第26話 白々とした花弁に雨雫が伝う㉓
白砂 朱里がグランプリを受賞したオーディションでの噂は、ファンでしかない閑谷でさえも知り得たものだ。当事者の一人である里野さんの耳に届いていないと考える方が都合が良いといえる。
「退院してからはしばらく安静期間を設けていてね、あんまり家から外出することがなかったんだけど、そんなときに新会社の雫井プロダクションから面接の電話が来たの。最初は求人募集経由かなって思ったけど、朱里の話的に雫井さんからの温情だったみたいだね……当時はそこまで気が回らなかったけど。ちょうど仕事も何も無くなっていた時期だから余裕もあったし調べてみるとさ、そこがまさか新しい芸能事務所で、朱里のマネージャーをしていた人って見たときは流石に言葉を失ったよ。なんだろうな……こんなことあるんだって。そのあと退院後のリハビリも兼ねて遥々東京まで赴いて、面接を受けて、雫井さんからスタッフとして雇って貰った。裏方とはいえ一度諦めた世界だから悩んだけど、交通費とか休暇日とか労働環境の待遇がすごく良くてね。あと、社会は過労で倒れたりとか……なんらかのドロップアウトを経験した人には厳しいって聴いたことがあったから、色々と心配かけた家族に、良い報告が出来るなって……」
その経緯を白砂 朱里の言葉と合わせて考察するなら、オーディションの段階で高評価をしていた雫井さんが、里野さんが入院したことと新会社を同時期に設立したことを契機に、どんな形式であれ彼女を潰したくなかったという思惑が重い腰を上げ、裏方としての雇用に踏み切ったのではないだろうか。
もちろんこれはあくまで仮説に過ぎない。けれど電話を掛けたタイミング的にも調査を行っていたのは恐らく本当で、わざわざ連絡にまで取り付けるとなると、雫井さんはオレが想定する以上にオーディション時から里野さんを気にかけていたらしい。
「それ、去年くらいよね?」
「うん……あれ? なんで朱里が知ってるの? 私が現場に入ったのって、それからかなり後のはずだけど……」
「……由紀子さんが話してくれたからね」
「そう……——」
どこかぼやかしたような口調だったのが違和感だったけど、里野さんの話を阻害するのはよくない。言葉を飲み込んでおこう。
「——それである日。雫井さんの会社で働いてるときに、それとなく朱里のマネージャーをしてた話を聴いてね。流れでオーディションのことにも触れて……噂話のことは、元々知ってはいたよ。でも、きっと芸能界に対する妬み嫉みがそういう根の葉もない僻みを生んでるんだと……」
「……っ」
白砂 朱里が何が喋ろうとしたけど、窮して押し黙る。どんな言葉を投げ掛けたとしても里野さんを和ませられないと理解しながら、最後まで迷った末の動作みたいだ。だってその噂話は、既に事実だと当人が認めてしまっているから、弁明も何もない。
「だけど念のため、それが本当か嘘か訊ねてみたんだ。そしたら雫井さんはなんて答えたと思う?」
「えっ?」
「……多分。二人が感じたことが正解だよ」
そう言いながら里野さんは、オレと閑谷が横並ぶ方向を見る。閑谷がいつの間にか移動していることに驚く暇もなく、関係者として全容を知る雫井さんがなんと答えたか……いやなんと答えるしかないのか、察する。
「……オレが雫井さんの立場なら、何にも答えられないと思います」
「うん、そうだね。雫井さんは私と朱里に気を遣って何も答えなかった、とても正直な人なんだなと思ったけど……嘘でも違うと言って欲しかった——」
きっとそれは里野さんが望んだ返答であり、一番当惑する答えでもあったはずだ。
「——常に人間が平等に評価されることはないのは分かる、私よりも若い朱里が優遇されるのも当然だと思う……なのに最初から全部決まってたなんておかしいじゃない? 私や他の子は数合わせだったの? ……朱里はその提案を聴いて、何とも思わなかったの?」
もう今更、どうすることも出来ない結果だということ分かっているだろう。だけど漠然と巡る不可解の内幕が、白砂 朱里を図らずも責め立ててしまう。当の彼女は、未だ僅かに俯いただけだ。
「なんて……中学生だった朱里にその選択を非難するのは間違ってるね、ごめん」
「……謝らないで桜子、貴女は何も悪くない。私があのときにちゃんと断っておけば良かった。どうすればいいのか分からなくて、曖昧な返事だけして、先にSNSで名称は伏せたけどオーディションを受けることを事前告知したから引くに引けなくなってた。正直、他の子のことを考える余裕がなかった……」
確かに子役の経験があって、SNSでも有名だったらしいからといって、当時の白砂 朱里はまだ中学生だ。ある意味で大人というか、事務所の思惑に巻き込まれた被害者でもあるのかもしれない。
里野さんだってそれを理解しているはずだ。だけど不公平に対するやるせない気持ちのやり場に困り、オーディション後に両親の離婚、大学の退学、過労で倒れた自らの人生すら、そんな平等性に欠ける結果の延長に捉えてしまってならなくて、白砂 朱里を恨むしか無くなっていたんじゃないだろうか。
ただ所詮、これはオレの推測に過ぎない。
里野さんの気持ちまで推し測れない。
「……そっか、うん。それでもごめんなさい朱里。私のやったことは全部、朱里と閑谷さんと吉永君に任せるよ。警察や事務所に突き出すのが正しいと思うし、黙認してくれるならそれはそれでいい……どちらにせよ私は朱里から離れることになるからね……」
「えっ——」
「——貴女の築いてきたモデルとしてのキャリアを、私なんかがこれ以上傷付ける訳にはいかないから」
「そんなことっ——」
里野さんは財布を机に置くと、雫井プロダクションの吊り下げ名札も一緒に添える。それが何を表しているか、ここに居る三人にも暗に伝わる。
例え訴えたところで立証のしようも価値もないから捕まるようなことはないだろうけど、二人が離別することこそが最良の決断だと里野さんは言いたいらしい。
二人の関係を丸く収めるなら、それが一番だとオレも思う、けど——
「——ダメですっ、待ってくださいっ!」
突如として横槍が入る。
このなんとも言えない悲痛な瞬間に。
それはオレの隣からする透き通った声。
あろうことか誰もが躊躇する場面で待ったを掛けたのは、閑谷だった。
「里野さん、朱里さん、まずお二人はお互いになにを願うのか、言い合いませんか? こんな簡単に凌ぎを削ったライバルを失うのは、辛いと思います……」
それは、その提案は本人が意図した訳ではないにしろ、白砂 朱里が里野さんの為に行った論点のすり替えと類似する内容。
簡単に説明するならこうだ。
二人がより怨念を重ねる前に離れようとする会話じゃなくて、お互いがこれからどんな存在で有り続けて欲しいかの本音を引き出し合うための会話をしようと提案している。
タレントとはいえ閑谷は誰かの罪を追及しようとする探偵ではない。だけど被害者と加害者という概念を差し置いて、争った人たちが納得して喜び合える解決を探す、どうしようもなく欠点だらけの心優しい探偵
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