第9話 人形

 巴の身体に突如襲ってきた浮遊感。足はつかず、手を伸ばしても意味はない。彼女は一人、何もない空間に投げ出されてしまった。

 閉じていた瞳を開け、周りを見回す。そこは、先を見通す事すらできない闇の空間が広がっており、巴は驚き顔をあちらこちらへと向けた。


「なっ、なによ。ここ……」


 何が起きたのか分からず、動揺し忙しなく周りを見回す。だが、どんなに見回しても真っ暗な空間が続いているだけで何も無い。何かに触ろうと手を伸ばしても、触れられ物が無いため空を斬るだけ。

 暗い空間と言うだけで重苦しく、息が苦しくなってしまう。


「ど、どういう事よ! 説明しなさいよ!! 聞こえてんでしょ?!」


 巴は冷や汗を流しながら何とか声を張り上げ、歩こうと足を前に出しているが何も変わらない。

 床や壁すら無い暗闇に、彼女は自身の肩を掴み震える肩を抑える。歯がガタガタと震え、顔を真っ青にした巴は負けないように声を張り上げた。


「ちょっと、何か言いなさいよ!!」


 震えた声で叫んだ直後、巴の後ろに人影が現れた。ゆっくりと人影は右手を動かし、彼女の背中へと手を伸ばす。

 巴は涙目で、やっと明人が現れたと思い口角を上げて後ろを振り向いた。だが、人影は一瞬にしていなくなる。


「一体、なんなのよ……」


 とうとう涙を流してしまった巴だったが、どこからか明人の声が闇の空間に響き渡り、脳まで震えるような感覚に身震いする。


『お前の匣は真っ黒だな。これでは開けても意味は無い』

「いっ、意味はないってどういう事よ!! 何をする気なの!?」


 何も無い空間からいきなり声がし、巴は恐怖を隠すようにかな切り声をあげ、泣き叫ぶ。


『クックックッ。あはははっ!!』


 闇の中に明人の笑い声だけが響き渡る。その笑い声が気味悪く、巴は震えながら耳を塞ぎ蹲った。目を強く瞑り、今の現状から逃げるように全ての情報を遮断する。


「なによ、なんなのよ。こんな、なんで──」


 目に涙を浮かべながら「なんで」と呟き続ける。

 それからどのくらい時間が経ったのか分からないが、笑い声はいつの間にか聞こえなくなっていた。


 巴は声が聞こえなくなった事に安心し、周囲を確認しようと顔を上げた────その瞬間。目の前に異様な笑みを浮かべた明人の顔が迫ってきていた。


「お前の匣は【頂いた】」

「ひっ!!?? きゃぁぁぁぁぁあああああ!!!」


 巴の悲鳴と明人の笑い声が、暗闇の空間に響き渡った――……


 ☆


 巴は林の奥、木にもたれかかっている所を偶然通りかかった人が見つけた。だが、様子がおかしい。

 目が虚ろで光がなく、どこを見ているのかもわからない。なんの感情も読み取る事が出来ない。


 まるでのように、動かなくなってしまっていた。


 ☆


 小屋の中、明人は機嫌が良いのか鼻歌を口ずさみながらソファーに寝っ転がっていた。


「〜〜♪」

「機嫌が良いらしいな」


 カクリは木製の椅子に座り、本を読んでいた。だが、明人の様子が気になり、目を細め怪訝そうに彼を見て問いかけた。


「こんなに真っ黒な匣は最近なかったからな。いやぁ、あんなにビビってくれるとは。嬉しいなぁ」


 巴の匣は真っ黒に染まっており、開けるのは困難だった。

 開けられない事は無いが、それにはそれ相応のが必要になる。だが、今回の依頼人にはそれを賭けるほどの価値はないと判断し、匣を開ける代わりにのだ。


 匣とは人間の”感情”が入っている物。もし、その匣が無くなってしまったら──


「これからあいつはどうなっていくのかねぇ。俺には関係ない話だがな」

「……では、頂くぞ」


 カクリが手を差し出し、寄越せと言わんばかりにソファーに寝っ転がっている明人を見下ろす。


「ちぇ。ほらよ」


 不機嫌そうに明人は、カクリに小瓶を差し出した。


「今回は疲れたなぁ。俺は寝る」

「ちょっと待て。なぜこれなんだ」


 カクリの手には小瓶が握られている。だがそれはカクリが欲した物ではなく、明人が依頼人を眠らせるために使っている、黄色の花が浮かんでいる小瓶だった。

 これにはカクリの魔力が入っており、普通の人なら匂いを嗅ぐだけで眠りについてしまう。


「お前が渡せって言ったんだろ」

「私が言ったのはこれでは無い。お前のポケットに入っている方だ」

「へいへい」


 そして、今度こそと思ったカクリだったが詰めが甘かった。次に明人が渡してきた物は空の小瓶だ。これは、依頼人の抜き取った匣を入れるためいつも持ち歩いていた。


「……」

「んじゃなぁ」

「ふざけるな!!」

「いって!!」


 カクリは明人から受け取った空の小瓶を彼目掛けて思いっきり投げた。真っすぐと明人の後頭部に向かい飛んでいき、彼の後頭部にクリンヒット。痛々しい音を鳴らし、床に落ちる。

 ちょうど小瓶の角が頭に当たってしまったらしく、明人は声を上げながら頭を押さえその場にしゃがみ込んだ。


「こんの、クソガキ……」


 呻き声を上げながら明人は恨めしそうな顔でカクリを睨むが、そんな事どうでもいいカクリは、気にする様子を見せない。


「匣の入った小瓶を渡せと言っている!」


 怒りと呆れが込められた言葉を聞き、明人は数秒後に立ち上がる。服についた汚れを払った後、わざとらしく「それの事か!」と言いながら手を鳴らした。


「絶対にわかっていただろう……」

「いやいや、言葉にしてくんねぇとわかんねぇよ?」


 カクリの言葉に返答しながら、左ポケットから小瓶を取り出しカクリに渡す。今回は合っているかまじまじと確認すると、正真正銘の匣の入った小瓶だと確信する事が出来た。

 まだカクリは不貞腐れてはいるものの、納得して大事そうに小瓶を握る。


「ちゃんと主語を言わないといけないよ~、カクリちゃん」


 厭味ったらしく告げ、明人は部屋の奥へと姿を消した。


「…………いつかあやつを呪い殺してやる」


 カクリはドアを睨みながら愚痴をこぼし、そのまま小屋の出入り口から外へと出て行き、林の外へと消えてしまった。


 ☆


「見つけた。見つけたぞ。上手く隠していたみたいだが、死んでいなかったようで安心したよ。お前には、まだまだ地獄を味わってもらうぞ、荒木相想あらきそうし


 その声からは憎しみしか感じず、重くのしかかる声だった。その声の主は、暗闇の中を歩き、月明かりすら届かない場所で、少年と二人。空を見上げた。

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