第6話 3ヶ月前に

2122年、3ヶ月前。

渋谷ゲットー。


遠くで響く爆音とその後に訪れた揺れで太陽は目を覚ました。


「ん、朝」


ボロボロで今にも崩壊しそうなベッドから起き上がると、同じくボロボロのカーテンを少し開け、窓の外につけた頑丈な鉄格子の隙間から外を伺う。


乱立するトタン屋根の小屋や壊れかけのビル群の間を走る通りの先に大きな人だかりが見えた。皆屈強な男ばかりで奥のビルからは煙が上がっており、女子供はそそくさとこちら側に逃げていく様子が伺える。


「……隣の地区の襲撃ね」


即座に状況を理解した彼女はベッドから降りると、棚から栄養ゼリーの缶詰めを取り出して10秒で朝食を済まし、4畳程度の物が散乱した狭い室内で素早く着替える。


そしてベッド下からナイフと拳銃を取り出しその研ぎ具合や銃弾を確認すると、壁にかかったホルスターとポーチに入れ身体に装備した。


外に出る準備が完了したその時、丁度扉がノックされる。


「俺だ」


聴き慣れた野太い声に彼女は安堵する。


「アラン」

「開けるぞ」

「えぇ」


ドアが開くと、頼もしい声通りの屈強な男が現れた。短髪を逆立てた金髪青眼の白人で、逞しい筋肉はまるで傭兵のようだ。


「準備万端だな」

「当然よ」

「〈新宿ゲットー〉の野良犬どもが襲撃に来てる」

「珍しくもないわね」

「あぁ。だが目的は食料略奪でも侵略でもないらしい」

「……ここで何か探してるってこと?」


アランは頷く。


「じきにこの辺にも来るだろう。太陽、俺たち情報屋兼掃除屋の出番だ。2分後に地下道へ来い。奴らを片付けて情報を引き出すぞ。マグナムと李も待ってる」

「……ええ」

「どうした?」

「いえ何でも。すぐいくわ」


彼は不思議そうに首を傾げたが、太陽の肩を叩くと扉を閉めて去った。



彼が去ってすぐ彼女は徐にベッド下の棚を引くと、古びた漆黒の手帳を取り出す。


彼女は眉を顰めてそれをしばし見つめると、そそくさとポーチに仕舞い、ローブを羽織うと部屋を後にした。



誰もいない部屋に、再び爆音だけが響く。




彼女が生まれる遥か前から、この〈ゲットー〉と呼ばれる悪臭と犯罪が蔓延る殺伐としたスラム街は存在していた。


遡ること50年前。

2072年に起きた世界大戦後、首都機能は東京西部の立川を中心とした多摩・山梨エリアに移され、戦火で荒廃した23区都心は半ば放置されていた。


そこに貧民層が集まる街ができスラム化。

超高額な税金と破綻した社会保障が後押しして同じような街は瞬く間に全国に出来上がった。


元々は自然発生的だったものの、以後政府も裏で都合の悪い貧民層や移民を収容し始めたことで〈ゲットー〉と呼ばれるようになる。


しばらくして〈キャピタル〉呼ばれる立川を中心とする多摩エリアと旧23区に広がる〈ゲットー〉の間には巨大な壁が築かれ、文字通り日本は超貧困層と超富裕層に完全に分断された。


更に、社会をサポートするため発達したAIやロボットが労働の大半を担っているため、多くのスラム層は富裕層との関わりすら持てない状態となっていく。



分断が深まる中で更に〈ゲットー〉は荒れ果て、ギャングが支配し食料略奪や領土侵略は日常茶飯事の無法地帯と化した。


そんな世の中で〈渋谷ゲットー〉で両親と共に暮らす太陽は、なぜこんなにも貧しいのか疑問に思いながらも2人からの溢れんばかりの愛情を受けて幸せに暮らしていた。


しかし、11歳の時に全てが一変する。

ある日両親はオレンジ社から政府の依頼として〈キャピタル〉内での仕事を受けていたのだが、その重労働に伴う病で突然2人とも亡くなってしまったのである。


太陽は肉親を亡くしたことで殺伐としたスラム街で天涯孤独になり、幸い両親が遺した小さなビルで生活はできたものの、路上で食い物を漁る野良猫のような地獄の日々を送ることになる。


