夏恵
次は必ず奪い尽くしてやる
第10話 記憶の手がかり
小屋の中、ソファーの上で寝っ転がり寝息を立てていたのは、この小屋の主である
カクリは本を読んでいたのだが、明人はもう眠り始めてから一時間以上経過している。さすがにもうそろそろ起きてもらわなければ、依頼人が来た時に慌てる事となってしまうため本を閉じ、声をかけた。
「明人よ、まだ起きぬのか?」
「す〜……んっ……ぐ〜……」
声をかけられているにも関わらず、夢の中から目覚める気配を見せない明人。カクリは呆れたような目を向け、浅く息を吐く。依頼人がいる時との落差が酷く、ため息をつくしかない。
依頼人の前では、紳士的な対応で相手を安心させ効率的に匣を開けるのを意識しているが、それだけではない。相手が明人の事をどう思っているかも理解し、都合が良いようにその場の空気を変えてしまう。
言葉が上手いだけでは無く、独特な雰囲気を醸し出し、相手を混乱させ洗脳のような事を平然とやってしまう。
依頼人の前ではそのように気を使っているため、普段は神経を使わなくても良いため寝て過ごす事が多い。
カクリは昼寝をしている彼の姿を見て、呆れかえっていた。
「早く記憶を取り戻さなければ、今後どうなるか分からんな」
手に持っている本を見つめ、不安げな言葉が零れる。すると、ソファーの方から声が聞こえゆっくりと顔を上げた。
「わからんって、なんだよ」
いつの間にか起きていたらしく、明人の目はまだ閉じられているがしっかりカクリの言葉には返していた。
「寝たフリとは。卑怯と言うものでは無いのかい?」
「これは立派な戦術にも組み込まれるもんだ。よくあんだんだろ。熊が目の前に現れたら死んだフリしろとかな。あれと一緒だ」
「全く違うものだ、それに迷信ではないか。そんな事をすればたちまち食い殺されるぞ」
「怖いねぇ〜」と軽く言いながら、閉じられていた目を開け上半身を起こした。体を上へと伸ばし、肩をポキポキと鳴らす。
「んで、俺の記憶の手がかりはまるっきりなしか?」
「今のところはな」
明人はカクリの言葉に舌打ちをし、その場から立ち上がる。
「依頼人が来るかもしれん。はやく準備をした方が良い」
「わぁったよ」
そのまま明人は部屋の奥へと歩いていき、その後ろ姿を見続けながら、カクリは口を開きボソリと呟いた。
「
カクリの独り言は、誰の耳にも届かずに消えてしまった。
☆
学校の教室、今は昼休みなためクラスの人達はそれぞれ楽しみながら時間を過ごしている。そんな中、両頬を淡く染め、興奮しているような高い声で友人に話しかけている一人の女子生徒。
「ねぇ!! 今日の海斗先輩めっちゃかっこよかったよね!!」
「はいはい」
「ちょ! 流さないでよ!」
二年生の教室で、一つの机を囲みながら話している女子二人。
頬を染め、友人に話しかけていたのは
美由紀の髪はふわふわと巻かれており、その髪を下の方で二つに結んでいる。カーディガンを羽織っており、少し大きく指先しか見えていない。
夏恵の方はショートカットの黒髪に、赤色の眼鏡をかけている。そこまでこだわりがないようで、スカートは膝上まで上げてはいるが、それ以外は手を加えていないシンプルな制服の着こなしをしていた。
二人は幼馴染なため、今でも一緒に居る事が多い。
美由紀は、海斗先輩と呼ばれている三年生の
「てか、そんなに好きなんだったら告白すればいいじゃない」
「無理無理無理! 私なんか相手にされないよ! 名前すら覚えられてるかどうかあやしっ──」
「安心しろそれは無い」
美由紀の言葉を途中で遮り、夏恵はジト目のまま言い放つ。
「大体、告白するより今の行動の方がめっちゃ勇気いる事だと思うんだけど」
「え、そうかな?」
「そうでしょうよ」と夏恵は小さくため息を吐く。
海斗はバスケ部に入っているため、美由紀は部活の時間は必ず、体育館へ向かい大きな声で応援している。しかも、名前を出して。
その他にも、タオルや飲み物などの差し入れを持って行ってるため、名前を覚えられていないのはまず無い。
夏恵はげんなりしたような顔を浮かべ、静かに授業の準備を始めた。
