第三話

 果てのない荒野に身を晒してから数日。

 噎せ返るような暑さと殺人的な直射日光に苦しめられつつも、確実に一歩一歩前に進んでいる。

 何より辛いのが朝と夜の気温差だ。

 太陽が大きく傾いてから一気に気温が下がる。


「あついー……」

「もう少しのはずだ。頑張れ」


 暑さに唸るアリスを担いで、硬い地面を踏みしめる。

 水と食糧を詰めたバッグを含めると相当の重量だ。


「パパ、ずっとどこ向かってるの?」

「……とっても、良い場所だ」

「リンゴいっぱいある?」

「ああ。お腹いっぱい食べられるぞ」


 果てのない荒野とは聞いていたが、本当に地平線しか見えない。

 陽炎で地面が揺らぐ。青く見えるのは海ではなく、蜃気楼というやつか。


 獣一匹見つからない。

 あるのは枯れ木と岩石と、生き物の骨だけだ。


「喉かわいたー!」

「さっき飲んだばかりだろ。もう少し我慢しろ」

「えー!」


 水の減りが思ったより早い……なるべく俺は我慢すべきか。

 川のひとつも見つからないとは。このままじゃ食糧が尽きる前に死んでしまう。


 本当に「ワンダーランド」なんてものがあるのか心が折れそうになる。

 先人はたどり着けたのだろうか。それとも、志半ばで倒れてしまったのだろうか。


 あのおっさんの言うことが本当なら、「ワンダーランド」には異種族しか入ることを許されない。

 どのみち俺は引き返すことになるだろうが……馬鹿か。なに今から帰ることを考えているんだ。


 俺の命などどうなってもいい。

 アリスが「ワンダーランド」で幸せになってくれさえすれば。


 極寒の夜、薪の火を見ながら物思いにふける。

 腕の中でアリスが凍えながら眠っている。


 いつの間にそんなことを考えるようになったのだろう。

 俺はあくまでも代理の父親。こいつの本当の親を殺したのは俺だ。


 俺はバッグの中を確認する。

 あれだけ用意したはずの水がもう底をつきかけている。

 食糧だって残りわずかだ。


「アリス。このバッグの中には入ってくれ」

「……ん。わかった」

「どうだ? 狭くないか?」

「あったかーい」


 そのままアリスは深い眠りにつく。

 今日は頑張って歩いてくれたからな。


「よし。もう少し歩くか」


 俺はバッグを背負ってまた歩き始めた。

 睡眠だって水分を消費する。

 ならばアリスが眠っている間にも進んだ方が効率がいい。



~~~



「パパ喉かわいたー。パパぁ?」

「……」


 ついに水と食糧がすべて底をついた。

 ここ三日ほど飲まず食わず眠らずで休みなく進んでいる。

 唾が出ず息ぐるしい……言葉を発するのも億劫だ。


 もう何日歩いてるんだ?

 本当に果てなんてないのか。

 ずっと同じところをグルグル回ってるんじゃないのか。

 ほら、あの木なんて昨日見た事がする。

 今から引き返せば、あの街に戻れるんじゃないのか。


「…………あった。見えた! アリス見ろ! 泉がある!」

「泉?」


 そこには荒野のオアシスがあった。

 リンゴが沢山なっている。

 やっとだ。やっとアリスに喜んでもらえる!

 辛い思いをさせずに済む。


「はははは! やっぱりあったんだ! ワンダーランドはここにあった!」


 それからの記憶は曖昧で、覚えていない。



