濁った蕾は産声を上げた

「甲斐、体調は――」


 バタッと扉が開き、姉ちゃんが姿を見せた。

 催眠アプリを手に入れたことで調子の乗っていた俺への罰がこれだと? ええい俺を舐めるんじゃない。

 まだ俺は諦めていない、まだ俺は死んではいない!


「ええいままよ!」


 俺は瞬時にスマホを手に取り催眠アプリの対象を切り替える。

 別の誰かに使う時は一旦解除しないとならないのだが、ここからはある意味俺にとっても賭けと言える瞬間だった。

 姉ちゃんに催眠を掛けるために一旦俺は茉莉たちに掛けていた催眠を解除、すると当然のように困惑したかのような声が漏れる。


「……え?」

「あれ……」

「先輩ぃ」


 そして再び、すぐに四人を対象にして催眠下に置いた。

 こうすることで危なかったのは一瞬で、今はもう四人が俺の支配する世界の住人へとなった。

 俺はたまらずため息を吐いたが、いくら外道の俺でも血の繋がった姉ちゃんにこんな場面を見られたくはない。


「姉ちゃん、部屋に戻ってくれ」

「分かった」


 姉ちゃんは俺の命令通りに部屋を出て行った。


「……体調を心配してくれてたみたいだし、めっちゃ良心が痛むぜこれは」


 あんな風に姉ちゃんは優しいから大好きなんだよなぁマジで。

 もちろんこの大好きはLOVEではなくLIKEの方ではあるが、本当に素晴らしい姉だと俺は思っている。


「あっつ……」


 そして更に今気づいたことがあった。

 それは俺のスマホがとてつもなく発熱しているということ、三人でもそれなりの時間やっていた後に四人に拡張したからか消耗が激しいらしい。

 実際に電池も後十五パーセントほどということで、そろそろ三人には元に戻ってもらわないとだ。


「三人とも、外に出るぞ」


 いや~もう少し三人の感触を味わっていたかったが仕方ない。

 玄関の外に出て催眠を解くと三人は何故外に居るのかと不思議そうな顔をしたが、それでも俺を一目見ただけで気にしなくなったようだ。


「茉莉、本間に我妻もありがとうな」

「ううん、全然」

「むしろ来れて嬉しかった」

「はい。先輩の家、覚えましたよ?」


 あ、その言い方ちょっと怖いけど悪くはないな。

 催眠を解いたことで姉ちゃんのほうも違和感を感じて部屋を出ると思うし、また面倒なことになる前に三人とは別れた。


「……まさかあの三人が来てくれるなんてなぁ」


 しかも俺の部屋にまで迎え入れて奉仕をしてもらった。

 三人同時に、俺が一度はしてみたいと思ったことを今日することが出来たのだ。


「最高だったぜマジで。現実ではともかく想像なんかでハーレムに憧れる男の気持ちが理解できる。ま、俺は実際に経験しての感想だがな!」


 そんなしょうもないことでマウントを取りつつ、俺は姉ちゃんを心配させないように家の中に戻った。

 思った通り姉ちゃんは俺の部屋を覗いており、戻ってきた俺を見てすぐに駆けよってきた。


「ちょっと大丈夫なの? トイレだった?」


 どうやら俺はトイレに行っていたことになっているらしい。

 何とも都合の良い記憶変換だなと思いつつ、アプリの力に感謝をして姉ちゃんに違和感を持たれない程度に話を合わせた。


「ウンコ行ってた。おかえり姉ちゃん」

「ただいま甲斐……ふ~ん?」


 俺に近づいてきた姉ちゃんは精一杯に背伸びをするようにして手を伸ばし、俺の額に触れて満足そうに頷いた。


「やっぱりすぐに治ったか。取り敢えず油断だけはしないこと」

「分かってるよ」


 本当に優しいお姉さまだ。

 その後、母さんも父さんも帰ってきて姉ちゃんと同じように心配はされたがすぐに俺の様子を見て安心していた。

 滅多に風邪を引くことがないからこその心配かもしれないが、まあ馬鹿は何とかって言うし……って自分で言ってて悲しくなってきた。


「いやぁそれにしても今日は良い日だったぜ」


 彼女たちが見舞いに来てくれたこと、それは催眠云々抜きにしても凄く嬉しいことだった。

 きっと明日学校に行ったら晃と省吾から色々と質問攻めに遭いそうだが、それを我慢しても余りある幸福な時間だった。


「彼女たちを救ったという事実を断片的ではあるけど理解してもらっているからこそなのかなぁ。何にしてもありがたいことだぜ」


 それもこれも催眠アプリのおかげだと、俺はベッドで横になりながらスマホの画面に熱いキスをお見舞いしていた。

 そんな風にしてアプリへの感謝を表していたわけだが、俺はふと今になって思ったことがあった。


「そういやこの催眠アプリって存在を手に入れたことに舞い上がって考えてなかったけど、そもそも催眠アプリを持っているのは俺だけなのか?」