それでも美由紀は気にせずに、海斗について笑顔のまま話し続けた。一人で事細かに話し、先生が来ている事にも気付かずに。そのため、先生に丸められた教科書で頭を叩かれていた。それを、夏恵は「ばーか」と口パクで伝え笑っていた。
☆
放課後になり、美由紀は元気いっぱいに立ち上がった。
「じゃっ、行ってくる!!」
はっきりと宣言した美由紀は、光の如き速さで教科書などを鞄の中に入れ、教室を後にし走り去って行く。
「……陸部に入れるんじゃね? あいつ」
呆れ気味に小さく手を振り見送っていた夏恵は独り言を零し、ゆっくり鞄の中に教材を入れ背負い、グラウンドへと歩いて行く。
夏恵は陸上部に入部していた。
最初は先輩方が早すぎて追いつくのがやっとだったが、今は一緒に隣を走れる事が多くなり、笑みを浮かべ楽しそうに走っていた。だが、それだけではない。彼女にとって、この部活の時間は他にも楽しみがあった。
陸上部の休憩時間。夏恵はグランドから見える体育館の出入口を、タオルで顔を拭きながら見ていた。
目線の先に居るのは、満面な笑みを浮かべぴょんぴょんと飛び跳ねながら全力で応援している美由紀の姿だった。
「あっ、今日は差し入れ無いんだ……」
肩にタオルをかけ、ドリンクを飲みながら呟く。全力で振っている手には何もない。差し入れは今回持ってきていないのが一目でわかった。
今の美由紀の姿を見る夏恵の表情は優しく暖かいように感じるが、瞳が微かに揺れており、切なげにも見える。
夏恵が美由紀の方を見ていると、休憩時間の終了を知らせる笛が鳴る。その音にハッとなり急いでタオルをベンチに置き、後ろ髪惹かれる思いでグランドへと走り出した。
☆
部活が終わり、夏恵は更衣室で着替え校門を出ようと、学校のシンボルである桜の木の横を通り抜けようとしていた。
今は冬が近いため桜は思いっきり季節外れ。枝だけが寂し気にポツンと立っていた。
その光景は夏恵にとって見なれており、彼女は耳にイヤホンを入れスマホを操作しながら校門に向かっていた。すると、視界の端に何かが映り足を止める。目線を隣に立っている桜の木へと向けられた。
そこには、木の根元あたりで座り込んでいる人影があった。
「あれ、なんでこんな時間に……」
今は午後六時過ぎ。周りはだいぶ暗くなっており、この時間まで学校にいるのは陸上部かバスケ部ぐらいだ。
見学者もさすがに三時間以上も学校に留まる事は無いため、この時間はいつも周りに人はいない。
どうしたんだろうとスマホを握りながら近付くと、暗くて分かりにくかったシルエットがはっきりとしてきた。
そして、やっと誰だか確認できた時。夏恵は顔を青くして走り寄った。
「美由紀!!!」
木の根元に座っていたのは、夏恵の幼馴染である美由紀だった。だが、様子がおかしい。体に力が入っておらず、木にもたれかかっている。
夏恵は彼女を支え、意識をしっかりさせようと少し肩を揺さぶり、名前を呼んだ。
「あっ──夏恵……」
やっと夏恵は美由紀と目を合わせる事が出来た──のだが、その目も虚ろで、何を見ているのか分からない。
口元には薄い笑みが浮かんでおり、不気味な表情を浮かべていた。
その表情を見た夏恵は何が起きたのかわからず、美由紀に思わず問いかけてしまった。だが、今の彼女は明らかにおかしく、憔悴しきっているように見える。
「一体何があったの?!」
何とか聞こうとするが、美由紀が口を開く事は無く。夏恵の焦った声だけが静かな空間に響く。
「なんで。休憩時間の時はあんなに元気そうだったのに…………」
目には膜が張っており、今にも流れ出てきそうな涙を堪えながら状況把握しようと考え込む。
部活の時間は大体二時間くらいだ。その間にも、休憩時間があり元気な姿は確認出来ている。だから、夏恵が見ていなかった時間はたったの一時間ぐらいだろう。
一時間で何故こんなにも憔悴仕切っているのか、夏恵には全くわからなかった。
「とっ、とりあえず保健室に!」
夏恵は目元を拭い、急いで美由紀の腕を自分の肩に回し、保健室へと急いだ。
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