どうもオトーサン、通りすがりのゲドーです

「どうも、名乗るほどの者じゃないです……っていうのはこの状況だと不適切か。あなたの娘さんと同じ学校に通う者です」

「……それはまた突然じゃないか」


 返事に少し間があったが表情に変化はない。

 夕方の遅い時間ということもあって辺りは暗く、こう言っては失礼だが暴力を振ってそうな雰囲気も相まって少し迫力がある。


「突然すみません、娘さんに暴力を振るってますよね?」


 まずは軽くジャブから入る。

 眉がピクリと動いたが彼は否定するようにおどけながら笑みを浮かべた。


「突然何を言ってるんだ? 自分の娘に暴力を振るうわけがないだろう? まさかあの子が言ったのか?」


 あの子が言ったのか、そう言った瞬間に明らかに苛立ちを見せた気がした。

 こういった手合いを相手するのはやっぱり怖いのだが、そんな俺をこうして堂々と立たせているのはひとえに催眠アプリのおかげだろう。


「えぇ、彼女から直接聞きました。体に出来た痣も見せてくれまして、随分と長い間彼女を苦しめたみたいじゃないですか。そこんとこ親としてどうなんですかねぇ?」


 ちょっと挑発染みた言い方をしてしまった。

 普通ではあり得ない力を持ってしまったからこそ、イキってしまうのは俺が悪いからかそれとも人間だからなのか……まあどっちでも良いか。

 俺の問いかけに彼は分かりやすく眉を吊り上げ、その腕をグッと伸ばしてきた。


「おっと……」

「黙れよクソガキ」


 ただ伸びてきた腕を躱すだけなので造作もないことだ。

 先ほどまで浮かべていた無表情は鳴りを潜め、彼は俺を睨みつけるようにして口を開いた。


「自分の娘に何をしようが親の勝手だろうが。余所者が口を出すんじゃない、さもなければぶっ殺すぞクソガキが」

「……………」


 何と言うか……自分よりも長く人生を経験している人がこうも口にしている姿を見ると凄く悲しくなるなと俺は思っていた。

 俺なんかよりも圧倒的に気が弱くて、しかも女の子の我妻はずっとこんな身勝手な親の都合に付き合っていたかと思うと本当に可愛そうになってくる。


『誰も頼れない、助けてくれない』


 俺は正義の味方になるつもりはない、催眠アプリの力がなかったらこうしてこの場に堂々と立っていない。

 どこまで行っても俺は臆病者で、意志のない女の子にしか何も出来ない最低の外道野郎だが、そんな俺でも誰かを助けることが出来るのならそれも悪くない。


「ま、色々と話しても面倒なんでチャチャっと済ませるぜ」

「何を言って――」


 俺は催眠アプリを起動し彼を催眠状態にした。

 先ほどまでの雰囲気はなくなり、俺の言葉に従うだけの人形と化した彼を確認し俺は更にスマホを操作して録画ボタンを押した。


「アンタは自分の娘に暴力を振るって虐待している、間違いはないな?」

「あぁ」

「なんでそんなことをしてるんだ?」

「邪魔になってきたからだ。高校生にもなってどんどん金も掛かってくる、これを邪魔と思わずしてどう思えと言うんだ?」

「……………」


 もしかしたら本心に隠された何かがあると思っていたのだが、あまりにも単純なまでの勝手な都合だった。

 確かに子供が大きくなればなるほどお金は掛かってくるだろうし、子供を持つ親ならではの悩みがあったのも確かなんだろう。


「でもそれはあの子には何も関係ないだろう。ずっとずっと、あの子はアンタの暴力を耐えて……自分の価値はなんだろうってずっと思い続けていたんだぞ?」

「あれに価値などあるか。あぁ体は立派だし、抱いてやって女という価値しかないと自覚させるのも良いかもしれないな」


 俺はつい言葉を失った。

 俺が人のことを言える立場ではないのだが、この男は俺が想像した以上に最低な屑野郎かもしれない……いや、屑野郎だ。


「つくづくアンタを通して俺は思うよ。俺は家族に恵まれているし、本当に幸せなんだってことがよ」

「何を言ってるんだ。どこの親も金が掛かれば子供のことを邪魔に思うはずだ」

「はっ、少なくともアンタはそうだろうけどうちは違うって断言するぜ」


 まさかここまで価値観が違うとは思わなかった。


「アンタの奥さんも同じなのか?」

「知るか。もう何年も前から碌に話しちゃいないからな」


 はい、家庭崩壊完全に決定ですと。

 これはもうどんな奇跡が起きたとしてもこの家族の中では我妻は絶対に幸せにはなれないし、彼女の傷ついた心が癒されることもない。