だがしばらくしてそんな彼女を救ったのが、

当時からリーダー的立ち振る舞いで若くして〈渋谷ゲットー〉をまとめつつあった8歳上のアランだった。


彼は戦火のヨーロッパから逃れた祖父母の代からの移民であり、彼自身も両親を亡くしていた。

同じ境遇の太陽を親代わりに可愛がり、そして掃除屋や情報屋、そして武器整備士としても働けるようスキルを与えた。


彼女は持ち前の飲み込みの早さと生命力でぐんぐん能力を伸ばしその才能を開花させたが、それは諦めも混じっていたからだ。


両親が亡くなって天涯孤独なのも貧困から抜け出せないのも、全てはこの時代が悪い。だから仕方がない。自分が今できる範囲で足掻いて、自分の力で生きていくしかない。

彼女はずっとそう思っていた。



だが、1週間前にビルの地下室で曾祖父の手記を見つけて以来、全てが変わった。

いや、この世界を変えられるかも、と感じたのだ。


「……」


1週間前の興奮と決意を胸に、合流した〈ゲットー〉仲間の黒人移民のマグナムと中華移民の李らと共に地下道を走る太陽は、ポーチの中にしまった手帳、もとい曾祖父の手記へ想いを馳せる。


まだ、育て親のアランにも手記のことは話せていない。


一行は目的のビル地下へたどり着くと、アランが口を開く。


「〈新宿ゲットー〉を取り仕切る幹部が兵隊を連れて1軒1軒建物を訪ねてる。さっきから続く爆破も恐らく陽動だ。穏やかじゃない」

「……ゲリラ的に雑魚が襲撃にくることはよくあるが、幹部がくるのは妙だな」

「何かを探しに派遣されている」


マグナムと李の言葉にアランは頭を振る。


「お前ら2人は街の男どもを上手く使って兵隊勢の動きを止めろ。……息の根もな。ただし幹部は残しておけ。赤いバッジを胸に付けてるやつだ。俺と太陽でそいつを尋問して狙いを探る」


