体育祭だぜぇ!
暗闇の中でソレはずっと見ている。
現在の所有者であり、絶対の主である彼の役に立つためにソレはひと時も居なくなることはない。
『……あいつは一体……でも気にしても仕方ねえ。俺は俺だ』
そうだ、気にしても仕方ないとソレは嗤う。
結局のところ、ソレの真実に辿り着ける者は現時点で存在しない――それこそ何故生まれたのか、原初の存在に辿り着ける者は居ないだろうおそらくは。
だとしても、もうそのようなことはソレに関係はない。
ソレはただ、これからも主の望みに答えることのみ……それだけのはずだったのが最近のソレは良く分からない何かを抱いている。
『本当にあなたが……えっと、相棒さんが居ないと私と甲斐君はこんな風になれなかったかもしれない』
ソレに声を掛けようとする時点で異常者だが、主以外にも彼に集まる女子たちがこうやってソレに声を掛け始めた。
何を伝えてくるのか、何を考えているのか……だが一つ言えるのは、ある一つの言葉がソレに喜びのような感情を抱かせてしまうことだ。
『ありがとう』
ありがとう……その言葉の意味は分かっている。
しかし、だからといってその言葉をただ伝えられただけであるはずのない何かを震わせるこの感覚は何なのだろうとソレは困惑する。
主も良く口にしていたが、その時からこの感覚に悩まされている。
『本当に良い力だぜこいつは。くくっ、これからも精々俺に使われろよ』
『さあてと、次はどいつをこますかねぇ。都合の良い力ってのはたまんねえ』
たとえ薄汚い欲望でもそれを叶えるのが役目だった。
どんなに力を使わせられても労いの言葉はなく……まあ必要ないのだが、それでもその状態に変化を起こしたのが今の主だったわけだ。
『先輩との日々……えへへ、これも相棒さんのおかげです』
『あの時、私の願いを聞き届けてくれてありがとう相棒さん』
『最初はもちろん怖かったけど、私を後押ししてくれたのは相棒さんだったわ』
『相棒! 相棒! 相棒おおおおおお!! ってネタは置いておいて、愛華と同じで背中を押してくれたのはあなただった。だからありがとぉ♪』
分からない……このムズムズとした感覚はなんだとソレは困惑を隠せない。
しかし、ハッキリしていることは嫌なモノではなく……その言葉を時に求めていていざもらえることに喜んでいたのも確かだった。
『サンキューな相棒』
今となっては一番聞き覚えのある声が本当に心地良い。
ソレに明確な意思はない、それでももしかしたら……ずっとずっと求めていたのかもしれない。
何のために存在することになったのか分からず、欲望を叶えるだけとはいえ……たった一言、存在していることに対する証を示す言葉が欲しかったのかもしれない。
“……………”
その心地良さを抱いたまま、消えて行けるのであれば満足だとソレは笑った。
▽▼
夏休みが終わって数日が経つと、うちの高校も色んな行事が行われる。
この暑い時期に行うイベントの一つに体育祭と呼ばれるものがあるのだが、今俺は正にそれを実際に体験中だった。
「……あちぃ」
半袖半ズボン、頭には赤色のハチマキを付けて俺はテントの下で呟く。
「マジであちぃなぁ」
「暑いねぇ……」
近くに座っている省吾と茉莉も同じように呟いた。
グラウンドでは生徒たちが切磋琢磨するように駆けており、保護者や外部の来場者もかなり多く選手を応援する熱気も最高潮だった。
「あ、次は俺の出番だ。行ってくるわ」
「うい~」
「頑張ってね~」
省吾を見送ると、少しばかり茉莉が距離を近づけてきた。
流石にこの暑さの中で引っ付いてくるようなことはしないようで、それでも出来るだけ傍に居たいと言わんばかりに茉莉は俺の傍から離れない。
「……ふむ」
俺はチラッと隣の茉莉の横顔を盗み見る。
今更彼女の体操服姿に興奮したりするような次元ではないため、特にその点に関してはもう気にすることはない。
俺が目を奪われていたのは頬に貼り付く髪の毛だ。
(女の子が汗を掻いている姿は本当に色っぽいよなぁ……良いねぇ)
こうして彼女と特別な関係になったからこそ、もう茉莉たちのことをジロジロと見ることに抵抗は一切なくなった。
「どうしたの?」
「汗を掻く茉莉が色っぽいから見てたわ」
「そう? それは嬉しいなぁ♪」
そう言ってニコッと微笑んだその表情に俺は親指を立てた。
「本当にいつも最高の笑顔をありがとう茉莉」
「甲斐君にだけだよ?」
「分かってるさ。茉莉の笑顔は俺だけのモノだ」
「うんうん♪ それもそうだけど、私の恥ずかしい表情とかも全部甲斐君しか見れないんだからね? これからもずっと」
「おうよ」
だからずっと一緒に居てほしい、その言葉を読み取れないような俺ではないぞ。
既に二人の世界が構築されかけているのだが、流石に周りに多くの生徒たちが居るので俺たちも空気はちゃんと読む。
「あ、才華と絵夢だよ!」
「おぉ……すげぇ」
揺れている……おっぱいが。
今二人は借り物競争をしているのだが、借り物が書かれている箱まで走るだけのちょっとした距離しかないのに、それでもスタイルの良い二人だからこそそれはもうバルンバルンだ。
「どんなお題が出るんだろうね?」
「どうだかなぁ」
色は違うけど二人のことは応援したい。
俺と茉莉はテントの最前列に出るようにして成り行きを見守ろうとしたのだが、前に立った瞬間ちょうどお題を目にした二人がバッと俺の方を向いた。
「っ!?」
「……時代が時代なら二人は戦士になれるね」
普通に目からビームが出せるなら今の一瞬で俺は死んでたくらいの勢いだった。
そのまま二人は紙を持って俺の元に近寄り、二人にそれぞれ両の手を取られて走ることになった。
「お、おい!?」
「先輩が借り物なんです!」
「甲斐君が借り物」
そういうことなら仕方ない……か?
