相棒さんも、またね
「今日は凄い経験をした気がするわ……っ」
「あはは……まあ俺の方が驚いたけどな」
絵夢の家から出た後、俺は愛華を送るために彼女の家まで向かっていた。
俺の隣で顔を赤くしている愛華だが、その理由は単純に彼女にとっての玩具初体験があったからだ。
『こ、怖いわ甲斐君……っ!』
『大丈夫ですよぉ。すぐに良くなりますから♪』
初めてのことに怖がる気持ちは分かる、しかし俺としてはそんな愛華を沼に引きずり込もうとする絵夢の姿の方が印象的だった。
普段は凛としてクールな印象であり、俺とそういうことをする時はMの本質が顕著に出てくる。
しかし、玩具を手にして愛華に近づく彼女は楽しそうで……言ってしまえば初めて俺が見たSっ気の垣間見えた絵夢だった。
「それでどうだったんだ?」
「確かに凄いとは思ったけど……生憎と欲しいとまでは行かなかったわね」
「つまり絵夢の布教は失敗と」
「私としては甲斐君の目の前で攻め立てられたことの方が恥ずかしいわよ!」
辺りは暗くなり他の人の姿は見えないものの、愛華の声は透き通っているのでよく響くので俺の方がヒヤヒヤしてしまう。
愛華も大きな声を出してしまった自覚はあるようで、恥ずかしさを堪えるように俺の腕にしがみついた。
「……ま、偶にはああいうのも良かったりするかも?」
「そう? ……でも私としては無機質なものよりも甲斐君の方が何倍も、何百倍だって大好きよ」
「っ……」
ボディに強めの一撃を与えるかのように、愛華の言葉は俺に刺さった。
愛華だけでなく他の子たちにも言えることだけど、この関係になってから一つ一つに仕草に加えて出てくる言葉も全てが可愛くて、そして愛おしいと思えてしまう。
「それは嬉しいことを言ってくれるな」
「甲斐君にしか言わないわよ絶対に。もちろんそれだけじゃなくて、私は甲斐君の全部が好きなんだから。ずっとずっとそれは変わらないんだから」
「……………」
マズいな……愛華を離したくないんだが。
時刻としては五時半過ぎで、さっきも言ったが暗くなっているのでもっと一緒に居たいなんて我儘は言えない。
それでも……少しくらいは良いよな。
「愛華」
「っ……ぅん」
再び誰も居ないことを確認し、俺は愛華を抱き寄せてキスをした。
深いキスまではしないことを心掛け、触れるだけのキスを繰り返して俺たちは顔を離した。
「流石に平日だしこれくらいが限界だ」
「むぅ……そうね。時には我慢も必要だわ」
我慢が必要なのは俺もだと苦笑する。
その後、俺は愛華と寄り添いながら歩いて行くのだが……街中ではそれなりに愛華だけでなく茉莉たちともよくこんな風にして歩いている。
時折目が合う店の人だったりは俺が何股もしている最悪の男って認識してるのかもしれないな……七股してるようなものだけど、これは俺が望んだことだ――だから胸を張れよ甲斐。
「どうしたの?」
「え? あぁいや……まあなんだ。誰か一人を選ぶわけじゃなく、みんなを選んだことに自信を持てって自分を鼓舞してた」
「そういうことね。確かに甲斐君からしたら色々と考えることはあると思うし、私たちもしっかりと支えていくわ」
「ありがとう愛華」
「えぇ……本当に辛くなったりどうしようもなくなったら身を引く覚悟も――」
その先の言葉は必要ない、そんな意味を込めて愛華を胸に抱き寄せた。
愛華は一瞬キョトンとしたものの、ごめんなさいと呟いて俺の胸元に顔を埋め匂いを嗅ぎだした。
「そこで匂いを嗅ぐのか」
「仕方ないでしょ。だってこうされるの好きだし、甲斐君の香りは大好きなのよ」
ちなみにさっきと違って人通りは多いため、人波を避けてはいるが家に帰宅する学生や大人たちの中で俺たちは抱き合っている……そこそこに視線は集まった。
「甲斐君」
「なんだ?」
「帰りたくないわ」
クラッと来たけど帰らないとダメなんだよ。
さっきまで俺の方が寂しがっていたはずなのに、気付けば家が近づくほどに愛華の俺の腕を抱く力が強くなっていく。
どれだけ離れたくないんだと頬が緩んでしまうが、それでも俺たちは歩みを止めることはない。
「……………」
そんな風に愛華と歩いている中、俺は一つ別のことを考えていた。
それは絵夢の家で眠っていた時に見た僅かな夢のこと、てっきり忘れると思っていたが綺麗に覚えていた。
(……あれはもしかして、相棒を作った人なのか?)
