第11話 予想外

 次の日、美由紀がいつも座っていた席には誰もいなく、空席となっていた。

 先生は風邪だと伝えていたが、夏恵は納得していない。昨日の出来事を思い出し、心配そうに眉を下げている。


 昨日夏恵は、美由紀を抱え保健室のベットに寝かせたあと、職員室に走り先生を呼びに行った。事情を聞いた教師が親に連絡して迎えに来てもらったところまで姿を見とどける事が出来た。しかし、親が迎えに来ても彼女にはなんの変化もなく、目は虚ろのままで、口には微かに笑みが浮かんでいたのだ。



 夏恵は昨日の事を頭の中で巡らせながら自分の席で教科書の準備をしていると、クラスメートの一人が心配そうに話しかけていた。


「夏恵ちゃん、美由紀ちゃんが心配?」

「え?」

「今日ずっと浮かない顔してるよ? 元気だして!  風邪だったらまた直ぐに戻ってくるよ」


 夏恵以外の人達はただの風邪だと思っているため、あまり心配していない様子だった。簡単にそのような事を口にする。それは当たり前の事で、事情の知らない人達からしたら普通の反応だ。

 そんな人達を見て、面倒くさそうに小さく溜息をつき、貼り付けた笑顔で短い言葉を夏恵は返す。


「そうだよね、ありがとう」

「うん!」


 夏恵の言葉を聞いたあと、笑みを浮かべそのまま自分の仲良しグループへと戻って行った。それを確認すると、貼り付けていた笑顔を剥がし、教科書を机にトントンと揃えるために置き、俯きながらため息をつく。


 人は自分の利益のためなら平気で人を騙す。それは誰もが例外でない。

 自分を偽り、相手を騙す。それが当たり前の日々。そうしていかなければ自分の居場所がなくなってしまう現実。


 夏恵は自分の胸に手を当て口を結び、一人で過ごしていた。

 

 ☆


 人気のない通路、街灯の光も届かない闇の世界。あるのは月の光のみ。そんな中、二つの人影が浮かび上がっていた。


 一人は成人男性並の身長があり、もう一人は小学校低学年くらいの背丈の少年。二人の、笑いが含まれている会話が闇の中に響く。


「使ったらしいな」

「そのようだな」

「さて、早く出てこいよ。”相思そうし”」


 短い会話を交わしたあと、笑い声が闇の世界で響き渡り、一瞬のうちに影は溶け込まれるように姿を消した。


 ☆


 林の中にある噂の小屋。今日は依頼人が来ていないため静まり返っていた。聞こえてくるのは、本を捲る音と寝息だけ。


「すぅ〜……」


 ソファーにはいつも通り昼寝をしている明人と、その近くで本を読んでいるカクリの姿。



 明人が記憶を失ってもう四年近くになる。もうそろそろ記憶を戻すのに本気を出してもいい頃合だが、焦りなど一切見せない彼は気持ちよさそうに昼寝をしていた。


 カクリは、ソファーの上で昼寝をしている彼を横目で確認したあと、読んでいた本をパタンと閉じた。


「焦っているのか、それとも焦っていないのか……。分からぬな」


 独り言を零し本の表紙を手で撫でていると、目の端に黒い何かが映り顔を上げた。右側の壁に目を向けると、サッカーボールぐらいの黒い埃のような物体が落ちている。


 カクリは最初、怪しむような目を向けるだけで本に視線を落とし読み進めようとした。だが、一度気付いてしまうと気になって仕方なく、テーブルの上に本を置いた。


 重い腰を上げ、埃のような物を外に出そうと手を伸ばした瞬間──その埃のような物はモゾッと急に動き出し、油断していたカクリの顔目掛けて突っ込んできた。


「っ何?!」


 カクリは咄嗟に顔だけを横にずらしたため、間一髪で避ける事が出来た。完全によけ切る事が出来ず、右頬から赤い液体が流れ落ちる。掠ってしまっただけで頬が切れてしまう威力。まともに食らっていたらどうなっていたかわからない。

 

 カクリは切られた所を拭い取り、後ろを振り向き再度埃のような物に目を向けた。


 ふよふよとその場に浮いている埃。カクリは何が起きてもすぐに対処出来るよう、腰を落とし構えていた。すると、埃はカクリへの興味が無くなったのか、クルクルとその場で回り出した。


「な、なんなのだ」


 よく分からず、カクリは見ているしかできない。すると、何故か急に回転を辞め、その場に止まる。

 なぜ辞めたのか目を離さないように観察していると、目が付いている訳では無いが、視線をカクリから明人に移したように思えた。


「っ!! 起きるのだ明人!」


 瞬時にそれを察し、未だソファーの上で寝息を立てている明人に叫ぶが、それと同時に埃も明人の方へと向かってしまう。そのスピードは先程、カクリへと突っ込んだ速さと同じ。人間である明人がまともに食らったらひとたまりもない。だが、明人は何も気付かず、目を閉じ続けている。


「起きろぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!」


 カクリの悲鳴に近い声が小屋の中に鳴り響いた。それと同時に、どこから聞こえているのか分からない高い女性の声がカクリの声と重なり響き渡る。



 ─────相思そうし!!!



