気持ち良いぜぇ!
『そうそう、それでね!』
『うんうん』
『なんか……アンタ凄く元気になったわね』
姉ちゃんの部屋から漏れてくる声に俺は満足していた。
それは単に話し声が聞こえるから、なんていうありきたりなものではなく松房さんの元気そうな声が俺は嬉しかったのだ。
あの日から数日が経ったことで色々なことがあったものの、松房さんの身に降りかかった悲劇はもうほぼ解消されたといっても過言ではない。
「……記憶を消すほどの力……逆にちょっと怖くはあったけど」
相棒が使わせてくれた記憶を消す力によって松房さんは完全にあのクソ野郎のことは忘れており、それに連なる記憶に付いても既に消されている。
ただ俺もあれから姉ちゃんに会いに家に来る松房さんと言葉を交わして分かったことだけど、あの出来事だけでなく弟に関する今までの記憶全てが消えているようだったのだ。
「……………」
弟のことに関しては当然のように松房さんは両親から心配されたようだが……そこに関してはもう俺が出来ることはない。
そしてこれは風の噂で耳に入ったことなのだが、あいつはどこか精神が壊れたかのようにおかしくなってしまったらしく、まるで廃人のような姿に変わったのだとか。
「なあ相棒……俺は……いや、今更何を怖がってるんだ」
一体何をしたんだと問い詰めたい気もするが、あの悪党に対して一切の情けは必要ないだろう。
どの口がと俺に対し文句を言う人は居るかもしれない、だがこの出来事の裏に隠された真実を知っているのは俺だけなのでこのことに罪悪感を感じる必要はない。
「……よし、もう大丈夫だ」
俺にとって催眠アプリについて改めて考えさせられる事件だったけど、少なくともあんな風に使うことはないと思っただけに過ぎず、茉莉たちに対して使うことを改めるかと言われれば答えは否だ。
一度考え始めたらまた深く考えてしまう……だからこそ、もう本当にこの話題は終わりだと俺は自らの頬をパシッと叩いた。
それから俺はスマホを手に催眠アプリを起動してあの画面を見た。
「黒い点は綺麗に消えてる……あれは俺とは別にアプリの所有者を教えてくれていたのかもしれない。あんなのが何人も居るってなると世紀末だけど、定期的に見て確認する必要はありそうだ」
出来ればもうあんな人間が現れることなくずっと平和であってほしい、それこそ俺が望む好き勝手出来る日常を脅かす奴は是非とも出てこないでくれと俺は強く願うのだった。
「アイス食べよっと」
リビングにアイスを取りに行ってから部屋に戻ろうとした時、ちょうどトイレの帰りなのか松房さんと視線が合わさった。
「あ、弟君!」
「どうもです松房さん」
笑顔になって俺の元に駆け寄ってきた松房さんに手を握られ、そのまま引っ張られるようにして姉ちゃんの部屋に連れて行かれてしまった。
「弟君を確保してきたよん」
「あら、いらっしゃい甲斐」
「やっほ~お邪魔してるよ~」
困惑する暇を与えないかのように連れ去る松房さんは本当に嵐のような人だ。
俺にとって本格的に話をしたのはあの日、それから更に会話などをしたりして姉ちゃんが松房さんを元気の塊と言った意味がこれでもかと理解できた。
この際どうして連れてこられたのか、なんてことを聞くのは止めて大人しく流れに身を任せるしかなさそうだ。
「ほんと、アンタは甲斐のことが気に入ったわね」
「でも何となく分かるかな。凄く優しそうだし」
姉ちゃんと同じ小柄な体格の友人さんである
「可愛いなぁ弟君は。ねえねえ、あたしに弟君ちょうだいよ都~」
「嫌よ。甲斐は私だけの弟、誰にも渡しはしないわ」
「……都もなんだかんだブラコンだよねぇ」
あれ、なんかいつもより姉ちゃんがかっこよく見えるぞ。
さて、今こうして松房さんが弟関連の言葉を口にした時に姉ちゃんも安藤さんも少し表情が硬くなった。
ただその雰囲気は早々に払拭するためだったのか、姉ちゃんは座っている俺の足の間に収まるように腰を下ろした。
「ほら真冬、弟は姉のモノなんだから離れなさい。そうよね甲斐?」
「えっと……あの」
こうして姉ちゃんが俺の背中を預けるというのも珍しい光景だ。
友人が傍に居るとはいえこんな風に言ってくることもそこまでなかったので、もしかしたら少し松房さんに嫉妬でもしてくれたのだろうか。
「姉ちゃんもそんな可愛いところがあったんだな」
「一言余計だよ」
「ぐおっ!?」
