これも彼女の心だぜぇ!

 本間絵夢はMである。

 それは他ならぬ自分自身が良く理解していることではあるのだが、あくまで自分の中にだけ留めておくべき事実であり、ましてや誰かに伝えたりする気は更々なかった。


『……はぁ、おかしいのかな私って』


 そんな問いかけを良く鏡に映る自分にしたこともあった。

 どんな理由でこのような性癖を抱えることになったのかは良く分からないが、それでも絵夢にとって誰かに支配されるというのはこの上なく興奮する事実なのである。


『付き合ってください!』

『嫌よ。身の程を知りなさい』


 そんな絵夢の真実を知らずに告白してくる男子は後を絶たず、その度に絵夢は強い言葉を使って切り捨てていく。

 もしもこの言葉に逆上して襲い掛かってくるならば……なんて救いようのない破滅的願望もなかったわけではないが、今となってはその考えか間違っていたことを知った。






「絵夢〜! お昼食べましょ?」

「分かったわ」


 それはいつもと変わらない昼休みだ。

 仲の良い友人と共に昼食を済ませた後、絵夢は頭がぼーっとする感覚を感じて立ち上がった。

 良く分からないこの感覚に最初のうちは戸惑うことも多かったが今は違う、何故ならこの感覚に従えばご主人様に会えるからだ。


「ねえ絵夢? 最近良くどこかに行くけど何してるの?」

「少し用事があるの。行ってくるわ」


 そう言葉を返し絵夢は教室を出る。

 目的地に近づくに連れて絵夢はとてつもないほどに自分が興奮してることに気づき、同時に一人の男子の顔が頭に浮かぶ。


『絵夢、今日はお前が相手してくれ』


 今の絵夢にとって色んな意味で大きな存在となった先輩でもある甲斐のことだ。

 甲斐にはストーカー問題をどんな形であれ解決してもらった恩があるわけだが、正直なことを言えばそれはもうどうでも良い記憶でもある。


「先輩……先輩」


 ボソボソと甲斐ことを呟きながら目指す先は空き教室、ドアを開けて中に入ると既に甲斐は待っていた。


「お、来たな絵夢」


 椅子に座っていた甲斐を見た瞬間、絵夢はすぐに彼に駆け寄った。

 待たせてごめんなさい、今すぐお仕事をしますから、そんな思いを込めるように彼の前に跪く。


「おいおいがっつくなよ。でもそういう部分もやっぱ可愛いんだよな。よしよし、それじゃあ頼むわ」


 甲斐に見下ろされるとまるで彼に支配されている感覚に浸ることができ、それだけで絵夢の心は喜んでしまう。

 学校では玩具も何もないので、突っ込んでもらってそのままにしてもらう拘束放置プレイは出来ないのだが……やはりそれでも絵夢の心は満たされていた。


(今の感覚……私は今進んで先輩に喜んでほしくてこうしてるけど、これが現実なのか夢なのかまだハッキリとしないんだよね)


 何度経験してもこの感覚が何なのか絵夢には分かっていない。

 だがたとえ分からなかったとしても絵夢にとってもはや気にすることでもない、何故なら目の前で甲斐が喜んでくれるからだ。


(先輩……私、凄く変態です。先輩にイジメてもらわないと気持ちよくなれないし、先輩にはもっともっと私を躾けてほしいんです)


 次から次へと心に秘める欲望が溢れ出てくるのを絵夢は感じた。

 現実のようでありながら夢のようでもある今この瞬間だからこそ、もっと強い繋がりが欲しいと絵夢の体は求めるのだ。

 その後、スッキリした様子の甲斐は絵夢の胸元に顔を埋めていた。


「うおおおお最高だぜ絵夢」

「先輩、赤ちゃんみたいですよ?」

「この柔らかさの前にはこうなるって。至福の時間じゃ〜」


 甲斐の同級生であり、同時に絵夢にとって大切な同性の先輩にもなった二人に比べれば小さいものだが、それでも甲斐がこうして夢中になってくれることは嬉しいことだ。

 甲斐にイジメてもらうことも絵夢にとって至福の時間だが、こうして甘えてもらえることも絵夢にとって大切な時間になっていた。


「やっぱり……良いなぁこの感覚」

「なんだって?」

「何でもないです。ほら先輩、もっと抱きしめてあげますよ?」

「おぉ!」


 先程誤魔化した言葉の意味、それは甲斐の心にダイレクトに寄り添えていることを感じているからだ。


(初めてこの感覚になった時、何だろうとは思ったけど私はMだからちょっと興奮してたんだよね。でもそれ以上に拒まなかったのはきっと、先輩の心が優しさでいっぱいなことを感じたからなんだ)


