第2話 100年後から
2022年。
東京、渋谷。
カクメイ社。
企業や研究機関とフリーライターのマッチングアプリ〈ライターズ〉を運営するITベンチャーで営業として働く25歳の会社員、鈴木三日月はノートPCの前で頭を悩ませていた。
今時の会社らしく天井の高いモダンな内装に壁のないシームレスなオフィス。ジャズ調のBGMが掛かり、カジュアルめな服装をした社員が各々のペースで業務をこなす。一見すればおしゃれで余裕ある空間だ。
その一方で、彼はメール文に冷たく書き殴られた
『コンペの結果この度はお見送りさせていただくことになりました』
という一文を虚な目で見つめ1人大きなため息をつく。デスクも彼の心を表すように書類で乱れていた。
「……取れなかったか」
キャスター付きの椅子を足で引いて天井を仰ぎ、カーリーな天然パーマの髪を掻く。こういう時指が引っかかる面倒な髪質を呪った。
「どうしたの三日月くん、そんなこの世の終わりみたいな顔して」
「真夏さん」
聞き慣れた声に彼が振り向けば、黒髪のポニーテールに赤いリボンが目を引く同期の渡辺真夏が小首を傾げて立っていた。
「コーヒー持ってきたけど、飲む?」
「うん、ありがとう」
彼は湯気だったカップを受け取ると、漆黒の水面をしばらく見つめ少し口に飲む。心なしか顔が綻んだ彼の顔を見て彼女も口角を吊り上げると、隣の椅子に腰掛ける。
「……結構な大型案件だったんだけど、取れなくてさ。見込み額を気持ち高めで提示してたらダメだった。リピート客なんだけどどうしてもライターさんの足元見るところがあったから今回は下げられなくて」
「そっか。営業って大変だよね。常に数字意識だし、特にうちのサービスはマッチングだから板挟みになりがちだし」
「自分でももう少し上手く渡り合えたらって思う時もあるんだけど、難しいよ」
「三日月くん優しいから。でもライターさんからもお客さんからもあの子対応いいねって連絡入ってるよ。口コミでパートナーのライター登録増えたみたいだし」
「そっか、それならよかった」
まぁたしかに営業には向いてない性格かも。という言葉を彼女は飲み込む。悔しさより、他人の事を思って綻ぶ彼の優しさが彼女は好きだったからだ。
「真夏さんこそ、総務部は最近どう?」
「こっちもまあまあ大変。さっきも部長から来週エンジニアの発表会開くから関係者カレンダー追加して部屋も取っといてって急に言われて。……どの部署までかも時間もアバウトだし適当にケータリングもって投げられちゃってさ。まあ総務って感じ」
「はは、お互い大変だね」
「ホントにね」
うまがあって心地が良い。
その感触は三日月と真夏のどちらもが口に出さずとも感じていることだった。
「……そういえば三日月くん。東野さんのお店には今も行ったりしてるの?」
「うんまぁたまにね。家から近いから」
「仲良いよねー。あの人もうちにライター登録してから1年間経つのにあんまり芽が出ないけど、お店やってたり自由でいいなって思う」
「あの人には趣味みたいなところもあるからね」
「フリーランスってやつね。っていうか三日月くんてさ、ライターさんともそんなに仲良くしたり、結構可愛がられる性格してるよね」
「そんなことないよ。ただ、色々相談乗ってもらったり乗ったりしてるだけだから。それに、東野さんの場合は僕と同じで科学とか映画の話好きで結構面白いんだ。色々教えてくれるし」
「ふーん。じゃあまた今度私も一緒に遊びにいこうかな、あの人のカフェ」
「いいね!きっと喜ぶよ。ただセクハラには注意した方がいいかも」
「大丈夫!そしたらこうだから」
にいっと白い歯を見せて笑いながら握り拳を作る真夏。三日月は包容力のある優しさを持ちながらも、時にコミカルな一面を見せる彼女を心地良いと感じていた。
ただそれはまた好意とは別の、兄弟姉妹のような感覚だった。
「じゃあ私そろそろ上がるね。三日月くんはまだ?」
「うん。作業あるからもうちょっといるよ」
「……そっか、じゃあまた。あ、東野さんのところ行く時はラインしてね!」
「わかった。お疲れ様!」
「三日月くんも」
彼女は少し残念そうに眉を顰めるも、彼に悟られないうちにスッと立ち上がり踵を返してその場を後にした。
「せーんぱい〜」
30分後。入れ替わるようにこれまた聞き覚えのある元気な声が三日月の背後を刺し、日報報告を終えてPCを閉じた彼の肩に手が置かれる。
「あー冬至くんか。お疲れ」