 もう少し俺が彼女に目を付けるのが遅かったらもしかしたら……なんてこともあり得たかもしれないな。


「ま、後は適当に色々と質問するから答えてくれ」


 その後、しっかりと録画されていることを確認して俺はその場から離れた。

 家に我妻が居ないことに気付いて電話を掛けたりするかもしれないが、何があっても彼女を家に帰すなと相坂には伝えているのできっと上手くやってくれるはずだ。


「……こういう時に連絡先とか分かってれば楽なんだけどな。相坂の奴聞いたら教えてくれるかなぁ」


 そんなことを考えながら俺は我妻の家から離れるのだった。

 今この時間、我妻は相坂の家で何をしているのかは分からない。

 一つ望むとすれば、あの父親から離れて心の休まる瞬間が訪れていれば良いと俺は願うだけだ。





 甲斐が一仕事を終えたその日の夜、茉莉はまだ少し表情の固い才華と向き合っていた。


「あの……本当にありがとう相坂さん」

「良いんだよ全然、でもこっちこそ突然誘ってごめんね?」

「ううん、凄く嬉しかった。私、こうやって誰かに誘われることなかったしそれに……」


 言葉に詰まる才華の頭を茉莉は優しく撫でて気持ちを落ち着かせるようにしながら、先ほどまでのことを思い返した。


『我妻さん、これから私の家に来ない?』


 あまりにも直球な一言ではあったが、才華は拒否することなくこうして付いてきた。

 全く話したことがないのもあってきっと才華も不信に思った部分はあっただろうが、彼女の様子から家族と離れたいという気持ちを茉莉は感じ取った。


「……ねえ我妻さん、才華って呼んでいいかな?」

「う、うん……それは良いけど」

「その代わり、私のことも名前で呼んで?」


 相坂茉莉、別名コミュ力モンスターとも言われている彼女は容易に同性の心に入り込むことができる。

 本来なら話したばかりの女の子を家に泊めるというのもそれはそれでぶっ飛んでいるのだが、そこには事情があるし何より甲斐の頼みだったのも大きかった。


「茉莉さん、私……帰りたくない」

「虐待……だよね?」


 コクンと才華は頷いた。

 彼女が虐待されていることについては甲斐から聞かされていたものの、一緒にお風呂に入ったので体の痣について実は既に触れていたことだ。


「大丈夫だよきっと。今、才華を救おうと動いてくれてる人が居るから」

「……それは」


 これくらいなら良いだろうと茉莉は口にした。

 どんな風にして解決に導くかは分からないが、動いているのが甲斐ということで茉莉は心の中で信頼している。

 そもそも最近になって話をするようになった彼に何故信頼を置けるのか、それは他人のために動けることが立派だと思ったのが一つ、そして最近夢でよく聞く声に似ているというのも大きかった。


(本当に安心するんだよ。一体何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、本当に彼の声は安心するの)


 ボーッとした時にふと見る夢があり、朧げながらも記憶に刻まれている夢だ。

 幼馴染と家族のことで悩んでいた茉莉を救い上げ、それからもずっと大丈夫かと何気なく聞いてくれる声が嬉しかった。


(……その後にエッチなことをするのって私が欲求不満だから? それとももっと心の中で彼に求めていること?)


 そこまで考えて茉莉は頭を振った。

 茉莉の様子に才華は驚いていたが、気にしないでと伝えると彼女は薄く笑って頷いた。


「……少し、話しても良い?」

「うん」

「私、自分に価値がないと思ってた。生きる理由は何だろうって昨日までずっと考えていたの」


 そこから茉莉は才華の身に起きた不思議な出来事を聞いた。

 それは茉莉と似通った事例であり、更に才華に対して親近感を抱くことにも繋がるのだった。

 仲睦まじく会話をする二人、そこにはかつての悩みがあまり感じられない和やかさが確かにある。

 しかし……茉莉には隠し事があった。


(まだ私、あの体を傷つけた刃物が捨てられないんだよね。あの声が……真崎君に似たあの声を聞けない日が来ると手にしちゃうんだよ。声を聞けないと気持ちが沈むの……)


 幸いにあれから体を傷つけてはいないのだが、少しばかり面倒な状態に茉莉が陥っているのは言うまでもない。

 茉莉がこうなのだとしたら、更に心の状態が酷かった才華はどうなるか……それはまだ誰にも分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る