頑張ってと茉莉に背中を押され、そのまま走っていく中で姉ちゃんの姿を俺は見つけた。
(……あ、そうか。来てるんだっけ)
もちろん姉ちゃんだけでなく母さんも来ていた。
そんな母さんと仲良さそうに話をしているのは那由さんで、姉ちゃんと一緒にヒラヒラと手を振ってくれている中に松房さんも居た。
(こうしてみると新鮮な組み合わせだよな。すっげえ仲良くなってるみたいだし)
それは俺としてもとても嬉しいことだ。
とはいえ、今は競技の方に集中しようと思って走ることに意識を向けてゴールまで一気に駆け抜けた。
「ふぅ……」
ゴールテープを切った後、ずっと俺は二人に手を繋がれたままで離れる気配はなくそれはお題の発表まで続いた。
「それでは紙をお預かりしますね……ほぉなるほど」
「……何が書かれてるんだ?」
疑問に思ったその直後、二人が手にしたお題は発表された。
“頼りになる同級生”と“頼りになる先輩”が二人のお題だったらしく、俺はそれを聞いて変に周りに噂をされそうなお題ではなかったことに安心した。
まあ今更どんな噂をされたところで恐れるモノは何もないって感じだけど、それでもちょっとは気にしてしまうからな。
「間違ってないでしょ?」
「はい。先輩しか思いつきませんでしたから」
「二人とも……俺がこういうのもおかしな話だけど、ありがとな」
それだけ俺のことを想ってくれてありがとうとそう伝えた。
「だって色が違うからあまり一緒に居られないもん」
「はい! 茉莉先輩がズルいですよ!!」
ちなみに、そう言われていたことを茉莉に伝えるとニヤリと笑って完全に優越感に浸っていた。
それから時間が流れて昼休みになり、茉莉たちはみんな自分の家族と昼食を済ませるとのことで傍には居なかったが、俺の周りには正に華の集まりだった。
「この味付け……良いね。是非今度教えてほしいかな」
「そう? ならいつでもいらっしゃいな。教えてあげるから」
「あ、それあたしもお願いしたいです!」
「良いわよぉ。みんなでやりましょうか」
……那由さんと松房さん、本当に仲良くなってんな。
まあ松房さんに関しては姉ちゃん関係で以前から会ってたみたいだけど、姉ちゃん曰くあそこまで話すようになったのはつい最近らしい。
「アンタは本当に色んな人を変えるわねぇ?」
「……光栄なことって思えばいいのかな?」
「そりゃそうでしょ。私としても、真冬があんな風に楽しくしているのは嬉しいことだからね」
「ふ~ん」
「そうだ。ちょっと耳を貸しなさいよ甲斐」
「え?」
それから姉ちゃんにあることを言われたのだが……それは松房さんと話をしている時に試すことになった。
「あの……」
「どうしたの弟君」
「……真冬さん」
「っ!!」
姉ちゃんが俺に言ったこと、それは不意打ちするように松房さんの名前を呼んでみてとの提案だった。
松房さんはしばらく目を丸くしていたものの、かあっと頬を赤くするようにして下を向いてしまったが……年上お姉さんのそんな姿も可愛いなと俺は思うのだった。
「それじゃあ松房さん――」
「……名前じゃないの?」
これがきっかけで、俺はもう彼女を名前で呼ぶしかなくなったようである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます