第11話 14年前へ

2008年。

横浜、山手。


「……ん、いてっ。なんだいったい」


次に三日月が目を覚ました時、彼は先程と同じ公園にいた。天気も同じく雲一つない快晴。


違いと言えば彼が人気のない近くのガーデン内にある草陰の中に仰向けで倒れ込んでいたのと、通りかかった人がみなスマホではなくガラケーを操作していたことぐらいだ。


しかしそれは彼にとって十分すぎるぐらいの環境の変化であり、ひしひしとタイムトラベルを体験した興奮が湧き上がるのを感じて思わず青空に向かって万歳した。


「……あなたいつまでそこに寝ているつもりなの?ほら」


太陽はサングラスの隙間から呆れ顔を覗かせると、細身の腕を出して彼を立たせる。


「ありがとう。ていうかそのサングラス、どこで手に入れたの?」

「あなたが気絶してる間にその辺で拝借した。三半規管がだいぶ弱いみたいね。これあなたの分。おじいさんに勘づかれたらまずいから掛けといて」


三日月はサングラスを受け取って掛けると、服についた草を振り払い掌に残る熱気を握りしめる。


「タイムトラベルってあんな感じなんだね。途中身体が燃えるように熱かったのはワームホール自体の熱のせいかな?摩擦は起きないだろうし。あと気絶したのは多分戦闘機と同じ原理でGのせいだと思うんだけど……とにかく凄かった!」

「あなたが科学映画オタクで興奮するとマシンガンみたいに喋り出すの、ちょっと忘れてたわ」

「ごめんつい」

「まあいいわ科学者っぽいし。……ところでおじいさんはいつくるの?〈オレンジウォッチ〉だとローカルタイムはもう朝の9時みたいだけど」

「あぁたしか普段はもっと早いんだけど、この時は僕が寝坊したんだと思う。多分もうすぐ来るからトイレのそばに隠れよう」


三日月の合図で2人はそそくさとガーデンを抜けてコンクリート造りのトイレの裏へ移動した。


「三日月、おじいさんと昔のあなたを見たらすぐに教えて。間違っても変に奇声あげたりしないでよ?」

「わかってるよ……あっ」


目をギラギラさせながら周りを見渡す三日月は、右手側から直進してくる車椅子と少年を向いて声を出した。


車椅子に乗った老齢の男は白髪頭を靡かせながら爽やかな顔で前を向いている。後ろから車椅子を引く背の低い少年はまるで外国人のような茶色のパーマヘアーをしており、彼に向けて何やら楽しげに話しかけている。



「彼ら?」

「……うん。おじいちゃんと僕だ」


子供のように目を見開いて噛み締めるように呟く三日月を太陽はチラリと見遣る。


「随分優しそうな人ね。あなたは、今より更にカーリーな髪ね。その、より猫っぽい」

「多分2人はこのまま港が見える手すりのとこまでいって止まるはずだよ」

「焦らないで。……よし」


太陽は前を通り過ぎた彼らの背中に何かをコイントスのように投げつけると、ポーチから小型のワイヤレスイヤホンを取り出す。


「今なにしたの?」

「盗聴器を仕掛けた。遠隔操作で取り外して焼却できるから証拠も残らない。はいこれつけて」

「おぉ。それって」

「映画の例えはナシよ。インカム」

「……わかってるよ。それにしても君のポーチ、なんでも入ってて四次元ポケットみたいだね」

「いいからいくわよ。私についてきて。尾行の基本は間に1人から2人挟んだ距離を保つことよ」

「了解隊長」


太陽と三日月はゆっくりと2人を追いかける。

広場の突き当たりに横いっぱい広がる手すり前で2人が停止すると、彼らも数十メール離れた円形のベンチに腰掛けた。


ベンチには日差しを防ぐ屋根と太いコンクリート柱があるため、日向の手すり側からは見えづらい構造になっている。


幼い三日月と祖父はしばらく港の景色を眺める。風と静寂の間に時折船の汽笛が響いて心地よい空間を演出していた。


風切り音で直接の声は聞こえてこないが、耳に挿したインカムが雑音を鳴らしだす


『ザザ……気持ちいいねおじいちゃん』

『そうだな。海風が運ぶかすかな潮の香りが鼻腔を刺激して、全身が喜んでるよ』

『ごめんね、今日僕寝坊しちゃって』

『はは。まぁ三日月は小さい時から早起きが苦手だったものな〜。今はマシになったが、7、8歳ぐらいまではいつもお母さんが苦労してたよ。水掛けても起きないとな』

『そんなの昔の話だよ』


楽しげに話す幼い三日月と祖父の横顔を見て、三日月は少し胸が痛むのを感じつつも2人を見守る。


『そういえば学校はどうだ、楽しいか?もう5年生だったかな』

『まあまあだよ。でも、クラスに僕の名前を馬鹿にしてくるやつがいるんだ。女みたいだって。お父さんとお母さんはどうしてこんな名前をつけたのかな』

『……お前は、三日月がどんな意味を持つか知っているか?』

『ううん。あまり好きになれなくて調べたこともない』


祖父はくしゃっとした笑顔で何度も頷くと、青空を眺めて口を開く。


『幸運の象徴だよ。実は三日月はひと月に1度しか見る機会がない上に数時間しか見れない貴重な月でな、天気が悪いと1回も見れないなんてこともあるんだ。だから見れた時はとても幸運だという事で、昔から世界中でありがたがられた。願いを込めたり戦国武将なんかは兜につけたりなんかしてたのさ。国旗に使用してる国もあるしな』

『そうなんだ』

『そんな、皆に幸運をもたらす素晴らしい人間になって欲しいという想いを込めてつけた名前だ。お前の父さんと母さんがお前が産まれるずっと前から考えに考えて、な。だから誇りを持ちなさい。自分に胸を張って生きれば、何も怖いものはないよ』

『……うん!』


優しくも力強く祖父の言葉は幼い三日月の心を明るくした。

その時、突然祖父は何度も咳込み息を切らす。

三日月は思わず足を動かすが太陽が制止した。


『おじいちゃん大丈夫!?』

『ゴホゴホ……あぁ。まああれだ、もうそんなに長くないからガタがきたな』

『え、そんなに長くないって』

『お前ももう理解できる歳だし言っておこう。重いガンでな、いつ死んでもおかしくないんだ』

『そんな……』

『どうってことはない。みないずれ来る事だ』

『怖くないの?死ぬ事』


心配そうな幼い三日月に対し、祖父は軽々と首を振った。


『いいや怖くない。それに私は死ぬ事に意味なんてないと思ってる。所詮人間の意識はニューロンの電気信号によって生み出されているだけで、死んで信号が切れたら意識も消える。死後の世界なんてないし、生きている内だけが人間の全て。……なんて言って周りからは煙たがれてるがな。怖いのは自分がこの世に何も残せず後悔して死んでいく事だが、それもない。世界中の景色を見れたし好きなだけ小説も書いて売れたし、好きな事をとことん探求できた。何よりお前の母さんやお前にも出会えたしな。これ以上の幸福はないよ』

