第2話 夢に散る涙
「なぁ、恵梨香、覚えてる?お前、俺のために、いつもノート書き写してくれたよね」
桐島君の言葉に、私は笑った。
「覚えてるよ!だって、桐島君、授業聞かないで、ちっともノート取ってないんだもん」
「あれさ、めちゃくちゃ助かったよ。すごい分かりやすく書いてくれてて」
彼は、一枚の花びらを指で挟んで、それを見つめながら言った。
「そうだったね。懐かしいなぁ。自分のノートを取った後に、桐島君用のノートにも書き写して。だから、私のノートは全教科、二冊のノートがあったんだよ」
コピーを取ってしまえば楽だったけど、その時の私は、彼のために、一生懸命書き写していた。
「ありがとな、恵梨香。俺ほんとに嬉しかった」
そう言って、桐島君は、まっすぐ私を見つめて微笑む。彼の色白の顔は、薄紅の花びらが舞い散る中で、どこか消えそうなほど、儚げに見えた。
「俺が入院してる時、毎週お見舞いに来てくれてさ。学校のいろんな話してくれて。行ってなくても、何か学校行ってるみたいに、楽しかった。俺ね、ほんとに嬉しかったんだ……」
桐島君の言葉に、私は笑った。
「そうだったねぇ。桐島君、サッカーの試合で足怪我して、入院した事あったもんね。あの時も、ノートを……」
「なぁ、恵梨香」
不意に、桐島君が私の言葉を遮った。
「まだ、思い出せない?」
「……え、何を?」
桜の木々が風に吹かれて、さわさわと音を立てる。
「俺……サッカーなんて、してないよ」
桐島君は、ぽつりと呟くように言った。
それは、どこか遠くから聞こえてくるような、儚げな声。
「え……何言ってんの?だって、桐島君はサッカー大好きで、チームのエースで。試合でも、いつもシュート決めてさ。それで、いつも休み時間は……」
なぜか必死に言葉を繋ぐ私に、桐島君は、桜の花びらを乗せた自分の白い手のひらを見つめながら、ふっと悲しげに笑った。
「俺は、サッカーなんか出来る体じゃなかった。病気でずっと入院してたから」
なんでだろう……?
耳鳴りがする。
「ずっと入院……?」
私の中で、何かが音を立てて崩れそうな予感がした。
「俺が何で、この夢に出て来たか分かる?」
桐島君と私の間に、たくさんの花びらが降り落ちてゆく。
「お前が春を嫌いなのは……」
「ダメ……!聞きたくない……っ!!」
彼が発する言葉の先を塞ぐように、桜色の花びらが、嵐のように一層激しく吹き荒れる。
「俺が……死んじゃったからだよね?」
吹き付ける桜色の吹雪の中、私の頬を熱い涙が伝ってゆく。
……神様。
そうです。
本当は知ってました。
私は、春が嫌いなわけじゃなくて……。
あの春の日に、大好きだった桐島君が死んだ事を受け入れられず。
ただ、春が嫌いな事にして。
ずっと、ずっと。
彼の死から。
目を背けてただけなんです……。
「俺は、生まれつき心臓が悪くて、学校には行ったり行かなかったりだった。そんな中で、恵梨香は最後まで、俺に優しくしてくれた」
今まで蓋をしてきた記憶が、一気に溢れだしてきて、私は桜色の地面に、膝をついた。
不意に、突き付けられた現実を受け止められなくて、私はただ俯きながら、涙を流した。
「本当に、感謝してるよ。だけど。だから……」
桐島君がゆっくりと近づいて来て、私の目の前に立った。彼は、小さな手のひらで、優しく私の髪を撫でる。
「もう人を好きにならないなんて、思わないで欲しい」
そう言った桐島君の声は、とても優しかった。
「恵梨香。人はさ、出会えば、必ず別れる時がやって来る。でもさ、別れの辛さばかり見ちゃ駄目だよ」
桐島君の手のひらに。
私の髪に。
二人の肩に。
静かに、桜の花びらが降り積もる。
「出会えたことが、幸せなんだよ。別れは確かに悲しいけど……。出会えた喜びを何より感じて欲しいんだ。お前がいつまでも、そんなんじゃ、俺。ずっと、旅立てないよ……」
桐島君の小さな腕が、うづくまる私の体を柔らかく抱きしめた。
「ねぇ、恵梨香。約束して?もう、人を好きにならないなんて言わないと。お願いだ、約束してくれよ」
薄らと瞳を開けると、涙に滲んだ桜色の世界が映る。
「俺も恵梨香のこと、本当に好きだったから。だから、約束して欲しいんだ。してくれるよね……?」
咲き乱れ、散りゆく桜の木の下で。
桐島君の、春のような温もりに包まれながら、私は、ただただ小さな子供のように泣き続けた。
流れ落ちる涙のように、桜の花びらが、とめどなく舞い続ける……。
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