第3話

「本当、ごめん……」


 小宮さんのピンクの傘がまた下を向いた。だからもう小宮さんの顔は見えない。僕は、何も言えない自分が情けなくなって、小宮さんから手渡された母さんが書いた本を静かに閉じた。目を閉じると傘に落ちて傘の内側で反響する雨粒の音よりも、自分の鼓動の方が大きく聞こえる気がした。


――本当の自分の気持ちを、ありのままの自分で、ちゃんと小宮さんに言わなきゃダメだ。


 ドクンドクンと俺の中の音は速さと勢いを増してゆく。もう雨音が耳に入らないほどに、ドクンドクンと振動までもが強くなる。俺の意識は隣にいる顔の見えない桜色の顔をした小宮さんに向かっていて、どんっと誰かに背中を押されでもしたら、口から好きだと言ってしまいそうだと思った。


――言ってしまったら、小宮さん、もっと困るかな。


 小宮さんはきっと誰かに注目されるのが好きじゃないはずだ。国語の武山先生が今日の授業中に名指しで小宮さんを褒めた時も、恥ずかしそうにしていたのを隣の席の俺は知っている。もしも俺と付き合うなんてことになったらば、小宮さんはきっと女子からも男子からも注目されてしまうだろう。だって、小宮さんは物静かな本が好きな女子で、俺は顔だけが良くて妙にモテている男子なのだから。


 小宮さんに好きだと言いたい。小説がうまく書けるようになりたいから手伝ってほしいんじゃなく、小宮さんが好きだと伝えたい。


――でもそれは小宮さんにとっていいことなのか?


 小宮さんが俺のことを好きかどうかなんてわからない。告白の返事はもらってないし、なんならその告白さえも告白ではないと思われている。


――どうしたら一番いいのか、もうわかんないって。


 だけど、この変な状況を切り抜けなくてはいけない。目の前を傘をさした同じ学校の人たちが変な目で見て通り過ぎていくし、小宮さんだってこんな状況困ってるはずなのだから。


「「あ、あのっ」」


 小宮さんも思うことがあったのか、勢いよく傘をあげて俺に声をかけてきた。小宮さんの声が俺の傘の内側に反響しているような気がした。向き合った俺と小宮さんの傘だけの空間ができていて、雨音以外は聞こえない。


 二人だけの世界がそこにはあった。

 もう、俺はここまできて引き下がれない。


「私、全力で大地君の小説を応援しようと思ってて……」


 小宮さんが先に話を切り出した。だから俺は、もうちゃんと本当のことを小宮さんに言おうと決意した。


「あ、あのさ、小宮さん」


「うん……」


「あ、あの俺、実はさ……」


――いえっ! いま言わないでどうすんだよっ! 俺!


「あ、あのさ俺……」


――はやく動け俺の唇!小説が書きたいんじゃなくて、小宮さんのことが好きなんだって言うんだよ!





「好きなんだ」





 たった5文字のこの言葉をどれくらいのエネルギーを使って言ったのかと聞かれたら、俺はこう答えるだろう。「富士山くらいの大きさの石を持ち上げるようなエネルギー」だと。


 向き合った傘の中の二人だけの世界には、もう雨音さえも聞こえない。呼吸をとめて、小宮さんのことを見つめた。ドクンドクンと自分の鼓動だけが耳の奥で響いている。苦しい。重たい。でも抜け出すことができない、そんな二人だけの世界の半分は、桜色の世界だった。その桜色の中で、小宮さんが俺を見つめて固まっている。





 かすかに、小宮さんの唇が動いて、小宮さんは俺に言った。





「そんなに、この小説、好きだったんだね。ごめん、そんなに好きな小説だって知らなくて、わたし、大地君におすすめだなんて偉そうに紹介なんかしちゃって」


「え……? ちょまっ、って……。小宮さん?」


「私、応援してるから! 大地君の小説続きも楽しみにしているね!」






 俺の誰にも言えない恋は、片思いのまま、まだ続く。







 



 


 

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誰にも言えない、初めての帰り道 和響 @kazuchiai

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