとかないとな。あの子が無事に帰れるか分かんねぇもん」

「ほんと、優しくていい子だ───ん? でもあれ、私達と同じ制服だよね? だったら学園まで送ってあげれば───」

「ば、ばかっ! こういうのはね、深入りしちゃうと面倒事って相場とお約束の二段構えなわけよ! スルー推奨! 楽して人生歩もうぜアリスさん!」

「う、うん……セシルくんがそう言うなら私はいいんだけど」


 少女の背中を押すように、少年は森の先へと入っていってしまう。

 ソフィアは会話が終わった瞬間に我に戻る。

 お礼を言わなければ、と。

 だが───


「変なお節介をして悪かったな。帰りは気をつけて帰れよ」


 ソフィアの口にする言葉を遮るように少年は少女を連れてその場から姿を消してしまう。


 たった一人、助けた女の子を残して。


 辺り一面にあったはずのステンドグラスは、いつの間にか消えてしまっていた。



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