彼らは頷いて右耳に付けた小型装着のボタンを押すとホログラム型のサーモゴーグルが展開される。

そしてマグナムは電撃サックを、李はスナイパーライフルを構えた。


「了解。外から潜入してぶん殴ってくるぜ」

「俺は向かいのビルの屋上に張って雑魚を一掃する」


2人がそれぞれ地下道の隠し扉から地上へ消えると、しばらくしてアランと太陽も反対の隠し扉からビルの中へと駆け上がった。



10分後。



通りでは、爆音と住民の悲鳴から敵のうめき声と銃声に変わっていた。


地上ではスモークグレネードで視界を遮ったマグナムが、サーモゴーグルで敵兵を的確に見つけ電撃サックで倒すと、

背後から襲い掛かる別の敵を屋上の李がスナイパーライフルで狙い撃ち。


息の合ったコンビで次々と倒していき、2人を中心にその周りを住民の男たちが援護する形だ。



『ザザ……アラン。通りは片付いた。ビル内にあと3人いる。恐らく5階だ』

「よし李。いったん退いて別のビルに移れ。マグナムは通りを塞いどけ」

『任せろ。人っこ1人ださねぇ』


アランは無線で2人に指示すると、太陽と共に階段を5階まで音なく駆け上がる。


「隈なく探せ!この〈ゲットー〉内に必ずあるはずだ。見つければ大金と武器が転がりこむ」

「……あそこか」


柱の影から顔を出したアランは、

声を荒げ指示するスキンヘッドの男とフロアを荒らす獣のような体格の2人の部下を確認。その傍にはビルに住む住民の死体が乱雑に転がっている。


彼は向かいの柱に立つ太陽へ視線を向けるとハンドシグナルで合図。


太陽が頷くと、まずアランが飛び出した。


「そこまでだ野良犬ども」

「……お前がアランか。ここの指導者にしては随分若そうだが」


振り向いたスキンヘッドの幹部男がそう呟くと、アランは鼻を鳴らす。


「お前が〈新宿ゲットー〉の幹部モンローか。随分老けてみえるな。丁寧に名札までつけて」

「ふん、若造が口減らねえ」


モンローが懐から武器を出そうとすると、アランは銃口に3つ円盤がついた特殊なライフル銃を向け牽制する。


「動くな。これは〈キャピタル〉の野郎どもがもつブラスターほどの威力はないが、お前を宙に浮かせてコンクリートの壁に叩きつけることぐらいはできるぞ」

「……反重力ガンか。大したもんを持ってやがるな」


モンローは部下2人に合図を送ろうとチラリと振り向くも、事前に背後から回り込んでいた太陽によりワイヤーとナイフで2人とも瞬殺されていた。


「なっ……」


余りの速さに口をあんぐりさせるモンロー。

太陽にも銃口を向けられ間に挟まれた形の彼は、観念したようにゆっくりと両手を上げた。



「随分優秀な部下を持ってるな。……小娘だが完璧な暗殺者だ。見ろ、俺の可愛い部下が血の海に溺れてやがる」

「自慢の部下でな。……戯言は良い。単刀直入に誰の指示で何を探りにここへ来たか言え」


反重力ガンを構えつつ距離を詰めるアランに、モンローは含み笑いを溢す。


「……何がおかしい」

「アラン。お前はまるで軍人だな。口調も闘い方も、何もかも。任務遂行に向けしっかりしてる。だが俺たちは違うぞ。奪えるものは好きなだけ奪って帰る。このクソ溜めを有意義に生きるためにな。いいか、この秩序も正義もねえ世界ではそれが一番なんだよ」

「随分お喋りなジジイだな」


アランは氷のように冷たい表情で、無反動に反重力ガンの引き金を引いた。


「ぐぁッ!」


3つの円盤から発せられたエネルギー波によってモンローの身体は宙に浮き、勢いで天井に叩きつけられる。


そう思うと今度は勢いよく地面に落とされ、何度か上下移動を繰り返される。


「ぐぼぉッ……」


衝撃で顎の骨が折れたのか、血を吐く口元がグラグラとしており強面も痛みに歪んでいる。


アランは反重力ガンを降ろすと、地面に倒れたまま悶絶するモンローの襟を掴み無理矢理持ち上げた。


「はぁ……ぐふっ……」

「流石に口数も減ったか。喋れなくなるうちにさっさと口を割ったらどうだ。ここまでウチを荒らしておいて、喋らずに帰れると思うなよ」


アランはチラリとモンローの身体を見遣る。プルプルと小刻みに震え彼が恐怖していることを悟った。


もう少し。経験からそう感じた彼は襟を掴む力を強める。

限界に達したモンローがついに口を開いた。


「お、オレンジ社だ!奴らからの依頼だよ!!」

「オレンジ社?あの〈キャピタル〉のか」

「あぁ。どうやら奴らの関係者の先祖の遺物がこの辺りにあるらしくてな、それを何としてでも探してほしいとトップのマフユって奴に大金で雇われたんだよ……。奴ら、自分らの手は汚したがらないからな」

「マフユ。なるほど奴か。……で、何を探せと言われたんだ」


モンローは血を吐き震えながらも笑みを零し頭を振る。


「ただの手帳だよ。オレンジ社のロゴ入りのな。詳しくは知らんが、どうやら奴らも知らないかなり重要な情報が載ってるらしくてな、何としてでも手に入れたいとさ」

「……手帳?」

「ッ!」


訝しげに眉を顰めるアランとは反対に、

太陽は目を見開いた。


彼はその動作を見逃さなかった。


「その代わり大金だけじゃなく、奴らに俺の〈キャピタル〉入りも約束させた。そう、人生が変わるはずだった。それが……ぐはッ」



モンローは背後からの衝撃に更に大量の血を吐くと、地面に倒れ込みそのまま息絶えた。

死んだ彼の背中には太陽が放ったナイフが深く刺さっている。


「……太陽」

「ごめんなさい」


驚愕するアランに彼女は気まずそうに目を逸らした。


朝から様子がおかしく、モンローの話を聞いて呼吸を荒げる彼女に彼は違和感とある疑念を抱いてた。


「いや、よくやった。奴はこれ以上の情報は持ってなかった」

「……アラン」


場を落ち着かせるためあえて疑問の言葉を飲み込み太陽を労おうとするアランだが、彼女は何か言いたげに口を動かすと、ゴソゴソとポーチから取り出す。


彼は目を見開いた。


「お前、それは」

「奴らが探してたその手帳。私が見つけたの」

「なに……!?」


太陽がアランに見せつけた漆黒の手帳には、オレンジ社のロゴが刻まれていた。

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