三日月が振り返ると、同じ営業部の後輩で新卒の田中冬至が慣れないオールバックを掻き上げニヤニヤして立っていた。
「この間とったアポ、無事成約まで持っていきましたよ!」
「おめでとう。凄いね!」
「ええ。しかも結構いい案件で、事前にライターに案件ちらつかせといて先方にはちょい高めに出したら即いけました!多分、先輩より俺成績いいんじゃないですかね?」
「たしかに、負けちゃってるかもしれないね」
冬至は鼻を鳴らす。
「ま、相手の社長がやたら映画好きで途中話振られても正直ついてけなかったんすけど、俺ノリと勢いは誰にも負けないじゃないですか?案外いけましたね」
「冬至くんはそこが強みだし、活かせたじゃん」
「ふん。つまり先輩みたいにオタクばりに知識があっても頭でっかちじゃダメってことですね。営業はコミュニケーションですから」
「確かにね。君みたいに駆け引きができるようにならなきゃ」
「……」
三日月の言葉に冬至は満更でもない顔を見せるが、全く自分の自慢と嫌味が効いていない彼に内心不満が募る。
「ところで、先輩はどうだったんですか?あの案件」
不満を解消すべく、冬至は趣向を変えて三日月にとって頭が痛いであろう話題に振り返る。
「あぁそれがコンペで落ちちゃって。取れなかったんだ」
ハハハと取り繕ったように笑う三日月に、彼の中でなおのこと不満が膨らんだ。
冬至はヒートアップさせるべく更に大きく鼻を鳴らす。
「あっれー新卒の後輩なんかに負けてダメダメじゃないっすか!もっと頑張らないと」
「あぁそうだね。次は見直して頑張るよ。冬至くんの押しの強さも見習わなきゃね、ほんとに」
「え、えーと。ああ、はい」
彼のどこまでも実直な性格かつ明るく、それでいて少し天然な性格に、渾身の嫌味も暖簾に腕押し。冬至としては面白くなかった。
「で、立花さんとの仲は順調なんですか?」
「うん?仲は良いと思うよ」
「そうじゃなくて、付き合ったりしてるんすか?」
三日月は苦笑して頭を振る。
「してないよ。確かに彼女は素敵だけど、本当にただの同期だよ」
「ふーん。……ただの同期、ねぇ」
やはり彼としては面白くない。
総務部の立花真夏が三日月に好意を寄せているのは知っていた。先程も彼女が彼を見守り、頃合いを見てコーヒーを持ち掛けたのも冬至は見ていたのだ。
一方で三日月はその好意に全く気づいていないことも知っているから、尚更腹が立つ。
真夏に好意を寄せている自分が、
全く振り向いて貰える素振りすらないのにも関わらず。と。
三日月にも魅力があることは横で仕事をしていてわかっていた。
お人好しで人の上に立つリーダーシップはないが、科学やら宇宙やら映画やら、好きなことの知識はとことん豊富。おまけに人当たりがよく上司にも取引先にも好かれやすいということも。
だからこそ、冬至は三日月にはない営業成績の良さでのし上がり真夏をモノにしようとしていた。
だが差を詰められない焦りに、彼は嘆息する。
「まぁいいっす。次はもっと数字も好意も意識した方がいいですよ」
「うん、ありがとう」
「……ちっ」
「おい冬至くん!飲みいくぞー」
「はい高橋部長行きます!じゃ、おれ他の先輩たちと今日他部署飲みなんで。お先です」
「お疲れ様、また来週」
小太りな営業部長に呼ばれた冬至は、念押しの嫌味を三日月に吐いて去っていった。
「……嫌われてるなー」
三日月自身は彼の自分への攻撃的な負の感情に気づいてはいた。しかし自分の失態も認知しているし、何より相手に無闇に突っかかることが苦手な性格もあったのだ。
最終的には全て上手く受け流せたと吐息をつくと、彼は荷物をまとめて会社を出ることにした。
いつもの帰り道。
金曜の夕暮れということで周りは週の疲れを癒すため仲間と飲みに興じるが、彼には1つ寄るべきところがあった。
電車を乗り継いで世田谷の最寄り駅で降りた彼は、途中駅前のコンビニで買い出しすると近所の公園を訪れた。
それ程広くはないが、真ん中に大きな桜の木が1本とベンチが2つだけなので全体的にスッキリしている。
「にゃー」
「どうしたミケ、今日はいつもより鳴いてんな。お腹空いてんのかー?ほら」
小さな三毛猫を見るやいなや、三日月はニッコリして大急ぎでコンビニ袋からチュールを取り出す。彼はここに住み着く野良猫に優しかけては餌をあげているのを習慣にしていたのだ。
「にゃーにゃー」
「うまいかー!でもごめんな、ウチのアパートじゃ飼ってやれないんだ。でも飯はいっぱいあるからな」
「にゃーお」