 一番最初、それこそ初めてこの感覚になった時のことを思い出す。

 夢を見ているような感覚の中、当たり前だが異性に体を触れられると驚くのは当然だがどうしてか甲斐を拒絶しなかった。

 彼なら大丈夫、そう直感で思えたからだ。


(おかしいと思われてもいい、どう思われても構わない。だからこそ私は先輩に出会えてこんなことができるようになったんだから)


 人との出会い方はいろいろな形があるものの、甲斐との出会いは本当に特殊だ。

 だとしてもその人の外面だけでは判断出来ない内面の心、それを明確に垣間見たからこそ絵夢は甲斐を信用しているし慕っているのだ。


「先輩は……」

「なんだ~?」

「……どうしてそんなに優しいんですか? どうしてそんなに私たちのことを気に掛けてくれるんですか?」


 そう絵夢が問いかけると甲斐はポカンとした表情を浮かべた。

 しばらく見つめ合った後、考えるのが面倒になったのか再び絵夢の胸に甲斐は顔を埋め、絵夢はもうっと可愛らしく頬を膨らませる。

 絵夢のむすっとした声から察したらしい甲斐は再び顔を上げてこう口を開いた。


「優しくなんかねえって言ってるだろ? 現にこうしてお前らに催眠を掛けてこんな表じゃ出来ないことをやってるんだ。俺は自分が屑でどうしようもない奴だって自覚はあるし、最近は更に二人増えたことで調子に乗ってる面もある」

「二人?」

「……あ~、まあ別に良いか」


 甲斐は話してくれた。

 佐々木と染谷というどこの誰とも分からない女性と同じような関係を持ったこと、そして二人とも心に深い傷を負っていることを。

 自分の知らないところでの話は少し胸がチクっとしたものの、やっぱり優しいじゃないかと絵夢は笑った。


「これで優しいわけがねえだろ。単に俺に出来ることがあるかないか、それを考えただけの結果に過ぎねえよ。この力がなかったらそもそも何も解決なんて出来なかったほどに俺は無力なんだから」

「そんなことはないと思いますけど」

「そんなことがあるんだよ。はい、この話はこれでお終いだ!」


 結局、その後は甲斐の好きにさせてから別れるのだった。

 それから絵夢が意識をハッキリとさせたのは教室に戻ってからで、今まで何をしていたのか、そしてどのようにして戻ってきたのかも夢を見ていたような感覚で記憶に刻まれている。


「……先輩♪」


 自分の席に座った後、絵夢はいつも甲斐のことを想像している。

 どこまでが本当でどこまでが嘘なのか分からない、しかし記憶の中で伝えてくれた彼の言葉に嘘がないことは良く分かっていた。


「絵夢? アンタ本当にどうしたの?」

「……何でもないわ」


 今までのイメージを崩しかねない表情だったらしく、絵夢は気を引き締めるようにキリッとした表情を浮かべた。

 しかしそれでも甲斐とのことを想像してしまい、どうしても口角が上がってしまって表情が崩れていく。


「……マズいなぁこれ。私、どれだけ変態さんなんだろう」


 手で顔を隠すようにして絵夢は悶えた。

 こんな風に上手くハッキリとしない記憶の共有は茉莉と才華の二人とも行っているのだが、二人ともそれを実感しながらも絵夢と同じように甲斐には全幅の信頼を置いている。

 彼女たちもまた自分と似た者同士、だからこそ友人という仲になれたのだ。


「あのフワフワとした気分だと、どうしても自分を抑えられなくなる。もっともっと先輩にしてほしいって、もっともっと私を使ってほしいって思っちゃう」


 これは現実ではなく夢、そう無理やりにでも納得させたら自分から全てを差し出してしまいそうになる……それこそ、守り続けた大切なモノでさえ彼にもらってほしいと考えてしまうのだ。

 絵夢はずっと、終礼の時間が来るまでそれを想像しては体を震わせた。


「じゃあね絵夢」

「うん。また明日」


 放課後になり、友人と別れて絵夢は一人帰路を歩いていた。

 そんな中、絵夢の前から一人の女性が歩いてくる。


「……?」


 特に気になる特徴のない女性だが……まあ綺麗だなと思う程度だ。

 絵夢は何故か彼女から視線を逸らすことが出来ず、彼女が絵夢の視線に気づくまでジッと見つめてしまった。


「何か用かしら?」

「いえ、何でもないですすみません」

「そう?」


 ただ相手の女性も絵夢のような少女が相手だと不快とは思わなかったらしくそのまま歩いて行った。

 その後姿をもう一度見つめていた時、絵夢は自分が今の女性に対して良くない感情を抱いていたことに気付いた。


「……なんで? 初対面の人にどうしてこんな」


 それは嫌悪感ではなく、何とも説明できない複雑な気持ちだった。

 女性の姿が見えなくなったことで絵夢の気分は落ち着いたが、出来ることなら彼女とは偶然であっても出会いたくないと絵夢はそう思った。

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