第35話 理知と鮮やかさを結い加える③

 まばらに往来していた人たちや店先で宣伝する店員さんも、老婆と男性に絡まれているオレに段々と気付き始めた。けれど誰もそこに介入しようとはしない。もしかすると年齢的に、思春期ぐらいの孫が反抗しているだけの親子三代の日常に見えたのかもしれないが、事態はそんな悠長なものじゃない。


 見ず知らずの他人に呼び止められ、剰え言われの無い因縁を付けられ、恐らくはどこか人気のない場所への移動を強制されかけている。既に現在肩を掴まれて身動きを限定されていて、いっそ振り払って逃げてもいいけど、衆目でこれ以上の不審な行動は慎みたい。


 というかここから走り去るとあらぬ誤解を吹聴されかねないし、どうにも世間というのは無闇に逃げる行為を是としない人たちが多数派だ。こうなれば不審者はどちらなのか、言わずもがなオレだろう。


 だれどよしんば、このまま従ってしまうとそれこそオレ自身に何が起きるのか分からない。二人だけじゃ飽き足らず、どこかに共同している人物だって控えているかもしれない。そうなると多勢に無勢、お金を取られるだけで済めば良いが、理不尽に暴力を振るわれたり、最悪陵辱される場合すら想定出来る。


 この二人の諸悪は大方分かっているし、関係性もなんとなく判明している。対抗する術もない訳じゃない……だけど、困ったことにそれは、オレが自ら行うと惨めな弁解にしかならず説得力がない。つまり無意味だ。


 せめてたまたま親や地元で仲の良い人物が通りかかってくれでもしたら丸く収められるが、望みは薄い。両親は自宅で休日を堪能しているだろうし、オレに仲の良い友達なんかいない。ましてや喧嘩の仲裁を買って出るような正義感に溢れたヤツは尚更いない。


 人間関係。ひいてはコミュニケーション能力なんてものは大抵が運でしかなく、それをカジノのルーレットのように毎日繰り返し回す。幸運なら影響力のある人物と学校や社会を円滑に過ごせたり、素敵な相手と結ばれることだってあると思う。ただ悪運ならこの通り、いきなり恫喝紛いなことをされたり、最悪社会的精神的、生命的に殺されることだってある。とかくに理不尽極まりない。


 だからオレは他人を嫌うんだろう。

 人情なんて、なんの信用にも値しない。


「あれもしかして……あーやっぱりっ、こんなところでどうしたの?」


すると絶賛トラブルの渦中に澄んだ声色が横入りしてくる。誰か待ち合わせをしている人が居たのか、気付かなかったなと、オレは声がする方向を流し見る。いや、流し見てしまったと言うべきかもしれない。


「え……な、なんでこんなところに……」

「ふふっ、それはこっちのセリフだよ。もうびっくりした……こちらはお知り合い?」

「あー……いや、ちょっと道を尋ねられたような感じ……だと思わなくもない」


 横髪の編み込みが涼風に靡く。こうして距離が近しいと意外と身長に差がないんだと彼女の姿を捉える。見知った制服……というかオレが通う探波第三高校の女制服を着て、長くゆったりしたショルダー紐が似合う水色のリュック、噂に違わぬ高校生離れした美貌に、やはり凛々とした芍薬しゃくやくのような立ち姿。


 閑谷 鮮加。どうして彼女がオレの地元の街並みに居るのか。休日なのに制服を着用しているのか。そしてなんで、触らなければ祟られることはないこの場でわざわざ話なんて掛けてきたのか、オレには理解出来ない。


「んーどういうことなのそれ? お知り合いではないってことであってる?」

「まあな」

「へー……じゃあ、おばあちゃんお兄さんごめんなさい。この人に少し用事があるのでお借りしてもよろしいでしょうか?」

「な、なにを言っとるかっ! そんな——」

「——ええ、ちょっとだけですよ?」


 閑谷の物言いに憤慨する老婆を後ろに引っ込めるように前に立つ男性が、オレの肩から手を離し、少しだけならと平手を差し出す。


「ありがとうございます、じゃあそこで話そうかな?」

「……ああ」


 軽く会釈してのちオレと閑谷は、手短かつ老婆と男性の視界内にある八百屋と電柱の隙間へと赴く。いや隙間とはいうが、ここは例えば自転車を停車させて地図アプリを開いて確認可能なくらいの広さだ。お互いにとって適切なテリトリーは主張し合え、内緒話や簡単な暇つぶしにはちょっと良いスペース。


 迷わず閑谷はそこを指定した。

 おもいのほか、機転が効く子なんだと思う。

 そして把握しているのかいないのか分からないが、これはオレに救いの手を伸ばしてくれたのと同義だ。合法的にあの二人から離れない限り、オレはあの場所で詰んでいた。

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