 そう、俺はようやくそのことを考え始めたのだ。

 漫画やアニメといった二次元の世界にしか存在しないであろう催眠アプリ、それを俺以外に持っているか使ったことのある人間がこの世界に居るかどうかが気になる。

 まあこんな大それた力が一般的に知られていたらニュースになるだろうし、何よりSNSなどでも流行るだろうから耳に入らないのもおかしいだろう。


「ちと調べてみるか」


 思い立ったが吉、催眠アプリという単語で検索を掛けてみた。


「……目ぼしいものはないな」


 当然と言うべきか、催眠アプリを検索をしても出てくるのは全て漫画やアニメに関するものだけだ。

 現実に存在していたら使いたいとか、女の子に悪戯をしてみたいとかそんな願望を書き殴った掲示板くらいしか見つからない。


「これが普通だよなぁ」


 結論、催眠アプリはこの世界に浸透していない普通だがな!

 その後も俺は少しネットを徘徊しながら色々と情報収集に勤しんだが目ぼしいものを見つけることは出来ずに時間が過ぎて行った。


「……?」


 しかし、一つだけ気になるものを俺は見つけた。

 それはもう随分と昔……といっても一年と半年ほど前の事件になるのだが、一人の男が複数の女性に対し性的暴行を加えたということで逮捕された事件だ。


「男は合意の下でやったと供述しており、催眠アプリなどと意味不明な言葉を繰り返している……え?」


 催眠アプリ、その言葉に当然俺は視線を吸い寄せられた。

 とはいえ催眠アプリと供述しているだけで実際にそれが存在していた、或いは使われたなどとは一切書かれておらず単純に男の妄言として処理されたようだ。


「……普通なら何妄想してんだよって感じだけど、今の俺にとっちゃ結構タイムリーすぎる事件だぜ」


 あまり信じすぎても仕方ないのだが、俺はその夜寝るまでずっとそのことが頭から離れなかった。

 そして翌日、体調が完全に快復したということで俺は学校に向かった。

 晃と省吾だけでなく、他のクラスメイトにも声を掛けられたがやっぱり茉莉と我妻がすぐに傍にやってきた。


「大丈夫そうだね?」

「本当に良かった」


 二人が目の前で微笑みかけてくれることにありがとうと言葉を返したが、わざわざ隣のクラスから我妻も来てくれるなんてこんなに嬉しいことがあるかよ。


「真崎? お客さん来てるぞ」

「客?」


 クラスメイトにそう言われて廊下に向かうと本間が俺を待っていた。

 どうやら彼女も心配をしてくれたようで、学校に来ていた俺を見て安心したのかホッと息を吐いていた。


「わざわざサンキューな」

「いえ、先輩が元気そうで良かったです」


 本間はそれだけを告げて自分の教室に戻って行った。

 まあこうやって彼女たちに心配されると鬱陶しい視線をいくつも感じるのだが、もはやそんなものを気にするような時代はとうに過ぎている。

 俺のスケベバンザイフィールドは無敵なんだよ。


「それじゃあ甲斐、色々と聞かせてもらおうかぁ?」

「なあなあ、何をしたんだよおい」


 ……めんどくせえ。

 そんなこんなで色々とあったが早くも昼休みになった。


「……今日はちょっと気分が乗らないし止めとくか」


 昨日の事件のことが脳裏を過ってしまい、無用な心配だとは思うのだがちょっとだけ神経質になったみたいだ。

 一応今日は茉莉に相手をしてもらう予定を立てていたが止めることにした。


「お、来たか」


 いつものように予約催眠状態の茉莉が空き教室にやってきた。

 催眠状態だというのに俺を見るとパタパタと足音を立てるように近づいてきた彼女に向けて、俺は短くこう告げた。


「悪い茉莉、今日は良いや。教室に戻ってくれ」


 手をヒラヒラと振りながら俺はそう告げた。

 たぶんすぐにこの心配もなくなると思うし、また彼女たちの体で興奮しては発散できる日がすぐにやってくるだろう。

 でも今日は本当に気分が乗らないのでこう告げたのである。


「……な……んで?」

「……うん?」


 しかし、どうも俺は言葉を間違えたらしい。


「どうして……どうしてどうしてどうしてどうして?」


 壊れた時計のように同じ言葉を繰り返す茉莉、彼女は涙を流しながら俺を見つめて手を伸ばしていた。

 ついその手を握ると思いの外強く握りしめられ、絶対に離さないといった強い力が伝わってきた。


「……茉莉?」

「いやだ……いやだよ……そんなこと言わないでよ……」


 取り敢えず……何が起きてるんだ?

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