『……おじいちゃん』

『だからな三日月。絶対に後悔しないような人生にしなさい。やりたいと思ったことは本気でやってみるんだ。いいか、生きている内だけが人生だよ』

『わかった』


「〈生きている内だけが人生〉……名言ね。あなたのおじいさん、とても賢い人だわ」

「うん」


祖父の言葉に幼い三日月や三日月だけでなく、冷静な太陽も胸を打たれる。



『……ところで三日月、私が貸した宇宙科学の本はどうだった?』

『人間が生きているうちに全宇宙の端までは辿りつけないって所がとても面白かった。でも、スターウォーズはデタラメだね。宇宙空間であんな爆発はしないし色々ヘンだよ』

『はっはっはっ。まぁあれはエンターテイメントだから細かいことはいいんだよ。それに帝国軍がかっこいい』

『おじいちゃんはジェダイ派じゃないんだ』

『捻くれ者だからな。何でだかだいたい敵側に惹かれてしまうんだ』

『変なのー』


ニコニコと笑う祖父は、ふと思い出したように声を上げた。


『そうだ、宇宙ついでに1つ興味深い話をしよう。大昔に巨大な隕石が落ちて恐竜が絶滅したことは知ってるだろう?』

『うん、それも本で読んだよ。ジュラシックパークとかに出てくる恐竜もみんなそれでいなくなったって』

『そうだ。実は同じように隕石が落ちてクレーターができた事例や場所は世界中に無数にある。だが、その中でもドイツに隕石墜落からできた面白い街があるんだ』

『隕石でできたまち?』

『そう。昔世界中を回ってた時に立ち寄ったことのある面白い街でな。ネルトリンゲンというんだ』

「ッ!」


祖父の発言に反応した太陽と三日月は耳をすませる。が、幼い三日月は不思議そうに首を傾げた。


『ねるとりんげん?変な名前だね』

『ドイツ語ではもう少し違う言い方だったが結構難しいんだ。それは置いておいて、ネルトリンゲンは隕石衝突の衝撃で地表の岩石が特殊な岩石に変化していてな、ガラスや隕石成分が含まれているんだ。そして建物にも使われている』

『へぇ』

『だが俺はずっと思っているんだ。もっとすごいものが眠っているんじゃないかとね』

『すごいもの?』

『すごい鉱物、資源があると思うんだ』

「いま鉱物って言ったわ!」

「静かに太陽」

「……ごめんなさい」


今度は興奮する太陽を三日月が抑える。彼らはより耳に神経を集中させた。


『それは石油とか石炭みたいな?』

『かもしれない。技術が進んだ後に見つかるのはよくある話だからな。隕石に地球にはない凄い資源が埋まってるのもロマンがある。私が足が悪くなければもう1度自分で現地に行って調べたいぐらいだ。しいて言えば後悔はそれぐらいかな』

『じゃあそれ、僕が大きくなったら見つけるよ!』


目をキラキラさせながらそう宣言する三日月に、祖父は安心の表情を見せる。


『やっと思い切り笑ったな』

『え?』

『四六時中小説書いて理屈ばかり捏ねてる変人老人に言われても説得力ないと思うがな、笑顔でいることを忘れるなよ。笑顔は自分も人も幸せにする。……私はずっと苦手だったがやっとお前のおばあさんに教わってできるようになったんだ』

『笑顔……こんな感じ?』

『さっきの方が自然だったな。見てろ。こんな感じ……ぐはッ』

『おじいちゃん?!』

『ぅ……』


笑顔の手本を見せようとした祖父は、今度は口から大量の血を吐くと車椅子から倒れ込んだ。


『おじいちゃん!おじいちゃん!!…救急車』

「た、助けなきゃ」

「ダメよ」


慌てふためく幼い三日月を倒れたまま動かない祖父を見ていてもたってもいられない三日月を太陽は静かに止めた。


「わかるわ。助けたい気持ち。……でも、ここは彼に任せましょう。14年前のあなたに。いくわよ……せめて救急車だけ近くの公衆電話で呼びましょう」


彼女の言葉に、三日月は拳を握りしめて震えながら俯くもやがて小さく頷く。


「ありがとう。おじいちゃん……」


彼は小さな声で別れを告げると太陽を追って公園を後にした。


30分後。


救急車を呼んで搬送される祖父と幼い三日月らを遠くから見届けた2人は、港近くのカフェに移り一息ついていた。


「……落ち着いた?」


クリームソーダを堪能する太陽は目の前でひたすらアイスコーヒーをかき混ぜる三日月を心配そうに見つめる。


彼は動きを止めて1口含むと彼女へ視線を向けた。


「うん、だいぶね。さっきは取り乱してごめん」

「いいえ。目の前で大事な人がああなったら誰だって同じ事をするわ。実際私自身両親を取り戻そうとして過去に来たわけだし、人のことを言う資格なかった」


三日月は強く頭を振る。


「それは違うよ。僕のおじいちゃんは満足して死んでいった。でも太陽の両親はオレンジ社によって蝕まれ意図せずに殺されたんだ。全然違う。今回のは僕が準備できていなかっただけで、もうできた。だから大丈夫」

「……三日月」

「それよりしっかり収穫はあったんだ。そっちを喜ばなくちゃ」


心配が杞憂に終わって安心した太陽は笑みを浮かべながら頷く。



「ええ。ネルトリンゲン。ドイツの都市と言ってたわね」

「遠いけど、行く価値はある」

「そうね。場所は決まったし後は準備して行動するまでね」

「東野さんたちのところへ戻ろう」


半分ほど残ったグラスを置いてカフェを後にした2人は、2022年へと戻るべく再び〈オレンジウォッチ〉を起動させた。

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