証はちゃんと残り続け、そして――
相棒と、そう囁くとスマホが輝いた。
まさかこういう時に現れるヒーローのように擬人化か、なんてことを考えたがそんなことはなく、ただ俺の手の中に収まっているだけだ。
相棒が答えてくれたのは嬉しかったけど……何となく、別れが近いことも予感しているので無理はしてほしくないという気持ちが強い。
「そいつのせいだ……そいつのせいだ俺は不幸になった! 最初から最後まで言うことを聞いていればそれだけで良かったのに!」
俺と同じ顔をしたこいつはずっと喚き散らしている。
正直、自分と同じ顔をした奴が延々と情けないことを叫んでいる姿を見るのは苦痛なわけで、出来れば茉莉とフィアナにも見せたくはない光景である。
「お前たちはなんでそいつの傍に居るんだよ!? 俺からは離れて行ったくせに!」
そして矛先は俺から二人へと向いた。
こいつの身に何が起きたのか全貌は分からないまでも、ずっと彼女たちにとって望まない催眠を続けた結果、俺が出会ったあの女性のように嫌悪感が催眠の力を上回った結果だろう。
(……別人だとは分かっていても、この世界の俺の家族は一体――)
さっき見た姉ちゃんは本当に辛そうで、あそこまでの表情は一度も見たことがなかった……それこそ、俺が撃退したあいつのことで悩んでいる時にも見られなかった表情だった。
俺のことをどこまでも愛してくれている父さんも母さんも、この世界ではどんな心境で居るのだろうか……考えることも怖い。
「甲斐君と同じ顔なのがムカつくよこいつ」
「ほんとにね。近づくだけでも無理だよ私には」
っと、今は目の前のことに集中しよう。
二人の言葉は容易に奴の心を切り裂いたようで、無様に喚いた様子から一転し二人に対して怒りを滲ませた目を向けた。
俺は二人を庇う様に背にして奴と向かい合った。
「ここは何だとか、何の用だとか正直どうでも良い。気になるっちゃ気になるが今の俺たちの要件としては一つ――とっとと帰してくれよ。こんなファンタジーみたいな経験も悪くはないんだが、どうせなら明るい世界の方が良いからさ」
「っ……何余裕ぶってんだてめえは!」
「余裕とかそういうんじゃねえよ。なんで俺たちが何の関係もないお前の茶番に付き合わないといけないんだって話だ」
どういう原理かは知らないが、ここに呼ばれたのはこいつが原因だ。
あんな姉ちゃんの顔を見たりしたら、どうにかしてやりたいと思わないでもないけれど、そこまで考えても仕方ない。
俺にはもう、本来の世界で守るべき存在が多くいるからだ。
「茶番だと!? ふざけるなっ! お前は俺と一緒だ……そのクソアプリをお前に渡したのも俺なのに、なんでお前はそうやって笑っていやがる!」
「……だから俺とお前は別人だって言ってるだろうが」
相棒を俺に渡したというのは気になるが……どうせ自分が不幸になったから俺も同じ目に遭えとそんな感じだろうなきっと。
自分と俺を同列に語るのもそうだが、相棒のことをクソアプリと連呼されるのもそろそろ鬱陶しい。
「お前いい加減に――」
してくれよと、そう口にする前に俺の両頬に柔らかな感触が触れた。
それは茉莉とフィアナが俺にキスをしたもので、当然ながら俺は逆にそっちに驚いて言葉を止めてしまった。
それは奴も同じらしく、俺と同じようにポカンとした顔をしている。
俺に向かって微笑んだ二人は奴に向かって視線を向け、そして強い口調で口を開いた。
「あなたと甲斐君は同じなんかじゃないよ。私たちの知る甲斐君はそんな風に誰かを悪くは言わないし、相棒さんのことを酷く言わないもの」
「そうだよねぇ。それに、あなたのことは好きになれないけど……えへへ、隣に居る甲斐君のことはこんなにも大好きだもんね」
「……二人とも」
そう言えば二人とも、最初は困惑したけど途中からは全くこの現象に怖気づいた様子はなくて、奴を前にしても全く怖がってはいない……あはは、本当に強いな俺が好きになった彼女たちは。
「たぶんあなたは私たちもこの世界の私たちと同じだって言うんでしょ? 悪いけど全然違うとだけ言っておくね。さっきフィアナも言ったけど、私たちはみんな甲斐君のことが大好きだから」
「うんうん♪ あなたは無理やりおっぱいとか触ったりしたんだろうけど、この世界の私はあなたにこうやって進んで触らせたりするのかなぁ?」
「……フィアナ、それはちょっと挑発だと思う」
まるで見せつけるようにフィアナは俺の手を取って胸元に置いた。
豊かな胸元に沈む俺の指に合わせ、熱い吐息を零すフィアナの表情はとても色っぽく、それだけ俺のことを心から受け入れているのが良く分かる。
「……ぐぅっ!! ふざけんなあああああああっ!!」
そして我慢の限界が来たようで、大声を上げたかと思えば奴の周りから黒い糸のようなものが溢れ出た。
それはあのアプリの画面で見たようなモノに酷似しており、まるで俺たちを逃がさないかのように迫ってきたが……相棒が応えてくれた。
「これは……」
「相棒さん?」
「……温かい」
スマホの画面が光り、俺たちを守るようにピンクの糸が現れた。
それは迫りくる黒い糸を弾き飛ばし、奴に何をしても無駄だと思い知らせるような堅牢な壁となった――そして何より、早く帰ってきてとこの糸を通してここに居ないみんなの声が聞こえたような気もした。