「……飼い猫が実は宇宙最強のエイリアンで、強い味方になって主人公たち人間を悪の異星人から守るヒーローに、なんてのはどうかな。じいちゃん」
実は彼には猫に話しかけて餌をあげるだけでなく、ストーリーを空想することも習慣化していた。
SF小説家になって、自分の描いた世界をみんなに楽しんでもらいたい。
その夢は、小説家で大好きだった亡き祖父の影響でいつも彼の頭の片隅にあった。科学も映画も宇宙も、好きになったのは彼の影響。
「よーしミケ、今日はこれで終わり。太らないようにちゃんと運動もするんだぞー」
ただ、たまにこうやって空想するだけで物語を引き出せない日々。今の仕事と重ねながら彼はもどかしさを感じていた。
「んっ?」
そろそろ帰ろうかと思った矢先。
雷のような物凄い轟音とともに、突然桜の木が白い光を放った。
「な、なんだッ!?」
白い光の中に黒い円形の穴が現れると、やがてどちらも消えた。
木の葉っぱが僅かに燃え辺りに煙が立ち込める。
「……アラン」
「え?」
突然の出来事に目を見開いて固まる彼。
しばらくして晴れた煙から現れたのは、ダークブラウンのローブを纏った女だった。片膝をついており垂れた長い黒髪で顔はよく見えない。
「本当に、ごめんなさい」
「……ターミネーター?いや登場の仕方はそうだけどローブはジェダイっぽい」
頭に過ぎったことを思わず漏らす三日月。
「くっ。……この!!」
女は涙で溢れた顔をあげると、一目散に彼に詰め寄り鬼の形相で額に銃口を突きつけた。
「おお?!」
「答えて!いまは何年?」
「うわこれってまさかブラスター?」
怯えるどころかキラキラとした目つきで自分に向けられた銃口を指差す彼に、思わず怯んだ女はブラスターガンをホルスターへ仕舞う。
「……な、なんで知ってるの」
「よく出来てるなー。映画とは結構デザイン違うし思ったよりモダンだけど、やっぱガンタイプは25発のマガジン装填?ていうかジェダイなのにブラスター使うなんてオビワンに怒られるんじゃない?まあその辺の掟しらないルークはセイバーと両方もってたけど」
「あの興奮してるところ悪いんだけど、そんなことよりいま何年なのか答えなさい」
「えっと、2022年だよ。令和なら4年」
彼女は安堵の息を漏らし、涙を拭いて座り込む。
「成功したんだ……」
「泣いてるの?大丈夫?」
「え、ええ大丈夫。驚かせてごめんなさい。ちょっと私も不安だったから」
震える声の彼女に、何が何やらの三日月は目をパチクリさせる。
「……それにしても、君がさっき出てきた黒い穴、ワームホールかなにかだよね。登場にしても服装にしてもそうだし、もしかして未来からきたとか?」
「え?……まあ、そうね。一応100年後から」
「凄い!てことは次元を繋ぐ異空間を創出してそこを移動できるエネルギーと制御する方法を見つけたってことだ!アインシュタインの相対性理論でもワームホールを抜けるのは無理だって言われてたけど、少なくとも100年の間に実現できたとは。……でもパラドックスの問題とか大丈夫かな。アベンジャーズ理論なら違う時間軸だから未来は変わらないけど、バックトゥザフューチャー理論なら変わっちゃうよね。それに」
「わかった!一旦ストップストップ!」
「ごめん。つい興奮しちゃって」
「……いえ、こっちもこんなに物分かりがよくてベラベラ古い映画ネタをいれてくるオタク男に出会うなんてびっくり」
緊迫し悲惨なタイムトラベル前とのギャップに、彼女の涙も収まってしまった。
そしてお互い髪をかき上げて息を整えると、
しばしの沈黙が空気を落ち着かせる。
「私、太陽」
「ッ!!……ぼ、僕は三日月」
冷静になって彼女の黒曜石のような大きな瞳を見た瞬間、彼は思わず自分がその中に吸い込まれそうになるのを感じた。
今まで感じたことのないドキドキ感に、思わず顔が強張る。
「……三日月。女の子みたいな名前ね」
「そっちこそ。男の子みたいだ」
「よく言われるわ」
「僕も、よく間違われるよ」
「同じね。というかあなた変に思わないの?その、急に未来から来たの、なんて言われて」
「変だけどなんとなく説得力あるシチュエーションだし、映画で慣れてるし別に」
「変わってるわね。まあ、きちんと話せそうな相手で安心したわ」
「僕も。身ぐるみ剥がされないでよかった」
「だからターミネーターじゃないんだけど」
お互い妙なシンパシーを感じていた。
最初は不安と警戒心でいっぱいだった太陽だが、彼の理解力の速さと親近感にだんだんとどちらも薄れていく。
リラックスしてくると、周りの景色もよく見える様になってきた。
