メロ①

「よし、そろそろ練習再開するぞー!」


 明石さんの声に、坂本さんと吉田さんが所定の位置に着く。


「あ、ほら、練習始まるから……」


 そう促すと、月島さんは不満げに口を尖らせるも、自分の席へと戻っていった。


「じゃ、2楽章、まずは通しで」


 明石さんが促し、今度は第一ヴァイオリン担当の月島さんの合図で曲が始まる。


 第2楽章はスケルツォ。元のイタリア語では「ふざけた」という意味らしく、日本語では「諧謔かいぎゃく曲」なんて訳されるらしいけど、その意味で曲を捉えることはほとんどない。

 むしろ、「速めのテンポの三拍子の曲」程度の認識が多いだろう。


 1楽章とは打って変わり、速いテンポの細かい動きが多く、まず技術的に結構難しい。


 しかし、これは――。


 何とか通しを終えるも、皆浮かない表情だ。明石さんも苦笑いしながらコメントを添える。


「こっちは、まだまだ課題が多いな」

「ふひー、明石さん、難しいよう」


 吉田さん、何だか息が切れているけど、気持ちは分かっちゃうな。速くて難しくて、忙しいんだよね、この楽章。


「うん、そうだと思います。でも一番の問題は、アンサンブルですね」

「そうなのよね、つい自分に精一杯になっちゃって、他のパートを気にする余裕が……」

「坂本さん、そこは地道に個人練してもらうしかないです。あともう一つの課題が……」


 そう、それも気になってた。僕はチラリと月島さんを見る。


「美音、頑張ってるのは分かるが、もっと楽に弾けないか?」

「楽に、ですか?」

「ああ。お前は小さい頃から楽器に触れてる分、テクニックもある。でも今のは、『曲が求める演奏』じゃない」

「ええと、どうすれば……」


 明石さんの抽象的な言い回しに、戸惑った様子の彼女。すると明石さんはニヤリと笑って、


「おう、調。お前はどう思う?」

「僕ですか?」

「何か言いたそうな顔してるからな」

「えー……そうだな、まずピアノが大きすぎるかと。もうちょっと抑えてもらったほうが、内声が浮き出てまとまりそうな気がします」

「そっか……でも、速いから、どうしても音が鳴り過ぎちゃうんだよね」

「やっぱり力みすぎなんじゃない?左手の運指が速くなっても、つられて右手の弓まで速くなりすぎないように。あとは弓位置、根本よりは真ん中寄りが良いと思う」

「ええと、こう?」


 思わず冒頭部分を弾く月島さん。


「や、それだと弱すぎて、アレグロっぽくない」

「ええー、じゃあどうすれば……」


 すると明石さんがスッと楽器を差し出してくる。


「調、ちょっと弾いてみろ。俺のヴァイオリン貸すから」

「な、また無茶ぶりを……」

「できるだろ?」

「まあ、もともとヴァイオリン出身なんで……」


 と言うか、『メロ』としては普段からヴァイオリンも弾いてるしなあ。

 明石さんからヴァイオリンを受け取り、軽く適当なパッセージを奏でてみる。ついついファンナイの曲から選んじゃうのは、やっぱり弾き慣れているからだ。

 うん、さすがプロ。楽器も弓も、僕のとはグレードが違い、とても弾きやすい。


 月島さんの方に目をやると、何だか口をパクパクしてる。僕がヴァイオリン弾けるの、そんなに意外かなあ?ヴィオラ弾きって結構、ヴァイオリンから転向したって人も多いと思うんだけど。


