第二話
それから、3ヶ月ほどが経過した。
ハピの成長速度は人間より数倍早いように思える。
そもそも孵化した状態で歩行能力のある幼児だったため、人間の常識で考えるのはやめたほうがいい。
「パパ。おなか、すいた」
アリスが足元にひっついて見上げてくる。
見た目は6~7歳程度、知能はまだ3歳児程度だ。
しかし、教えるまでもなく言語を習得し始めている。
幼児の学習能力は侮れない。
食事は日に二度、果物類や山菜を与えている。
グリフォンなら肉を食べるだろうと思ったが、アリスは口にしようとはしなかった。
最初のころはすりおろした果実でないと食べなかったが、最近では林檎にかじりつくほどのアグレッシブさを見せている。
飲み物は川の水を煮沸させて飲ませている。
冷水だと飲み込む時辛そうにしていたのでぬるま湯を与えるようにしている。
ハピに関する文献はほとんどなく、俺に子育ての知恵はない。
それがアリスの個性なのか、ハピの性質なのか、はたまた病気や精神の異常が引き起こしていているものなのか、俺には判断ができない。
三つ目ではないことを祈るばかりだ。
「ほら、できたぞ。シチューだ」
「しちゅー? ありす、この葉っぱ、きらい」
「健康に良いときく山菜だ。一口でもいいから食べなさい」
「むー」
アリスは好き嫌いが多い。
怖いので一口食べさせて身体に異常がないか観察している。
肉だってまさか食べられないわけではないだろうと、細かく刻んでいれてみた。
アリスは意を決してスプーンを口に運ぶと、これでいいでしょ? と言わんばかりのドヤ顔を見せた。
「すごい?」
「ああ、偉いなアリスは」
「えへへ」
その日の食事も終え、再び夜がやってくる。
アリスはあの日のことを覚えているように、眠る時は俺の服の裾を掴んでいる。
離れようとすると直ぐに起きて泣き喚くのだ。
それは日中も同じで、この3ヶ月間ほとんど傍を離れようとはしない。
『観察日記 93日目』
今日初めて肉を食べさせることに成功した。おそらく、生後間もない頃は咬合力が弱く反芻できなかったのではないかと推測する。
そして最近コミュニケーションがとれるようになってきた。どこで覚えたのか『パパ』と呼ばれた。俺にそう呼んでもらう資格などないのに。
「くしゅん」
「大丈夫か、アリス。風邪でもひいたのか」
「だいじょーぶ」
そう言ってにっこりと笑うが、顔がほんのりと赤い。
最近気温が下がってきた。ハピは体温が高く、温かい羽毛に包まれている。
寒さには強いかと思ったが、アリスにはボロボロの外套を着させているだけでほとんど裸だ。
それにほぼ毎日獣道を歩いている。
もう少し体調に気を配るべきだったかもしれない。
「……今日は早いがもう休もう」
何も急ぐ旅路じゃない。
それにもう少しで未開拓領域に足を踏み入れることになる。
伽話じゃ、荒れ果てた荒野を超えた先に「ワンダーランド」があるという。
今のアリスじゃ道半ばで倒れるのは目に見えている。
「……酷い熱だ。我慢していたのか」
「パパ……おいてかないで」
「安心しろ。俺はどこにも行かない」
熱に浮かされるアリスの手を握る。
ただの風邪ならいいが……。
このあたりにはめぼしい薬草は見つからない。
この森を抜ければ最東端の街ミリアに到達する。
迂回するルートもあるが、それだと険しい山道を進むことになる。
今は薬も欲しいが、何より荒野を超えるには装備が乏しい。
長居するつもりはないが、暫く滞在してもいいかもしれない。
~~~
ミリアに入って一週間が経過した。
薬を配合してからアリスは順調に回復した。
三日目以降は街に出かけるようになった。
初日こそアリスは大勢の人たちに怯えてしまっていたが、もう慣れたのか平気な顔をしている。
アリスにはフードを被せて異種族であることがバレないようにしている。
異種族を差別する文化のある国はあるし、こいつを売れば金になることを知って欲しがる連中もいる。
アリスにはまだこの世界の汚れを見てほしくはない。