~~~



 暗闇の中で、俺を呼ぶ声が聞こえた。


「――! ――! ――パパ!!」

「………………ありす?」

「よかったぁ。もうパパ目覚めないかと思ったよぉ」


 気がつくと俺は倒れていて、泣きじゃくるアリスの顔が視界を埋めていた、

 幻覚……そうか。自分では気づかないほど心がやられていたのか。


「……悪い。それより、ここは……」


 付近には草気が彩っている。

 まだ幻覚を見ているとすら思ったほどだ。


「パパ、もう一日くらい何も喋らずにずっと歩いてたんだよ」

「……そうか。心配かけて悪かったな」


 我ながら凄まじい体力だ。

 よくも冥土の扉を開けずに戻ってこられたものだ。


 隣には空の容器が転がっている。

 アリスに残しておいた最後の水……まだ残っていたのか。


「ごめん。俺が飲んでしまったのか」

「ううん。パパ全然飲んでくれなかったから、アリスが口に含んでからパパに……」

「そうか、ありがとう。おかげで助かった」


 グリフォンは口移しで餌を与える。

 それを考えれば不自然なことでもないか。


「それより、ここは『森』なのか」

「うん。パパってここに来たかったの?」

「ああ……もうすぐに、つくからな」

「ホント!?」


 アリスには目的地を伝えていない。

 旅の目的を知れば、きっと嫌がるだろうから。


「……さて。あと少しのはずだ」


 起き上がると、立ちくらみが襲った。

 生きてるのが不思議なくらいだ。


「この音……」

「お、おい!」


 突然、アリスが手を引いて走り出した。

 森を駆け抜けたその先には、川があった。

 水源だ。何日ぶりかの新しい水だ。


「これを……あの距離から」

「アリスえらい?」

「ああ、偉すぎる! 流石は俺の娘だ!」

「えへへ~」


 俺はアリスを思い切り抱きしめた。

 いつのまにか身体は大きくなっていた。



~~~



 水源を確保すると、すぐに食糧も見つかった。

 新鮮な果実が至るところになっている。

 ここは昼夜の温度差が小さく過ごしやすい。

 ずっと荒野を進んでいたからか、天国かと見まごう快適さだ。


「もうパパ苦しくないの?」

「ああ、アリスのおかげだ」

「もう、ずっと歩かなくていいの?」

「そうだな。もう少しで終わりだ」

「やったー! じゃあ、またあの街みたいに毎日楽しく過ごせるんだよね!」


 アリスが大喜びでそう確認してきた。

 悟られていたのだろうか。この旅が終われば、もう一緒にはいられないって。


 荒野を抜けた先に「ワンダーランド」がある。

 そしてそこに立ち入ることを許されるのは、モンスターと人間の狭間にある『異種族』のみだ。


 どこまで本当なのかは分からないが、本当に「ワンダーランド」があるなら異種族しか立ち入れないというのも信じざるを得ない。


 ……ここらが潮時か。


「アリス。俺はな――」


『キィィィィィ!!』


 突然、空から甲高い鳴き声が降ってきた。

 その声を、俺はよく知っている。

 空の覇者グリフォンだ。それも、一匹二匹じゃない。


「アリス隠れろ!」

「え……」


 こっちには気づいていない。

 なんでここにグリフォンが……。


「……まさか」


 グリフォンを使役しているのは、上流階級の者だけだ。

 それもこんな大群となると、最上位の貴族か……王族。


「……あれ。誰か、アリスに話しかけてる」


 アリスが何も無い空間を見つめている。


「しまった、念話――」


 上空を見上げると、グリフォンの大群がこちらを睨んでいた。

 そして次々と甲冑を纏った奴らが地上に降りてきて、瞬く間に俺たちを囲んだ。


「やっと追いついたわ。よくもまあ、荒野を越すことが出来たわね」


 その中から一人、武器の持たない男が前に出た。


「……憲兵団。なんで王都の秩序を守ってるお前らがこんなところにいるんだ」

「ミリアに異種族が出たとの報告があったから保護に参ったのよ」

「保護だと……お前らは異種族をただの鑑賞物か物珍しいペットくらいにしか思っていないだろ」

「それもそうね。さあ。さっさとハピを渡しなさい。大人しく引き渡すのなら、命だけは助けてあげるわよ」


 どこかで聞いたことのあるような定型文。

 悪いが、荒野を渡ると決めた時点で帰りの切符は考えていない。


「もっとも、どのみちあなた方は引き返すことになるわよ。『ワンダーランド』なんてものは存在しないのだからね」

「何だと……」

「我々は何度もこの大森林を調査しているけど、何の成果もなかった。それどころかいつも道に迷って散り散りになる始末。素人が立ち入る場所じゃあないのよ」


 その時、俺の中にある考えが浮かんだ。

 俺がここへ来た時に幻覚を見たのは、疲労からではなく異種族以外の侵入を妨げるトラップではないのか。


 なら……アリスだけなら、逃げられるかもしれない。


「……アリス、よく聞け。今から俺が道をあげるから、そこに飛び込んで森の奥に走るんだ」

「嫌! パパも一緒!」

「アリス! お願いだから、言うことを聞いてくれ」


 アリスは絶句した。

 何が起こっているかは分からずとも、今生の別れになるかもしれないことを察している。


「驚いたわね。まさか父親気取りで親子ごっこをしているとは。――そこのお嬢ちゃん。そこの男はあなたのパパなんかじゃないわ。あなたを売って金儲けをしようっていう悪人よ」

「違うもん! パパはそんなことしないもん!」


 アリスは俺の腕にしがみついたまま離れない。


「ね、パパ!」

「……アリス。あの人の言う通りだ。俺はお前の父親なんかびゃない。本当のお前の親は、俺が殺したんだから」

「……嘘。嘘だよね?」

「本当だ。お前は、俺の子じゃない」


 厳しい現実を突きつける。

 そのとき、アリスは俺の腕を握る力が弱まった。

 すまない……だが、いずれ告げるべきだと思っていた。


「行け! 二度と振り返るな!」


 アリスが泣きながら走り出す。

 そうだ。それでいい。

 俺なんて忘れて逃げてしまえばいい。


 今更父親面すんなって思うかもしれないけど、俺はお前を――。


「あの子を捕まえなさい!」

「了解しま――ッ!?」


 アリスの行く手を塞いだ憲兵にナイフを投げつける。

 包囲網で最も手薄である場所を突いた。

 アリスは一人森の奥へと足を踏み入れていく。


「まんまと逃がされたわね。でも、この人数を一人で食い止めるつもり? こっちにはグリフォンもいるのよ」

「当たり前だ。ここから先は誰も通さない。アリスの元には辿り着かせない」

「いいわ、その男気に免じて全力で潰したげる!」


 地上からは憲兵が、空からはグリフォンが。

 圧倒的な暴力が俺を襲った――。

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