「ええと……」


 楽譜がないので、立って月島さんの横へ移動する。

 ちょっとだけ、左手だけ動かして指回りを確認。


「じゃ、やります……」


 確かに速いけど、それに気を取られ過ぎちゃダメなんだ。


「……こんな感じですかね?」


 しばらく弾き続け、切りの良いところで演奏を中断する。うん、個人的にはいい感じに弾けたと思う。


 パチパチパチ……。

 坂本さんと吉田さんが、拍手してくれた。


「おー、さすが」

「……うー、何よそれ、反則じゃない……」


 何だかブツブツ言っている月島さん。


「さ、美音。一回やってみようぜ。やらなきゃ何も始まらない」

「はーい……」


 何だか納得しきれていないような顔だけど、明石さんの言うことはもっともだ。


「もう一度四人で冒頭から」


 明石さんの指示に、改めて皆が冒頭に戻る。

 うん、第二ヴァイオリン以下の三人は、前よりいい感じにまとまってきている気がする。

 しかし一方、月島さんの方はというと……。


「ああー、すみません!今のは全然ダメでした!もう一回、もう一回お願いします!」

「ははは、ドツボに嵌ってんな。いいぞ、もっと考えろ。今できないのは全然問題ないからな。

 じゃ、みんな、ちょっとファーストに付き合ってくれ」

「あいよー、可愛い娘のためだ」

「ふふ、そうですね」


 という訳でもう一回。しかし――


「うう……どんどん酷くなってる気がする」

「はっはっは、悩め悩め」

「明石さーん、ヘルプミー!」

「いや、こういうのは俺が教えるもんじゃねえ。つーか、お前の技術的にはできるはずなんだ。足りないのは発想の方。だから、自分で掴んだ方がいい」

「発想って言われても……」


 月島さん、今にも泣き出しそうだ……。

 流石に見かねたのか、明石さんも腕を組んで考え込む。


「……じゃ、ヒントだ。

 調、もう一回弾いてくれ。次は自分のパートでいいぞ。

 坂本さん、吉田さん、最後にもう一回付き合ってください」

「よし来た」

「美音は一回聞いとけ」


 どういうことだろう?明石さんの意図は分からないけれど、きっと何か意味があるんだろう。

 指示に従って、冒頭をもう一度演奏する。


「……美音、分かるか?」

「うーん……ちょっと、宿題にさせてください」

「了解。お、もう三時を過ぎたな。今日の合奏はここまでにしとくか。皆さん、よろしいですか?」


 明石さんの確認に、皆無言で頷く。


「じゃ、今日はここまで。お疲れ様でしたー」

「お疲れ様でした!」

「みんなー、いつも通り、四時まではこの部屋使えるから!」


 吉田さんが声掛けしてくれる。

 合奏直後に、復習や次回の予習ができるので、その采配はありがたい……でも、


「いつもありがとうございます。でもすみません、今日は予定があって、失礼しますね」

「あっ、そうなの。お疲れ様。次は二週間後、またこの部屋だし」

「了解です!」


 事務所に行く約束をしてしまったし、今日は残れないんだよな。

 僕が楽器を片付けていると、


「藤奏君!!」


 月島さんが話しかけてくる。


「ああ、月島さん、今日はお疲れ。どうしたの?」

「さっきの休憩時間の時の話が終わってない!」


 あ、そうだった……あの曲のことか。ええとでも、何も言えないし、こんなときは……。


「え、ええと、ごめん!この後用事があって、急がないといけないんだ!また今度の練習の時でもいい?」


 秘技、問題先送りの術!


「それなら、月曜日、学校で!!」

「学校?」

「私、星が丘高校、二年二組!!」

「え、マジで!?」


 うわー、まさかの同じ高校って……。とりあえず逃げるように退室するも、問題は先送りできたようでできていないことに気付く。

 っていうか、全然知らなかったな、あんなかわいい子が同じ学年にいるなんて。うちの高校にはオーケストラ部とかはないから、楽器を弾いているかどうかは分からなくても仕方ないと思うけど。