「さっきはなんで泣いてたの?」
「……こっちに来る前に、大切な人を亡くしたから」
「そっか、それは大変だったね。色々捲し立てちゃってごめん」
「いいの。びっくりするのは当然だから、こっちこそいきなり銃口向けてごめんなさい」
「大丈夫。結構テンション上がったよ」
「やっぱり変わってるわ」
優しくも、やはりどこかおかしな青年に彼女の口が思わず綻ぶ。
「……その小さな生き物は?」
「ん?猫だよ。可愛いだろう。もしかして見たことない?」
「うん。たぶん、ずっと前に私のいる場所では絶滅したかも」
「そうなんだ。こんな可愛い生き物はいないいよ。ほれほれ〜」
わしゃわしゃと嬉しそうに猫を撫でる三日月。猫の方も完全に懐いているところを見て、彼女の警戒心は解けていった。
「太陽……さん?」
「呼び捨てでいいわ」
「太陽も触ってみたら?猫は頭の後ろ辺りをゆっくり撫でると喜ぶんだよ」
「えぇ。……こう?」
太陽は猫と同じぐらいの高さまで屈むと、恐る恐る手を伸ばして撫でてみる。
「にゃー」
「!!」
「そうそう上手い!ミケものどを鳴らして喜んでるよ〜」
「可愛い……かも」
何だか心が暖かくなる感覚に、太陽は感激していた。こんな小さくて無力な動物が平和に暮らせるこの時代にも。
一方で三日月も太陽から目が離せないでいた。真夏に感じる落ち着く感情とはまた違った、心が締め付けられるような思いに戸惑うも、何だか嬉しいと感じる。
ふと、彼女の手元が彼の視界に入った。
「……その左手首のタトゥー」
「あぁこれ?ううん、生まれつきのアザなの」
「太陽みたいでとても素敵だね」
「え、あ、そう言ってくれた人はあなたが初めてかも。……ありがとう」
太陽は不意に褒められて困惑して顔を俯かせてしまう。
「僕のおじいちゃんがよく言ってたんだ。人に対してはとにかく肯定から入れ、物事は疑問から入れって」
「……なかなか賢い人ね」
「うん、ずっと尊敬してる。科学が好きなのもおじいちゃんの影響なんだ。まあ物事を疑問から入るっていうのはいまいち出来てない事も多いけどね」
「まあ人って物事を簡単に信じちゃうものよね。その方が楽だから」
「そうだね。気をつけないと!」
「何だかあなたって面白い」
「ありがとう」
「褒めてないわ」
「人に対しては肯定から入れってね」
「ふふっ」
やっと笑みを見せた太陽に安堵した三日月は、改めて彼女の姿をよく見てみた。
ローブはかなり年季が入っており、ところどころ破れている。また、まだ新しいと思われるススのような汚れも散見される。
頬にも同様の汚れがついているようだ。大切な人を亡くしたと言っていたし、何か急を要する事態だったのは間違いないと彼の直感が告げる。
そして事情はよく解らないが、さっきの光景と言動、現代とは浮世離れした姿を考えると恐らく未来から来たのは本当なんだろうと確信した。
「……ところで太陽。もうすぐ夜になるけど、その、泊まるところとかは決まってるの?ほら、未来から過去のホテルに予約できるとは思えないし」
彼女は素っ頓狂な顔をする。
「ホテル?別に、この辺りで野宿でもするつもりだから心配いらないわ」
「いやいや危ないって!最近変な人も多いし警察とかにも声かけられるよ。……もしよかったら、僕の家に寄って行ったら?あまり広くないけど、ご飯とかなら用意できるから」
「いいえ、気遣いだけ貰っておく」
「そっか。でも未来から来たばかりならこっちの身分証がないんじゃない?その格好だと確実に職務質問に遭うと思うけど」
彼の助言を受け、太陽は口元に手を当てて少し考える。
「変人は倒すから問題ないけど、確かに警察は少し面倒ね。ホテルに行ってもこっちの身分証がないし。……わかったわ。せっかくだしあなたの家にお邪魔しようかな」
自分から提案しておいてまさかOKが出るとは思わずドキマギする三日月だが、悟られんと咳払いで誤魔化す。
「よし、じゃあ任せて。ここから近いから、行こうか。さっきの話も含めて君の話をもっと聞いてみたいし」
「ええありがとう。あなた変だけど本当に親切な人ね。確かに私もこの時代のこと知らないし、エスコートお願い」
「うん任せて!じゃあこっち」
2人は三毛猫にさよならをして公園を後にすると、彼の住居へ向けて歩みを進めた。
三日月と太陽。100年後と100年前。相対する2人が交差していく。
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