第36話 理知と鮮やかさを結い加える④

 いつぞやの散乱しているチラシを踏み付けないように、オレは電柱近くに立つ。まだ目の前に閑谷が居ることが信じられない。


「はいっ。早速だけど質問いいかな?」

「……どうぞ」


 おずおずと閑谷は手を挙げてそう言う。

 別に挙手制じゃないんだけど、否定する理由も特にないから頷く。


「私のこと、分かる?」

「同じ高校の同じクラスメートっていうのは、一応。名前はあやふやだけど」


 ナチュラルに嘘を吐いて答える。いや他のクラスメートに対してなら、事実そんなものだった。だからちゃんと知っている閑谷にも平等な応対をしたけど、これだと物覚えの悪いヤツにならないかと少し後悔する。


 しかし閑谷は、やっぱりそうかと妙に納得するかように何度も頷くと、挙手した左手を鎖骨のある付近に当てる。


「そうだね。まだ入学してから一ヶ月も経ってないもんね。同じクラスの閑谷です」

「うん……」

「それで、どうしてここに居るの?」

「ここが地元だから、としか」


 オレがそう返答すると、閑谷はやや大袈裟に双眸を見開き、僅かに口元を綻ばせる。


「嘘っ、私もここら辺に住んでるだよっ! すごい偶然だね」

「……そうなんだ。でも、同じ中学じゃないよな? もしかして隣の中学を選んでいたとか?」

「えっ? ……ああまあ、隣というかなんというか——」


 偏に隣とはいえど、オレが通っていた中学校以外でここを地元と言う人はいない。もちろん学区外を敢えて選択していた場合もあるが、この言葉の濁し方は話題に挙げた以外の中学校に通っていたみたいだ。


 それはオレもつい最近経験した入学方法。

 ただ中学の場合だと、あまり自分から言い出しづらいのは察しが付く。きっと高飛車に映る危惧があるんだろう。


「——ああ、私立中学に通ってたのか?」

「……まあね、小学校卒業と同時にこっちへ引っ越すことに決まってね。でも友達も誰もいないし、折角だから中学受験でもしてみようかって流れになって、そこに通ってた」

「へー……中学で受験とか全く考えてなかったわ」

「いやいやそんな大したことじゃないし、親から試してだけみようかみたいな……だから私の意志でもないし、タイミングが合っただけだよ」

「ふ……そう——」


 両手を振って謙遜する閑谷は、近寄るのも憚られる雰囲気が霧散して、どこか茶目っ気のような愛らしさを重ねる。どんなに気になった相手でも、所詮は閑谷も同じ高校生。まだどこかしらで幼さを残すみたいだ。


「——それで、なんで制服を着てるんだ? 今日って休みのはずだよな?」

「ああ、えっとね……校外学習の班長会議。ほんとは昨日の放課後の予定だったけど先生の都合で今日へ振り替えになったんだよ。しばらく学校もないし代替日が無くてね」

「大変だな」

「ううん、そんなことないよ。そっちこそなにしてたの?」

「その校外学習の備品を、あのショッピングモールで買い揃えようとしてた」


 そう言いながらオレは、徐にショッピングモールが建設されている方角を指差す。閑谷もここが地元なら知ってるとは思うが、念のためにだ。余計なお世話かもしれないけど。


「えぇっ!? それなら私と同じところに行こうとしてたんだっ、また偶然だねー」

「そっちも校外学習に必要なものを買いに来た訳か?」

「うーん。間違ってはないけど、もう一つ理由があってね……いまから私が言うこと、口外しないって約束出来る?」

「た、多分……」


 閑谷のおかげで一時的に免れているけど、現状トラブルの只中にいるわけで、誰かに秘密を言いふらす余裕はあまりない自負がある。というかどうしてこんな世間話をしているんだろうか。確かに偶然とはいえ出来過ぎな逢い方ではあるが、いずれにせよ今じゃない。


「実はね。あのショッピングモールで映画の撮影を行なっているって噂があるんだ。しかもあの北見 莉瀬が来るんだってさ」

「北見……ああ、アイドルの?」

「そうっ! トップアイドルがこの街に足を運ぶことなんてそうそうないよ。だからあわよくば拝見したいなーって思って。もちろん撮影の邪魔はしないし、私はひょっこり遠くから見るだけに徹するよ」

「う、うん」


 閑谷が見たがっている北見 莉瀬は、有名アイドルグループの一期生にして、幾年に渡り主力メンバーの地位に就いている長閑そうな女性だ。ライブやファンサービスはもちろんのこと、アーティストや役者業にバラエティー、モデルにラジオパーソナリティーなどの多方面での活躍が見受けられる。あとは地元である北海道の企業による牛乳のCMに、ほぼ家庭菜園専用のブログがプチブレイクを果たすなど、老若男女問わず人気があるアイドル。そんな人物が時化しけるこの街に来るというのは確かに、住民に周知されでもしたら色々と混乱が巻き起こると思う。


 どうして閑谷が極秘だったであろう撮影の情報を掴んでいるのかはさておき、買い物ついでに現場を見掛けたら、そこまで芸能人に関心がないオレでも間違いなく立ち止まるくらいの知名度を有している。


 現在進行形の憂いがなければ、もっと驚愕していたに違いない。


「えっと……どうかな?」

「どうかなって?」


 突拍子もない、具体的な内容もなにもない問い掛けを、閑谷は僅かに首を傾けながら、オレに訊く。


「ちょっと、落ち着けたかなって」

「落ち着けた……?」

「うん。だってずっと何かを恐れてるような表情をしてたから。あそこにいるおばあちゃんとお兄さんの話を直接始めるより、少し時間を置いたほうが良いかなって思ったから」

「……っ」


 閑谷に指摘されるまで全然気が付かなかった。いや寧ろ、自分のことだからこそ無意識に取り繕ってしまって有耶無耶しようとしたのかもしれない。

 畏怖の念が全くなかったと言えば嘘になる。こんな理不尽なトラブルなんて滅多にないから、オレだって不安にもなる。


「……それでこんなに話が脱線したのか」

「もー、そんな言い方しなくてもいいじゃん。でも、ちゃんと自己紹介もしたかったし、楽しいお話も出来たし、いっか」

「いや……まあその、ありがと……」

「ふふっ。うん、良い顔になったね」


 両手をスカートの前で組み、満面の笑みでオレの復調を喜んでくれている。もうこんなの、例え騙されるな、かどわかされるなと勧告されていても、引っ掛かる自信がある。

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