 そんなことを考えながら電車を乗り換え、ファンナイの事務所へ。

 事務所と言っても芸能プロダクションとかじゃないから、賃貸マンションの一室だ。

 ノックをして、部屋へと入る。


「お疲れ様ですー」

「お、メロ君、お疲れ様ー」


 入ってすぐ右手側の一室にはパソコンが何台か並んでおり、今日は三名ほどが作業中。動画編集やホームページ運営などの作業中だ。挨拶をしてくれたのは、テクニカルリーダーの綾辻さん。髪の毛がもさっとして前髪が長く、ちょっと無精ひげも生えていて、服装にも頓着がない人だけど、話してみるととても面白いんだ。


 左手側はグッズや販促物を置いている物置。トイレとシャワーがあって、奥がリビングダイニングキッチンで、打ち合わせ兼休憩所。あとはもう一室、来客用の応接間がある。合計4LDKだ。賃料とかは知らない。


「お疲れ様です、八代マネージャー」

「はーい、メロ君、ありがとねー。座っといてー。コーヒーでいい?」

「あ、ありがとうございます」

「砂糖ミルクは?」

「ください」


 ブラックは苦手だ。

 僕が打ち合わせ用のテーブルの一席に腰掛けると、コーヒーを二カップ持ったマネージャーさんが、正面に腰掛ける。


 八代樹やしろいつきさん。ファンナイのスケジュール管理とメディア戦略を一手に引き受ける、敏腕女性マネージャーだ。元々は大手芸能プロダクションに所属したけれど、結婚を機に退職。お子さんが小学校に入学したのをきっかけに復職を考えた際、何か新しいことをしたくて、当時はまだ目新しかったVTuberに目をつけたらしい。

 そこからは、当時ネットで人気だったWeTuberや歌い手なんかをスカウトして、ファンナイを結成。その中で、当時からメロとして活動中だった僕のところにも、お声掛けがあったのだ。


「他のみんなも来るんですか?」

「いや、とりあえずメロ君にだけ声をかけたの」

「レイって、あのレイですよね、アイドルの」

「そうよ。あなたの思っているレイで間違いないわ」

「めちゃくちゃ有名人じゃないですか……何でまた僕だけに?」

「実はこの案件、私の仕掛けじゃなく、先方からの申し出なの」

「えっ、そうだったんですか?僕はてっきり、八代マネージャーが営業をかけたんだと……」

「私としては、そういうのは、もう少し実績を積んでからって思ってたのよね。

 まあでもオファーが来ちゃったから、検討はしないといけない」

「だったらなおさら、みんなで考えた方がいいんじゃ……」

「あのね。先方の指名は、ファンナイというよりも、メロ君、あなたなのよ」

「え?」

「レイちゃん、実はファンナイのファンだけど、特に曲が好きって言ってくれててね。

 だから、メロ君の楽曲で、ファンナイとレイでコラボしたい、っていうオファーなのよ」

「そ、そうなんですか……それは……うん、嬉しいです」

「そう言ってくれるとこっちも助かるわ」

「でも、プレッシャーが半端ないです」

「そうよねえ……ファンナイとレイのコラボ。『メロ』なら、どんな曲を書く?

 まずはそれによって、今後の流れを考えたいと思ってね」

「なるほど、そういうことですか……。僕の曲の雰囲気に合わせてメディア展開を考えたい、と」

「話が早くて助かるわ。やっぱり、先にあなただけに打ち明けて正解だったわね」


 いや、やっぱりプレッシャーだけど……期待してくれるのは、素直に嬉しい。


「分かりました。一週間ほど時間をいただけませんか?

 完成品は無理ですが、いくつかデモを作ってみます」

「うん、大丈夫よ。先方には、メロが実は現役高校生ってことは伝えてあるから、学業があるってことは配慮してくれるって」

「それは助かります」

「よろしくね。目途が立ったら連絡をちょうだい」

「分かりました!」


 話はそれで終わり、僕は事務所を跡にした。

 うーん、僕の人生でも最大級の大仕事だぞ、これは……。


 帰りの電車以降、僕の頭はこの件で一杯になり、月曜日が訪れても、それが変わることはなかった。

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