 明人は女性の焦っているような声に反応しカッと目を開けた。今の状況を理解するより先に体が反応し、ソファーから落ちるように床へと逃げた。


「おいおい、起こすんだったらもっと平和的に起こせよ。こんなんされたら起きるどころか永遠の眠りに陥るぞ……」


 愚痴をこぼしながら、明人はカクリを見つけ隣へと移動する。 真剣に相手を見定めているかのように険しい表情を浮かべ、カクリに問いかけた。


「軽口をこぼしている場合ではないだろう」

「あれは何だ……。俺はしてねぇぞ」


 失敗とは、いつも明人が行っている”匣を開ける事”をという意味だ。


 匣を開けるのも百発百中では無い。今は失敗する事はなくなっていたが、それでも連日行っていると体力は無くなり、集中力が切れるのが早くなる。


 そうなってしまうと、匣を開ける途中で力が尽き、開けられなくなってしまう。その際に、小屋の中を漂う黒い物体が出てくる。


 その物体は、中途半端に開けてしまった匣の隙間から出てきただ。

 黒く変色しているのは、闇に染ってしまったから。


 黒くなってしまった魂を元に戻す方法は一つだけ。


【匣の持ち主が自分と向き合う事】


 そうしなければ黒いままで、匣を開けた所で意味はない。溢れ出てしまった想いの魂は、どうする事も出来ずに消滅してしまうのだ。



 しかし、今回はその物体とは異なり、一回り大きい。それに、明人やカクリに敵意を持っているようにも見える。


 明人達は油断などせず、眉をひそめながら距離を保ちつつ、様子を伺っていた。だが、埃は先程明人に突っ込んだままソファーの上で転がっている。


「ソファーの上が気持ちよすぎて昼寝でも始めたのか? ふざけるなよ、人の安眠を妨害しといて自分はグースカピーとか……」

「本気で言っている訳ではないだろうな?」

「俺はいつでも大真面目だけどな」

「ふざけている暇などないぞ」

「本気だっつーのにな」


 その場とは合わない会話をしていた二人だったが、その間も黒い埃からは目を逸らさずに、状況を伺っている。


 埃は今も尚、動く気配はない。


 ずっと警戒していた二人だったが、相手が動く気配を見せてこないため、カクリが一瞬だけ息を吐き肩の力を抜いてしまった。その瞬間、埃は急発進するかのようにカクリへと突っ込む。


「っ!?」


 スピードが速すぎるためカクリは避ける事を諦め、両腕を前に出し受け止めようとした。だが、勢いは一切緩まず。カクリごと後ろの壁に吹っ飛んでしまった。


「カクリ!!!」


 ドゴンという大きな音を立てながら、カクリを壁にぶつける。幸いな事に、壁は頑丈に作られていたため、がれきの下敷きにならず傷が付いた程度で済んだ。それでも、打ちどころが悪く頭から血を流し動かなくなってしまった。


 黒い埃はカクリを吹っ飛ばしたあと、まだ気が済まないらしく、明人へと狙いを定め空中に浮かび上がる。

 目はないが、鋭い視線を放っているのを感じる。そんな視線に、明人は冷や汗を流しながら苦笑いを浮かべていた。


「おいおい、ふざけるなって……。俺はこういうの向いてねぇーんだよ」


 明人が呟くのと同時に、埃は息つく暇すら与えず突っ込んでいく。それを明人は体を捻り、最小限の動きで避ける。


「ふっ、ざけんな!!!」


 避けたが、すぐさま空中で曲がり再度明人へと向かう。向かってくる埃を目にし、体を立て直し膝を折る。埃は頭上を通過したが意味はなく、また向ってきた。同じ事の繰り返しで、明人は避けている間でも思考を巡らせ打開策を練った。


「っ、ちっ!!」


 体力がなくなっていき、頬を掠めてしまう。血が流れ、明人は右手で拭いながらドアの方に目を向けた。


「賭けるか……」


 埃の猛攻を避けると、明人はドアへと向かいドアノブを握る。明人の動きに疑問を抱かず、埃は同じ速さで彼へと突っ込んでいく。


「ボール遊びは外でやりな!」


 突っ込んでくるのと同時に、明人はドアを勢いよく開き横に飛ぶように避けた。


 謎の埃は途中で方向転換ができず、そのまま外へと出て行く。

 外に出たのを確認した明人は、すかさずドアを閉め、開かないように背中を付け抑えた。


 明人は何分か様子を伺っていたが、ドアをぶち破って入ろうとしてこないため、静かな時間が進む。そして、埃が外に出て行ってから数十分か経った頃、明人は少しずつドアを開け、目線だけを泳がせ外を確認した。


 外はいつも通り緑が広がっており、異物である黒い埃は見つけられない。だが、まだ警戒を解かずにゆっくりとドアを開ける。顔だけ出してもわからないため、足を一歩外へ踏み出した。


 今日は天気が良いため、そよぐ風が肌を撫で心地よい。汗で服がベタつくが、涼しい風がベタつく汗を拭き取ってくれる。

 太陽も強すぎず、葉が光を遮っているため眩しい訳でもない。


 警戒を解かず左右を確認していた明人は、埃が居ない事を確認し、安心したように息を吐いた。


「いなくなった──みたいだな」


 周りを再度見回して、なんの異常もない事を確認した明人は、直ぐに小屋の中へと戻って行った。


「たくっ、なんだったんだ今のは……」


 まだ壁に寄りかかりながら気を失っているカクリをソファーへと寝かせ、明人は木製の椅子に座り難しい顔を浮かべ考え込む。


「……カクリが妖なら、他にも何か力を与える事が出来る奴が居てもおかしくねぇか」


 そして、その力で明人を殺そうとしたと彼は考えた。だが、その理由がわからない。


 明人は疲労を全て吐き出すように息を吐き、ソファーで眠ろうと思い目を向けた。だが、ソファーにはカクリが眠っていた事を思い出し、小さく舌打ちをし椅子に座り直す。

 

 近くのテーブルに置いてあった本を手に、読み始めた。

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