顔は見えなかったけれど雰囲気はどこか科学者っぽかったし、あの端末の画面に浮かんでいたのは催眠アプリで……たぶんあれは相棒で間違いない。
(基本的に催眠アプリってのはエロ方面っていうか、そういったことに使われることが多いのは漫画知識だけど……作り手からすれば、誰かを助ける或いは救う力になってほしい……そんな願いを込めるのもおかしくはないよな)
真冬さんの弟や俺の前任者もおそらくそうなんだろうけど、使い方によっては自分だけ満足して他者を悲しませるというやり方もある……そして何より、俺も最初はそうしようとしていた。
まあ俺の場合は本当に運が良かったのと、俺自身の在り方と彼女たちの運命が絶妙に絡み合っただけに過ぎないのだ。
「甲斐君? 何を考えてるの?」
「……難しそうな顔でもしてた?」
「えぇ。そんな顔をしていたわ」
俺は歩きながら思っていたことを口にした。
「最近、相棒の調子がおかしいのは知ってると思うんだけどさ」
「そう……ね」
「実はさっき絵夢の家で寝てた時に不思議な夢を見たんだよ」
「夢?」
「あぁ」
頷いた俺は夢の内容を愛華に話す。
そこまで詳しいものではないが、ざっくりした説明であっても愛華にはしっかりと伝わったようだ。
「相棒さんが誰かの助けになるために……」
「あぁ。それを作ったと思われる人は望んでいたみたいだ」
そして催眠アプリにもしっかりと生まれたことの意味があり、優しい誰かにその存在を望まれたのだとしたら催眠アプリも満足することが出来ると……後腐れなく消えることが出来るのだとあの人は言っていた。
「……でも、それならその作った人の願いは叶ったんじゃない?」
「え?」
「だって甲斐君の手元に相棒さんは来たんだもの、そして相棒さんは私たちを助けてくれて……甲斐君っていう素敵な人に出会わせてくれた」
「……………」
「消えるとかそういう話は実感がないけれど、少なくとも私は……私たちは相棒さんに感謝しているわよ。というか、以前にありがとうって伝えたことがあるわね」
「へぇ?」
俺と初めて関係を持った日、その時に愛華とフィアナは感謝を相棒に伝えたとのことで、おそらく他の子たちも同じなんじゃないかと愛華は言った。
その後、俺と愛華は結局相棒とは何なのか、催眠アプリとは何なのかについて話ながら家に着いた。
「それじゃあ愛華、今日は楽しかった」
「私もよ。それじゃあね甲斐君」
「おう」
しかし、俺たちがただ言葉を交わして別れるはずがない。
どちらからともなく歩み寄り、俺たちはキスを交わし……時間にして数分は抱き合ったままだったかもしれないな。
「……え?」
「どうしたの……あ」
今気づいたのだが、女性が窓から覗いているのが見えた。
ここは愛華の家だというのもあるが、ビックリするほどに愛華にそっくりな顔をしているのでおそらくお母さんだろう。
「……何ニヤニヤしてるのよあの人は!」
「愛華の境遇を考えると誰だそいつはって出てきそうなもんだけど」
「最近の私は雰囲気も結構変わったみたいだから……それで色々と察してたみたい」
「そうなんだ」
「えぇ……ああもう、戻ったら色々と聞かれそうね」
今日はもう遅いし、その内挨拶をする時があるかもしれないな。
いずれは愛華だけでなくみんなのご家族とも話はしないとだろうし……本当にどうなるか分からないが、胃が痛くなりそうなのは確かだな。
「甲斐君……それから相棒さんも、またね?」
「……あぁ。またな」
そう言って俺は愛華に背を向けた。
一人で帰路を歩く中、俺はスマホを手にして催眠アプリを起動させる。
「……なあ相棒、またねだってさ」
もう数十秒もアプリは起動できずに強制終了を繰り返すようになった。
それでも何故か今は一分が過ぎても起動し続けており、今にも落ちそうなほどに点滅している画面は愛華の言葉に嬉しさを感じているようにも見えた。
「……ただの機械だからって流すにはあまりにもお前には助けられた。なあ相棒、勝手に居なくなるんじゃねえぞ? 居なくなる時はちゃんと言ってくれよな」
そう伝えるとアプリは強制終了してしまった。
ちゃんと聞いてたかよと苦笑しつつ、俺はスマホをポケットに仕舞って歩き出した。
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