本当ならば宿に置いて行きたいところだが、まだ俺のそばを離れようとはしないのだ。
最近では見えている範囲では離れても大丈夫になったが、ひとたび俺が居なくなると俺を慌てて探しに来る。
そろそろ食料と水は確保できたことだし、マシな衣服も買えたので、この国を出ても良い頃かもしれない。
「アリス、今日も一緒に買い物に行こうか」
「おでかけ! 行く!」
「ん……なんだそれ」
アリスが腕を広げて、俺を見つめてくる。
「えっと……」
「抱っこか。それならそういえ」
「いいの?」
アリスは俺に遠慮がちなとこがある。
嫌われればおいて行かれるかもしれないと、子供ながらに考えているのだ。
寂しげな子供を抱きかかえるくらいはしていいだろう。
そして俺たちは街に繰り出した。
この街の人たちはみな親切で、観光客は手厚い歓迎を受けた。
今の俺たちの身の上あまり目立ちたくはないが邪険にされるよりはマシだろう。
飯も上手いし、宿もきれいだ。
安全な水や食料もある。
快適な暮らし、見たことのない景色、知らないの味、匂い、はじめてのことばかりでアリスははしゃぎまくっている。
本当ならもっと滞在して普通の暮らしをさせてあげたいが、この町の人たちが異種族に寛容という保証はどこにもないのだ。
「ねえ、パパ! あれなに!?」
「ん……ああ、あれはリンゴ飴だな。食べたいか?」
「うん!」
アリスが目を輝かせて言う。
遠慮のない本来あるべき子供の姿。
俺は今まで父親らしく接するのを無意識に拒んでいた。
でもそれは逆に、アリスを子供らしくいさせてあげられてなかったのだ。
「アリス。俺に遠慮することはないぞ。俺たちは……家族だからな」
「うん! 大好きパパ!」
小さな口でリンゴ飴を頬張る姿が愛おしくて、胸が痛くなる。
「いい食べっぷりだねえ。もう一個おまけしちゃおうかしら」
「いいの!?」
屋台のおばさんに話しかけられても、アリスは怯えずに受け答えする。
アリスの適応能力は目を見張るものがある。
「でもどうして深くフードなんてかぶってるんだい?」
「それはパパが」
「この子は肌が日光に弱くてですね、外に出るときはこうしてフードを被ってるんですよ」
「それはかわいそうにね……」
この手の質問にはそう答えるようにしている。
他にもアリスに関する質問は大抵うけながせるように答えを準備している。
『こら、走ると危ないよ!』
『大丈夫だよーーわあっ!?』
同じくリンゴ飴を食べたかったのか、男の子が元気よく走ってきて、アリスにぶつかった。
「大丈夫か!」
「う、うん……平気だよ」
そのとき、俺は気づくのが遅かった。
アリスのフードはぶつかったとき脱げ、人間と異なる顔が顕になった。
「そ、その子……まさか」
「ーーーーッ」
俺はアリスを抱えて走り出した。
しくじった。俺としたことが油断していた。
「パパ……どうしたのそんな怖い顔して。アリス、悪いことしちゃった?」
「いや……アリスは何も悪くない。ただ、そろそろこの街を出ようって思っただけだ」
アリスは何故フードを被らなくちゃいけないのかも、何故自分の姿が俺と異なっているのかも知らない。
俺はその足で東の関所へと向かった。
すると禿頭のおっさんが怖い顔してこちらを睨んだ。
「……子連れが何の用だ。こっから先は荒野しかねえぞ」
「構わない。この先に用がある」
「あんたらも『ワンダーランド』を目指してんのか? やめとけ、今まで何人もの研究者や冒険家が出ていったが帰ってきたことはねえ」
「それでも、通して欲しい」
「……わけありってやつか。まあいい、勝手に通れ」
そいつは背中で眠るアリスを見て目を細めたが、特に何かをする訳ではなかった。
「独り言だと思って聞いてけ。『ワンダーランド』には異種族以外を妨げる結界が張ってあるって噂だ。どういう理屈かは知らねえがな」
独り言に反応するのはおかしいだろう。
俺は関所を通過して、果てしない荒野へ足を踏み入れた。
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