第37話 理知と鮮やかさを結い加える⑤
瞬きの開閉音すら反響しそうなくらいのひとときの静寂。それは閑谷がオレの意見をちゃんと聴くと、敢えて沈黙してくれているようにも感じられる。ありがたい配慮だ。
「……率直に言うとトラブルに巻き込まれた。そして恐らく、あの二人は他人を装っているけど仲間内、いやもっと近しい間柄だと思う」
「うん……あの二人のことはともかく、なんかそんな感じはしたよ……酷く動揺してるみたいだったしね。それで、経緯はどんな感じなのかな?」
閑谷は首を傾げる。
ちゃんと聴いてくれそうな雰囲気が何故かある。
「ああ。オレはショッピングモールに向かうまでの途中で、突然二人に呼び止められた。男の方からは肩を掴まれていて、そっちが話し掛けるまで続いた。内容としてはお婆さんの方がどうやら三十分くらい前に暴行にあったらしい。その証拠として丸メガネのレンズが割れ、
「んーなるほどね……——」
そう呟く閑谷は老婆を一瞥しているみたいだ。多分だけど怪我の具合を把握しようと努めたらしいが、生憎患部は逆側面で、オレたちからの視界には映りようがない。
「——その、確認だけどさ」
「うん」
「実は暴力を振るってました、っていうのは絶対にないって言えるかな?」
少し申し訳なさそうに閑谷はオレに暴行をしていないかどうか訊く。これは相手を勘繰るやり方だからか及び腰だけど、至極もっともな質問だ。何故ならあくまでオレがトラブルに巻き込まれたと述べているだけで、事実そうであったか第三者の閑谷に分かるはずがない。
オレとしては事実無根の証明も出来ないからちょっと困る問いではあるが、ここはもう正直に答えるしかない。あとは閑谷がどんな風に心証を彩るかに掛かっている。
「ああ、言える。ほんとなんでこうなっているのか、オレが聴きたいくらいだよ」
「……うん、分かった。クラスメートっていう身内贔屓かもだけど、私は信じるよ」
うろんな街並みに不相応な慈しみの笑み。
オレにとっては一縷の望みのような、柔和な表情に充てられる。
「……助かる」
「あ……いえいえっ。それよりどうしようかこの後、多分警察に連れて行かれるのかもしれないけど——」
「——えっ? ああいや、あの二人がついて来てというのは警察のことじゃないと思うよ。というか、そう思い込ませるのが目的で、あんなあやふやな言い回しをしているみたいだな。あれは」
「んんっ? ど、どういうこと?」
これはとても簡単な行動心理だ。そもそも二人は、警察などの介入をさせる気なんて、男性の証言からして有り得ない。
「あの二人はオレが怪しいからついて来いと言った。交番に行くぞ、じゃなかった。もしかすると言葉足らずなだけかもしれないけど、怪しいからといって無抵抗のオレの肩を掴み続けるのも少し変だな。まるで逃したくない理由でもあるみたいだ。あともう一度繰り返すけど、あの男の人はお婆さんが殴られていたのを三十分前に見ていたらしい……良識があれば犯人を見失って三十分もあるなら、それこそ一緒に警察のところへ行くとは思わないか? でも彼はそうしなかった……そう出来ない訳でもあるのか、最初からそんな気が更々なかったのか、どっちだろうな」
「……確かに。それだけ時間があれば警察とか、おばあちゃんが怪我をしているし病院に行く方が先だと私も思う。流石にこの辺を歩き回って探していたというのは不確定要素しかないしね」
病院という手段もあるかと納得する。
ただいずれにせよ男性のとった行動は、もし老婆の身を案じるものだとしたらあまりにも非効率極まりない。
「既に警察への連絡が済んでいるんだとしたら必ずお婆さんに警察官が同行してるはずだ。なんせ暴行だからな、実際に怪我もしているし信憑性だけはあった。それに他人である男の人は一通り情報を伝えて託すこともあり得ただろう。例えば諸用があってあんまり時間を取られたくない場合だってある。仕事やら家族サービスやら……まあこの辺りはなんでもいいだけど、わざわざ休日に根気よく付き合うのも確率としては低いかな」
「うーん……じゃああの二人は一体なにが目的だったのかな?」
結局のところ。閑谷が口にしたそれが全ての元凶になる。対象がオレであった理由もちょっとは気になるが、後回しで構わないだろう。今は閑谷との情報共有が最優先だ。
「ここからはオレの予想だけどいいか?」
「えっ、ああうん。推理披露だね」
「いや推理かどうかは知らんけど……まずは、あのお婆さんと男性はグルだろう。そしてオレについてくるよう要求したのは、ここよりももっと人気のない場所へと誘導するためだ。そこで何をしたかったか、考えられるのは金目のモノを恫喝して奪い取る、ストレスの発散に暴力を働くとかだろうな。オレを狙った理由は確定じゃないけど、一人で彷徨っていたからかな? 恐らくまだ何人か仲間が別にいると想定した方が賢明だが、数十人、数百人規模ではないと思う。あと身体的特徴からあの二人の関係性にもおおよその予測は立つから、どちらかといえば警察のお世話になったら身元が割れやすくなるしオレが有利になるはず……ここまでは大丈夫か?」
「うーん大体は。でも一つ疑問かな——」
閑谷は人差し指を自身の左頬に当て、思考をまとめようと斜め下に瞳孔が向かっている。正直彼女がここまでしてくれるのも、それはそれでおかしいというか、親切が過ぎてる。
「——そっちは、なんでそこまで分かってるのに、ほとんど反論も抵抗もしなかったのかなって……やっぱり嫌でしょ、そんなの」
「……そりゃ嫌だよ、オレだって。でも今の話をここで語っても、どうしてもオレは当事者にされてしまっている。それに暴行をした証拠はないけど暴行をしなかった証明もない。そしてお婆さんが怪我をした、この事実は揺るぎない。こういうのは故意であれ、なかれ、加害を疑われている方が不利なんだよ。さっきもし警察に行けば有利だと言ったけど、口論になったら二対一。身分証明を不要とされたら一転してオレが瀬戸際に立たされる、それこそ不確定要素だ。加害の容疑がある上に多数決で負けている、つまりはオレが舌鋒を振るってこの場を収めようとしたら逆効果にしかならない……」
どうにかしたいのは山々だ。何事もなく平穏に日々が過ぎ去って欲しいまである。けれどどう足掻いても、そうはいかないときは必然としてある。これはもう運要素だ。
それに今回の事態がより良い方向性に変化するにも、オレの想定では閑谷への重責と負担が強いられる。正直最初は懇願してでも彼女に便宜を図ってもらおうと考えていた。だけど急に、巻き込みたくない気持ちが上回っていて、自制しようと内心に言い聞かせる。
「じゃあさ、私が代わりに推理を述べれば良いんじゃない?」
「えっ……」
閑谷の宣言が一瞬だけ不可解に聴こえる。
正確には空耳のような意味合いだ。
しかし間違いなく、彼女はオレの思考の代弁をすると言い放った。
「なにかこう言って欲しいとかないかな? なるべくなぞってみるからさ」
「えっと……いい、のか? いやだってこのあと予定とか、撮影の見学とか——」
「——そんなことより、今は同級生のピンチを脱する方が優先だよ。それに私には心強い味方がいてくれるしね?」
「み、味方?」
「うんっ。特にさっき言ってくれた身元に関してなら、スペシャリストの人」
すると閑谷はポケットからスマホを取り出して、どうやら誰かにメッセージを送信したみたいだ。いやというか本当にオレの予想……彼女風に例えるなら推理を、代わりに披露するつもりなのだろうか。
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