第2話
「小説をうまく書けるように相談に乗って欲しい」と言うようなことを小宮さんに伝えた。その流れで一緒に帰ろうと誘ってみたものの、何を話していいかわからない自分がいた。小宮さんは大人しい女子だから、俺が何か話さなかったらきっと何も話をしてこない気がしている。
校門を出てすでに三分は経っている。もう直ぐやってくる緑色がテーマカラーのコンビニの横を曲がれば、あとは住宅街へと続く遊歩道になる。雨なのに自転車通学している人たちのクリーム色の雨合羽が、いくつかその曲がり角の先に吸い込まれていくのが見えた。
――そうだ。
「小宮さんって、自転車通学だよね」
俺は当たり障りのない会話を左隣を歩く小宮さんの桜色の傘に向かい投げかけた。傘の先がクイっと上がり、雨の滴が多めに流れ落ちる。傘の下から顔を出した小宮さんは、僕をみて、「うん」と言ったあと、何か言おうとしているけれど、また傘を元の位置に戻してしまった。
――もっと、なんか、こう続くような話をしなくちゃダメだって。
僕は何かないかと考えた。小説にアドバイスをしてほしいといえば、それなりに会話は続くかもしれないけれど、でもその話題は自分にとっては胸が痛む話題でもあった。だって、小宮さんは本を読むのが好きな女の子だ。そんな本を読むのが好きな女の子に、あんな恥ずかしい文章を、小説書いているんだといって読ませてしまったのだから。
「あのね大地君」
僕が頭の中であれやこれやと悩んでいたら、小宮さんがさっきよりも僕の方に傘の先をあげて、僕に声をかけてきた。僕はドキッとして、思わず立ち止まった。
「うん……」
僕はあの僕が書いた小説のことを小宮さんが話し出すんじゃないかと思って、体が
「あの、あの小説のことなんだけど……」
――やっぱりそうくるかぁ!
僕は頭の中でそう叫んでいる。やっぱり小説の話になるに決まってるし、小説の相談がしたいといったのも自分である。しかし、読書が好きな小宮さんがびっくりするような告白方法を考えただけであって、本当に小説が書きたいわけではないことは、自分が一番よく知っている。この話題を突き進めるということは、そして、小宮さんが真剣に僕の小説のことを考えてくれると言うことは、それは小宮さんの優しさを裏切ることになるような気がしている、僕がいる。
「あの、ね。……私、ちょっとよく考えたんだけど……」
小宮さんも立ち止まって僕の方を見ている。僕は「ちょっとこっち」と道路の脇へ小宮さんを誘った。誰かの家のブロック塀の脇に立つ僕たちの目の前を、クリーム色の物体がいくつか通り過ぎて行った。
「あ、危ないよね、道路の真ん中で立ち止まったら。ありがとう、大地君」
「あ、ううん。ここ、車は通らないけどね」
「うん……」
紺色の傘と淡いピンクの傘が二つ並んでいるのを横目に、隣のクラスの女子が目の前を通り過ぎて行く。目線で追うと少し進んだところでこちらを振り向き、ニヤニヤ笑っているような気がして嫌だった。
――やな感じ。
いま目の前を通り過ぎた二人のうちの一人は、転校してきてからすぐに僕に告白をしてきた人だった。流されるように付き合って、流れるままに「別れよう」と言ってくれた、僕の顔が好きだった人だ。僕の顔は小説家の母さん
小宮さんの傘の先が道路に向かってさがり、僕ははっとして小宮さんの方に向き直った。僕だって嫌な感じがするのだ。休み時間の度に文庫本を取り出して読んでいる小宮さんはきっともっと嫌な気持ちで今いるのかもしれない。
「あのさ、……ごめん」
僕は思わず小宮さんに声をかけた。小宮さんの桜色の傘が揺れて、小さな声で「ううん」と言ったのが聞こえた。
「急に変なお願いして、それで、あの、一緒に帰ろうとか、……困るよね」
僕は少し頼りなさそうな声で小宮さんにそう言った。すると小宮さんの桜色の傘はさっきよりももっと下に傘の先を向けて、雨粒が速さを増して傘先へと滑り落ちてゆくのが見えた。
――何やってんだよ、俺。こんなの、変に目立っちゃってるだけじゃんか。
「ごめん……」
気づくともう一度、僕は小宮さんに謝っていた。僕の奥底から嫌な塊がぐいぐいぐいぐい僕の心を占領し始めてくる。「じゃあここで」と別々に帰るのが正解なのか。「それとも自分から持ち出した小説の相談に乗ってほしい」の話に決着をつけるのが本当なのか。
――でも今更、なんの話もしないで帰ったら、それこそ小宮さんに嫌な思いをさせただけで終わっちゃうだろ。
自分で言い出したことなのに、その方向性が見えない。そう思いながら小宮さんの傘を見つめていたら、桜色の小宮さんの傘がぐらっと揺れて倒れそうな角度になった。
「あっ、だ、大丈夫?」
思わず手で小宮さんの傘を掴み、中を覗き込んで声をかけると、小宮さんは恥ずかしそうな顔をしていて、その顔は桜色の傘の色も混じってより一層赤くなっているように見えた。
「あの、これ……」
小宮さんが手に本屋さんのブックカバーがついた文庫本を持っている。
「え? えっと、それ?」
「うん、……これ、私の一番好きな本なんだけど」
そう言って僕の方に手渡してくるその文庫本を手に取ってから、傘の棒を首に挟んで支え、両手で本の表紙を開いて見たら、僕の時間が一瞬止まったような気がした。
【『遙か彼方に君がいた』著:和山きょう 】
映画化もされた母さんが書いた本だった。僕が小宮さんのことを好きだと思ったきっかけも、小宮さんがこの本を読んでると知ってしまったからだ。
「えっと……」
僕はその先の言葉が出てこない。なんといえばいいのだろうか。「これは僕のお母さんが書いた本です」なんて口が裂けても言えない。かといって、何を言っていいかわからない。
「この本、知ってる? あのね、映画化もされたすごくいい恋愛小説なんだけど……」
小宮さんが少し焦って、僕に話しかけてくれるけど、僕は両手で本を持ったまま固まって動けないでいる。「うん」と言ったらいいのか、「知らない」と言えばいいのか。
「あ、ごめん。こういう本じゃないか。大地君が書きたい小説って……。ごめん」
「えっと、ううん、あ、あのさ……」
「本当ごめんね大地君。 私いろいろ考えたんだけどさ、あの、……うん。えっと、私読むのは好きだけど、大地君に小説を上手に書けるように教えるなんて絶対できないって思って。それで、あの、おすすめの本を紹介して、それで、その本のどこが好きとかこの表現って素敵だねとか。そういう話をするくらいなら、できるのかなって思ったんだ……けど。それってあんま意味ないか。ははは……」
一気に話をして、申し訳なさそうに最後笑った小宮さんを見て、僕は息ができなくなってしまった。僕の変な告白のせいで、小宮さんを困らせている。僕はそう思った。
――小説を書くのに興味があるわけじゃない。僕が興味があって、僕が好きなのは、小宮さんなんだ。ただそれだけのことだったのに。
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