脇腹にそこそこ強い一撃をお見舞いされてしまったが、姉ちゃんも流石に手加減をしたようで痛いほどではない。
「姉ちゃん、アイスいる?」
「いるぅ!」
自分が食べるために持ってきたアイスは姉ちゃんにあげることにした。
姉ちゃんだけにというのもあれだったので俺はすぐにリビングにまた向かい、俺を含めて三人分のアイスを手に部屋に戻った。
それからアイスを食べ終わるまで姉ちゃんたちの会話を聞いていたけど、本当に仲の良さが伝わってきて微笑ましかった。
(……本当に元気になって良かった)
そんな中、やっぱり松房さんを見ていて思うのはこれだ。
あの出来事は俺にとって確かに胸糞悪いことではあったけど、本当に彼女を助けることが出来て良かったと思っている。
以前にすれ違った際に体とか色々なモノが好みで是非とも催眠状態にして好き勝手したいと思ったこともあるのだが、流石に俺は松房さんに催眠アプリを使う気は一切ない。
「それじゃあ行ってくるわね」
「待っててね~」
「いってらっしゃい~!」
それから時間が過ぎ、ちょっとコンビニに行ってくると言って姉ちゃんと安藤さんが居なくなり俺は松房さんと二人っきりになった。
彼女に何もするつもりがないとはいえ、やっぱりスタイルの良いお姉さんと二人というのは緊張してしまう。
「……ねえ弟君」
「なんですか?」
そんな中、松房さんに声をかけられ視線を向けた。
姉ちゃんのベッドに背中を預けるようにして座っている松房さんはジッと俺を見つめていた。
体育座りのような姿勢なので短いスカートからパンツが非常に見えそう……いやモロに見えているのだけどうにかしてほしい。
それを素の状態の女性に指摘できるような領域ではないため、俺はゆっくりと視線を松房さんの顔に持って行った。
「……………」
「松房さん?」
ジッと見つめたまま口を閉じた松房さんに首を傾げた。
「……………」
松房さんはそれからしばらく俺を見つめたまま黙っていたのだが、何を思ったのか四つん這いになりながら俺の方へと距離を詰めてくる。
重力に従って落ちようとするものの、ブラによって支えられている胸を揺らしながらの光景に俺はドキッとしていた。
「弟君」
「……松房さん?」
そのまま俺のすぐ目の前までやってきた彼女はそこで姿勢を正して座った。
真っ直ぐに俺を見つめながら松房さんはこんなことを言い出した。
「あたしね? 何か嫌な夢を見ていた気がするんだけど、君の声に救われた気がするんだよ」
「……それは」
「あはは、いきなりごめんね? 夢の内容なんて全く覚えてないのにこんなことを言うのも変な感じだけど」
「……………」
もしかして松房さんはあの事を覚えているのか?
それを少し心配に思ったがどうもそうではないようで、松房さんの中では曖昧な夢として処理されているらしい。
突発的に思い出す可能性もゼロではないかもしれない、それでも限りなく思い出す可能性は低いと何故か俺はそう思えた。
「あたし、君の声が好きかな。都から君のことを可愛くて思い遣りがある弟ってのも聞いてたから……うん、あたし君のことが結構どころかかなり好みかも」
そう言って松房さんはニコッと笑った。
その後、すぐに姉ちゃんたちが戻ってきたので俺は早々に部屋から退散し、自分の部屋に戻って心を落ち着かせていた。
悪戯っぽく笑っていたのもあるし、俺を揶揄いたい意図も少し感じたのできっとあの言葉は恋愛的な意味ではないはずだきっと。
「……流石年上のお姉さんだよな。魅力がヤバい」
近衛さんしかり本当に年上の女性が持つ魅力というのは恐ろしい。
しかし、俺としてはそんなドキドキを感じながらもやっぱり嬉しかった……あの人があんなにも楽しそうにしていたことが何よりも嬉しかったんだ。
松房さんだけでなく、姉ちゃんたちも安心していたのが本当に良かった。
「……なんつうか、催眠アプリも使いようって感じだよな。誰かを不幸にするのも助けることも、或いは幸せにするのもその人次第って感じかもしれない」
いつになく俺はなんとも言えない清らかな気持ちになった。
「いやぁ本当に良い気分だぜ。明後日にはみんなが家に来るしなぁ」
明後日にはうちでバーベキューをするということでみんなが集まることになっている。
そのことを想像し、更には松房さんの笑顔も想像しながら俺は刻コノエさんの描いたエロ漫画を読むことにした。
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