第25話 白々とした花弁に雨雫が伝う㉒
二人の繋がりは、オーディションでのお互いの結果に対する疑念から約五年が過ぎた現在でも幸か不幸か継続している。
この
そして里野さんも噂で裏事情を知り、公正な評価が為されないまま落選したと理解し、ずっと腑に落ちなかっただろう。結果としてモデルになれず、事務所への所属も叶わなかった。そんな積年の恨みが突き動かしてしまったこと。白砂 朱里と里野さん、二人の長年痞えた感情が奇しくも重なる。この布石は、とうの昔に打たれていた。
「……ごめんなさい。本当なら私が早く公表していれば、桜子がこんなに思い悩ませることはなかったはずなのに……——」
白砂 朱里は吐露する。
咽びそうになる何かを隠しながら。
「——私の地位が危ぶまれるのが、怖かった。応援して、期待してくれるみんなの羨望を裏切れなかった……当時はまだ子どもで、事の重大さを全く理解してなかった……いえ、ごめんなさい、全部言い訳にしかならないわ」
「ううん。朱里は例え事実でも隠し通すべきだよ、これまでもこれからもね——」
白砂 朱里やっとの思いで絞り出した謝罪を、里野さんは受け取らない。モデルとしての彼女を守ろうとしたのか、もう時効だと諦めてしまったのか、オレには一生判別がつかないと思う。
「——だって……今の貴女にはたくさんのライバルやファンがいる、短い間だけどスタッフとしてそれを見てきたつもりだよ……謝るのは寧ろ私の方……ごめん。でも、どうして庇ってくれようとしたの?」
里野さんの言い分には同感だ。財布を盗ったことと、もしかするとセッティングを手伝っていた経緯からあくまで疑惑の話だ。だからはりぼての背景を傷つけ倒した原因まで作ったかもしれない彼女を、完全なる被害者であった白砂 朱里が匿おうとした理屈はどうにも追えそうにない。
確かに後ろめたい過去はあっただろうが、直接危害を加えた人物を逃れさせようとするなんて、シンプルに考えると有り得ない。けれど他者の感傷の度合いなんて分からないし、一概にはいかないだろう。
そのままオレは静観する。ここからはもう、二人どのように因縁を解消するか否かに掛かっている。
「桜子が……オーディションの後に何があったか、私少し知ってるから……」
「……わざわざ調べたの?」
「うん。当時は由紀子さんがマネージャーだったから、桜子のことを密かに調査してるのをたまに聴いただけではあるけどね……由紀子さんは貴女のことを高く評価していたし、今だから言えるけど所属契約の進言もしてたんだよ」
「そう、なんだ……」
会話を聴く限り、それはまだ雫井さんがアマガミエンターテインメントのマネージャーの頃、つまりは雫井プロダクションが創設される前の出来事。
「えっと……朱里さん、里野さん? 私と吉永はいない方がいいんじゃないですかね?」
「いえ、閑谷さんと吉永君にも居てもらって大丈夫だよ」
「桜子が良いなら、私も問題ないわ」
遠慮がちに閑谷が二人だけの空間を察して引き下がろうとしたけど、思い掛けず許しが出て、オレに確認の一瞥を送る。白砂 朱里と里野さんが良いと言うなら無理に立ち去らなくてもいいと考えてオレは頷き、閑谷と共に留まることを決断する。
オレと閑谷は邪魔しないように押し黙る。
二人の過去が深掘られていく。
「桜子……貴女。あのあと家族が離婚して、学校も自主退学して、バイトや面接に奔走し過ぎたせいで、過労でしばらく入院したと聴いているわ」
「……うん、全部本当。何年も前に両親の婚姻関係は破綻していたから驚きはなかったけど、家計は常に火の車だった。私には下に兄弟が居るし、大学はどのみち辞めないと、とは思ってた。グランプリの賞金があれば辞めなくて済んだだろうけど、そんなのは結果論だからね……そもそもお金のためだけじゃなかった、子どもの頃から洋服や化粧品売り場を眺めるのが好きで、ポスターや雑誌の表紙で煌めくモデルさんが好きだった。だから二十歳なんて遅いけど、規定ギリギリだけど、無理を言ってアマガミのオーディションを受けたの。最初で最後の覚悟で、私の持ってる知識も技術も全部出し切るつもりで……白砂 朱里という、SNSで時々視聴してた、大人顔負けの美容術と美貌を伏せ持つ、若い子がいると分かった上でね——」
相対する二人。とりわけ白砂 朱里が目を丸くしているのは、元々里野さんに認識されていたことを知らなかったからだろう。
そして皮肉にもその中学生の知名度が、事務所との裏工作に繋がっていると、当時二十歳の根室 桜子は知らずに。
「——私が朱里に負けたことには、納得してた。注目度や年齢的にも同じレベルじゃダメだから、最後の票数の内訳で私にも入っていたことだけが希望だったかな……そのあとは朱里の言ってた通り、離婚して里野姓になり、大学を辞めて、バイトの掛け持ちと面接をほぼ毎日続けていたせいで倒れて、入院することになって、余計に迷惑を掛けた。ベッドで目覚めたときはびっくりしたよ……だって私、今日は大丈夫そうだなって思いながら意識を失ったからね。多分感覚が麻痺してたんだと思う、家で倒れたのが幸いだったよ。それでも、私は朱里の活躍を応援してた。この娘と同じオーディションの最終候補まで登り詰めたんだって、誇らしささえあった。病院のベッドで、朱里が専属を務めてる雑誌を読んで、改めてそう思っていたよ」
里野さんが潤んだ瞳で微笑する。そう思うでも思っているでもなく思っていた、と過去形なことが、彼女の白砂 朱里に対する憂いの始まりだったんじゃないだろうか。
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