「……うん?」
その時、スマホの画面に文字が浮かんだ。
“彼のスマホ”
それは短い文字だったが、俺は頷き一気に駆け出す。
ピンクの糸が守ってくれるおかげもあって、黒い糸が俺に届くことはない。
そのまま一気に近づき、俺は奴に密着して手に持っていたスマホに手を伸ばす。
「何しやがる!?」
「ここから帰るために、全てを終わらせるんだよ」
一瞬の隙を突くように俺は奴を突き飛ばしてスマホを奪うことに成功した。
俺のスマホが光り輝くと同時に、奴のスマホは跡形もなく消えて行った……そして奴の姿も徐々に見えなくなっていく。
「クソがあああああああああっ!! なんでだよ……なんで俺とお前はこんなにも違うんだ!! 全部一緒だろう!? それなのに――」
「うるさい。いい加減に付き纏うのはやめてくれ――失せろ」
そもそも俺からすればこんなバトル漫画みたいな展開はお呼びじゃないんだよ。
相棒を通じて知り合ったみんなとただただイチャイチャして過ごす、そして未来に向けて頑張る日常を送るだけで良いんだよ。
「……取り敢えず、これで終わりかな?」
「かな?」
「……甲斐君、かっこよかった」
ポッと頬を赤らめているフィアナに俺と茉莉は苦笑した。
そして次の瞬間、俺たちの体を包むようにしてピンクの糸が囲み出し……そしてスマホの画面が再び輝くのだった。
▽▼
「……ここは?」
ふと気づけば俺は真っ暗な空間に居た。
あの世界でのことは解決したと思うので、後は帰るだけだと思っていただけにまだ何かあるのかと俺は首を傾げる。
しかし、不思議と不安はなかった。
茉莉とフィアナは傍に居ないけれど、それでもすぐに会えるという安心感があったからだ。
「……?」
そんな中、俺のスマホが目の前に浮いていた。
手に取って画面を覗き込むとホーム画面が映っており、催眠アプリのアイコンが今にも消えそうなほどに薄くなっていた。
「……そうか。お別れ……なんだな」
そう問いかけると虚空に文字が浮かぶ。
“今までありがとうご主人”
「それはこっちの台詞だって」
“私は何を求め、何をどうしたいのか分からなかった。それでも、ご主人を含め集まったあの子たちからありがとうと言われることが嬉しかった。私はたぶん、心から感謝されたかったんだと思う……自分の存在意義は誰かを幸せに出来ると、それが知りたかったんだと理解したから”
あの夢で見た人が言っていたこと……相棒は満足出来たってことか?
俺の元で……俺や茉莉たちと関わることで、相棒は良かったって思ってくれた……そういうことで良いんだよな?
「いくら感謝してもしたりねえよ。最初の内は相棒もきっと頭を抱えただろうけど、今こんな風になれたのは間違いなく相棒のおかげだ――ありがとう」
言いたいことは色々ある……でも、湿っぽいのは嫌だからな。
“ご主人からその言葉を聞けるのが何より嬉しい。私が消えることで、催眠アプリという概念は消失する。ご主人たちが忘れることはないけれど、もうご主人の世界に催眠アプリというものは存在しなくなる”
「そうなのか……その辺は良く分からんけど、寂しい気もするな」
“寂しい……なるほど、この気持ちはそれなのかもしれない。でも一つだけ心残りがある”
「なんだ?」
“私という存在が消えるのは不変の事実、でも……確かに何も残らないのは少し寂しいと思った。ご主人たちの記憶に残り続けるだけで充分だけれど……少し、そう思ってしまった”
俺はその文字を見てなんだそんなことかと笑った。
「何も残らないなんてことはないぜ? ちゃんと残るじゃないか」
“??”
「相棒が繋いでくれた俺と茉莉たち、この関係はこの先もずっと続いていく」
“!!”
「大変なことはいくらでもあると思うけど、それでも俺たちは絶対に離れたりはしないさ。だからそんなこと言うなよな。相棒はちゃんと、俺たちの世界に証を残してくれるんだから」
俺たちを繋いでくれたのは間違いなく相棒のおかげだ。
これからもずっと、俺たちが幸せに生きていくその形もまた……相棒が俺たちに残してくれた証なのだ。
“……それは……凄く素敵なことだ。私が目に見える形の証を残せる……ご主人、今私はとても満足してる。これ以上ないほどに幸福を感じている”
「そうか、なら良かったよ」
“だからこそ、最後にご主人たちにプレゼントを渡したい。私の最後の力を振り絞ったプレゼントをどうか受け取ってほしい。みんなで一緒に居ることを望むご主人たちの未来にとって役に立つはずだから”
「それは……!?」
相棒が言ったように、最後の力を振り絞るように画面が光り輝いた。
それはまるで波紋のように広がり、まるで世界そのものに何かを浸透させていくかのような光景にも見えた。
そして、ついにその時がやって来た。
「……お別れだな」
“お別れだご主人”
相棒がどんな表情を浮かべているのかは分からない、それでももしも顔が見れたならきっと笑ってくれていると思う……だから俺も笑顔で見送るんだ。
「さようなら、相棒」
“さようならご主人”
そうして俺はこの世界から元の世界に戻った。
相棒は俺の元から居なくなり、催眠アプリは完全に俺のスマホから消滅した。
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