柔らかと温かさよ、我に力を与えたまえ!

 フィアナから気になることを聞いて俺も考えることがあった。

 あるはずがないとそう思い切り良く考えられれば楽なんだが、一度気にしてしまうと頭から離れなくなるのも俺の悪い部分だ。


「……催眠アプリは一つじゃない。俺以外にも使える奴が居る」


 そもそもあの女性との邂逅で俺以外に使用者が居たというのは確証はないものの分かったことであり、フィアナとの会話でまさかと思う情報も飛び込んできた。


「ボーっとした様子の女性、そしてその女性を連れて歩くスマホを持った男……正直これだけだと全然分からないけど、それでももしメッシュの女性が松房さんだと仮定したならば……」


 嫌な想像は働いていく。

 最近になって元気がなくなったと言われている松房さん、姉ちゃんの話では本当に天真爛漫でボーイッシュな人らしく元気が取り柄と言っても過言ではないらしい。

 もしもその女性が催眠アプリを使われることで何かしらの被害を被り、あの女性のようになっているのだとしたら……ちょうど元気がなくなっている今の時期と重なるということだ。


「でも催眠中の記憶は残らないと説明には書かれていたし……うん?」


 ふとスマホの画面が光ったような気がして目が向いた。

 何か通知が来たのかと思えばそうではないらしく、特に何もなかったので首を傾げてしまったが俺は自然と催眠アプリを起動していた。

 俺が見た場所はあの名前が書かれている場所であり、相変わらず黒い点が俺の傍で不気味に蠢いている。


「……うん?」


 一瞬、本当に一瞬だがその黒い点から何かが俺に繋がるピンクの線に伸びたものの弾かれていた。

 どうしてそう思ったのかは分からないけど、まるで男が女に触れようとしてやめてと振り払われたかのような光景を幻視した。


「……まさか」


 そして何故か、今の光景が見たこともない男とフィアナに連想されたのだ。

 電話をしていた時、フィアナは不思議な感覚に陥ったものの俺の声を聴いた気がして正気に戻ったと言っていた。


「その男はフィアナに催眠を掛けようとしたのか?」


 可能性の域を出ない……だがそれでも、そのもしもを想像して俺は強い怒りを抱いた。

 分かっている……分かってはいるんだ。

 仮にこの想像が全て当たっていたとして、同じ催眠という手段を用いて彼女たちに好き勝手をしている俺が怒りを抱く資格なんてないことくらい。


「……俺は本当に嫌な奴だな本当に。彼女たちを物みたいに考えているわけじゃないのに、俺の大切なモノに手を出すなって気持ちになってくる」


 彼女たちは俺のモノだ……俺だけの存在だ。

 俺だけが彼女たちを独占できる……俺だけが、俺だけが!!


「……っ」


 マズいな、真っ黒な思考に塗り潰されるところだった。

 でも……実を言うとこの感情は別に嘘でもなんでもなく、心の中でいつも思う瞬間はあった――そう、彼女たちと触れ合っている時だ。


「……俺もとことん惚れてるんだろうなぁ」


 茉莉たちと過ごす日々、それは催眠の時も素の時も全部俺にとって既に大切な日常の一部になっている。

 もう手放すことが出来ない……それだけ俺は彼女たちに夢中になっている。


「更に最悪の考えなんだよな。俺多分、みんなのこと好きだわ」


 俺はみんなのことが好きだ。

 始まりは罵倒されてもおかしくはない出会い方、それから彼女たちの体に夢中になり、そして何故か仲良くなれて更に夢中にさせられた。

 彼女たちに奉仕をしてもらっている間は本当に気持ち良い、でも同時に心もこれ以上ないほどに満たされているのだから。


「……やれやれ、贅沢な悩みだぜ」


 これで彼女たちが素の状態でも俺のことを好きになってくれるような奇跡が起きればなぁ……なんてもしかしてを夢想してしまう。


「……まあでも、催眠で好感度を弄れないのはマシだったかもな」


 それをしてしまったら俺はきっと、ここまで彼女たちと良い関係を結べたとは思っていないからだ。

 その後、俺はずっとこのことについて考えていたがジッとしているのも嫌だったので外に出ることにした。


「相変わらずあっちいなぁ」


 暑い、本当に暑くて泣きたくなるほどだ。

 さっさと部屋に戻りたくなったが、俺は別に良いかと呟いてそのまま街の方へ向かうことにした。


「……? って待てよ。あの黒い線を弾いたピンクの線がフィアナなら……」


 俺の名前に絡みつくあの線たちは茉莉たち? なんてことを考えるに至ったが、俺は視線の先に気になる二人組を見つけた。


「……あれ、松房さんじゃね?」


 赤メッシュエロボディお姉さんの松房さんだ。

 彼女を見たのは今まで二回しかないものの、髪型の変化を見逃してもあの私服に包まれた豊満ボディを見間違えないわけがない。


「くくっ、これも茉莉たちの胸を日頃から揉んでいる証だな」


 拙者おっぱいソムリエを名乗ってもよろしいか?

 そうふざけたことを考えていた時、松房さんの近くにスマホを手にしている男が居るのも目撃した。


「……松房さん、なんか目の下の隈ヤバくないか?」


 ここからでも見えるほどに目の下の隈が凄いことになっている。

 それだけ寝不足なのか、それとも単純に寝れていないのかは分からないが……姉ちゃんも気になっているようだし、ここは確かめることにするか。


「……行くぜ相棒」


 いつでも催眠アプリを発動できるように俺はスマホを手に近づいて行った。

 二人が向かう先はどこかのビル……かと思われたが、男は先に松房さんをその地下の方へ行かせるようだ。


「ほら、早く行けよ姉さん」

「……………」

「何してんの? 言うこと聞けないのか?」

「ご、ごめん……行ってくるね」


 松房さんは怯えた様子で地下ハウスの方へ向かった。

 というよりも姉さんということは……あれが松房さんの弟? 姉ちゃんからも聞いてたけどあれは姉弟というより……何だろう、上手く言葉に出来ないけどまるで奴隷に命令するような言い方だった。

 ジッと息を潜める俺の耳にも届くほどに弟は頭を掻きながら声を上げた。


「なんか効きが悪くなってねえか? 一応従順だから催眠は出来てるっぽいけど、まあでも別に良いか。あはは、姉さんの壊れてく顔を見るのは最高だなぁ。いつもいつも出来の良い姉さんと比べられている俺の気持ちを少しは理解しろよマジで」

「……?」


 男に別の男が近づいてきた。


「ったく、お前も良い趣味してんな。自分の姉を売るなんて」

「別に良いだろ。ほら、金くれよ金」

「焦るんじゃねえよ。ほら、行くぞ」


 そんな言葉を交わしながら二人は地下ハウスへと消えて行った。

 今の話が何を意味しているのかイマイチまだ分からないけど、何となくだけど想像出来ている範囲ではあった。

 とはいえ、今の話ぶりからするにあの弟が催眠アプリを使えるのは確定だ。

 だがやっぱり俺と同じで他の人には一切伝えていないようだな……。


「……金欲しさにああいった連中に自分の姉を売った……つまりそういうことか」


 まるでエロ漫画にありそうな展開に心底吐き気がする。

 どういう影響で松房さんの記憶に綻びが出来ているのかは分からない、それでも心に傷を付けられるほどの経験ならば催眠のかかり具合に影響が出てもおかしくはないのか?


「……っ!?」


 少しだけ扉を開けて中を見た時、そこで見えた光景に俺は絶句した。

 相変わらずボーっとした様子の松房さんを囲むように裸の男が何人もいたが、それを眺めるようにあの弟が心底楽しそうに手を叩いて囃し立てている。


「いつも通りに頼むわ。もういっそのこと覚えていたら死にたくなるってくらいにやってくれよ~」


 その弟の言葉に俺は奴が自分と同じ姉を持つ人間なのかと疑いたくなった。

 確かに家庭環境の違いでどのように育つかはその人次第だが……流石にこればかりはどんな事情があるにせよやっていることが外道過ぎるだろう。

 俺が外道を語るなって? 確かにその通りだがあいつは類を見ないほどのクソ野郎だと俺は自分のことを棚に上げてでもそう言ってやる。


「……人の数が多いな」


 中に居るのはそれなりの人数なのでこんな大人数に催眠が上手く機能するかも分からないが、取り敢えずどうにか松房さんを助けるために動き出そうとしたその時だった。


「……?」


 スマホの画面がピカッと光り、いつの間にか催眠アプリが起動していた。

 ただ画面に映っているのは俺の顔で……ついジッと見ていた時、不思議な文字が浮かび上がった。


“あなたが思う強い存在をイメージしなさい”


「……えっと」


 深く考えることはせずに、俺がイメージしたのはあるキャラクターだった。

 それは俺とフィアナが読む漫画に登場するキャラクターであり、シリアスをぶっ壊すあのキャラクターだった。


▼▽


 松房真冬は混乱の極地であると同時に、深い絶望の中に居た。


(……またこの夢……でも目が覚めたらまた思い出す……頭から離れてくれない恐怖が襲ってくる!!)


 知らない男たちに蹂躙される夢、ずっと一緒に居た弟に好き勝手に嬲られる夢、それは夢が覚めてもなおまるで現実のように真冬は思い出してしまう。

 悪夢と呼ぶにはあまりにリアル、自分の体に触れる男たちと信じていたはずの弟が抱く悪意をダイレクトに真冬は受け止めていた。


(……ただの夢のはずなのに気持ち悪い……嫌だ……誰でも良いからこの夢を終わらせてよ! 誰でも良いから助けてよ!!)


 目が覚めた時、自分の体に誰かが触れた感触が残り続けているのが気持ち悪い。

 映像として残り続ける記憶のことを誰にも相談できず、段々と自らの体に分かりやすく影響として出てくるそれを友人に心配されるのも申し訳なかった。

 また今日もこの現実にほど近い悪夢を完璧なまでに意識を保ちながら経験するのかと、耐え続けていた心が最後の決壊をしそうになったその時――不敵な笑い声が響き渡った。


「フハハハハハハハハハハっ!!!」

「っ!?」

「誰だ!?」


 その笑い声に真冬だけでなく、その場に居た全ての者たちが目を向けた。

 涙に滲む視界の中、真冬の目はその声の主を……彼を目に留めた。


「家族というものにはいくつもの形がある。愛情はもちろんだが、薄汚い欲望によって齎されるモノであったり……な」


 眩しい光をバックに腕を組んで立っている彼から真冬は目が離せなかった。

 周りの男たちはもちろん、弟さえも突然の男の登場に慌てており辺りは騒然となっている。


「何かしらの事情があり、憎しみと悲しみによって突き動かされるそれもまた正しい感情ではある。だが、だからといって貴様のやっていることは正しくはない。己が欲望を満たすため、卑劣な手段で女性の心を傷つける者――人それを、外道と言う」


 指を差された弟は狼狽えながらも言葉を返した。


「な、なんだてめえは!!」

「貴様に名乗る名はない!」


 実を言うと真冬にも何が起きているのかは分からない。

 それでも何故か腕を組んで立つ彼は誰よりも頼りになる、自分を絶対に助けてくれるという希望を抱くことが出来た。

 それはただ恰好を付けているだけではなく、彼の纏う異様なまでの雰囲気が真冬にそう思わせたのだ。



【あとがき】


スーパー棚に上げタイム

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