第27話 白々とした花弁に雨雫が伝う㉔

 もし今回の一件に本物の私立探偵の手腕が唸っていれば、里野さんにそれは窃盗の罪に該当するかもしれないと徹底的に糾弾し証拠を洗っただろう。匿おうとした白砂 朱里の精神が摩耗しても気にせず詰問もしただろう。そのくせきっと几帳面に動機や経緯まで聴く耳もなく、当事者の将来なんて気にもせず、ただ衆目の名声だけを勝ち取ることを繰り返す。


 薄情ではあるかもしれないけど、他者からの視点なら無為に巻き込まれないかと胸騒ぎを掻き立てつつ傍観するうちに、論争が鎮静化してくれているのだから、そんな探偵を英雄視するのも仕方ない。


 それはいわゆるデフォルトというか、そんな二十世紀前後くらいの探偵像を現代に持ち込む必要もないし、というよりはもうフィクションの中だけで、警察が心から信頼を寄せる探偵なんていなくなったんだと思う。


 簡潔に言えば流行りじゃないということだろうか……まあオレはミステリー作品は付け焼き刃で疎いから、偏見だらけのイメージでしかないかもだけど。


「流石は現代の名探偵、私のやろうとした全部を暴いてくるなんて思わなかった」

「揶揄うのはやめて下さいよ。それにタレントとはいえ探偵役はオレじゃなくて閑谷です、称讃なら彼女にお願いします」

「貴方がそういうならいいけどね。私の役者としての才能の無さが露呈しただけかもしれないし……いやまあ、なんでもいいか。今回のこと、鮮加には後で桜子とのことを感謝しないとだからね」

「閑谷は……ああいうやつですよ」


 閑谷の控え室。何も置かれていないテーブルと座席付近に屹立したままオレは、探し当てたらしい雫井さんが合流し、開かれた扉の前で閑谷と里野さんという雫井プロダクションの関係者三人で会話している姿を眺めつつ、部屋の片隅で着席する白砂 朱里と小声で他愛のない雑談を交わしていた。


 大方の推論を終え、白砂 朱里と里野さん、お互いの工作の動機が露わになった後、主に閑谷が仲介する形で危うく離別しようとしていた二人のすれ違いを取り持つ。


 里野さんの言い分は、これ以上白砂 朱里と関わるのは足枷にしかならないと、関連会社の雫井プロダクションのスタッフを辞めることを示唆した。対して白砂 朱里は——


「——……雫井プロダクションを新設するってときにね、由紀子さんに無理を言ってどんな形でも良い、桜子を採って欲しいってお願いしたから。由紀子さんも桜子の芸能人としての才覚を感じ取っていたみたいだし、そこは私とも意見が一致したし、スタッフからだとしてもモデルのチャンスを得られると思った……本来なら桜子がグランプリを受賞して、アマガミエンターテインメントに所属していてもおかしくなかった……私がもっと早く言っていれば、五年も苦渋を舐めることもなかったのかもしれないのにね……」

「……それを悔やんでも仕方ない、って言いたいですけど、里野さんの苦労を知っていると難しいですね」


 もしもの話をするのは良くないのかもしれない。けれど白砂 朱里の証言からオーディション結果が覆るとしたら里野さん……当時の根室 桜子以外に有り得ないらしい。


 不利な状況ですら票を取れたのなら、裏取引が無ければ勝ち越していたのではないか、二人がそんな風に考えてしまうのも自然のように思う。


「ええ……だから、桜子が雫井プロダクションを去ることを私は望んでいなかった。それが鮮加のおかげでちゃんと気持ちが伝えられて、届いたみたいで嬉しい。それと……貴方にだけ言うけどね、元々由紀子さんには桜子を採用することを渋られていたんだよね」

「……それはどうしてか訊いても——」

「——私の身が危ないから。ネット上の一部だけど出来レースの噂はあったし、事実でもあるし、桜子が私のことを恨んでいても不思議じゃないって」

「……だとしても、お願いしたと?」


 オレがそう訊ねると、白砂 朱里はゆっくりと思い想いに首肯する。


「最悪……刃物で刺されるくらいは覚悟してた。それでも私は、桜子を潰してしまった責任を取らないといけないし、もちろん同情だけじゃない。初めてこんな人になれたらと感じた人だから、私の人生に桜子が必要だと思ったの」

「憧れ……ってやつですかね?」


 オレの問いに白砂 朱里は微笑する。

 ちょっと照れている、あどけない表情で。


「うん、そうかも。もしかしたら吉永君が鮮加に対する感情と同じだろうね」

「いや、それは違う気がします」


 即座に否定すると白砂 朱里はまた笑う。

 患部である足首を摩りながら、どこか安堵したように。


「ふふ……まあいいわ。このくらいの怪我で済んで、今回の一件も全部偶然で終わらせてくれるみたいだし、桜子は雫井プロダクションに残る決断をしてくれた……過去のことも和解とまではいかなくても、清算は出来なくても、久々に同じステージに立てた気がする……あっ、美晴には悪いことしちゃったから謝らないとね」

「……はい」


 事前にオレは、閑谷が二人の本音を取り持ち、自ら辞めていこうとする里野さんを説得を試みている間に、現在のアマガミエンターテインメントのオーディション条項を調べてみた。


 その現在の規約では二十歳から二十二歳に引き上げられ、グランプリとは別に審査員特別賞、通称さくらあめしょうが三年前から設けられた。その双方の変化の恩恵で初めて二十代での受賞を果たすことになった人物が、当時二十一歳の泉田さんだ。


 残念ながら里野さんの年齢には間に合わなかったけど、小さな改革が新たな才能の発掘場になったことには違いない。


「そういえばだけど……」

「な、なんですか?」

「貴方……どうして私のことをフルネームで呼ぶの?」

「……あれ? そうでしたか?」


 あんまり意識していなかったけど、確かにずっとそう呼称した気がする。いやそれよりも、そんな下らない話を出来るくらい彼女の胸の内が穏やかになったんだと思うと、何故だか俺も落ち着く。


「そうよ。さっきまで桜子のことで手一杯だったけど、冷静に考えたら凄く不自然だよねそれ、改めてくれないかしら?」

「えっと、ならなんて呼べば……白す——」


 オレが苗字を告げようとすると彼女は遮り、誰かの真似をしたみたいに微笑む。恐らくだけどそれは、その誰かが二十歳だった頃と同様のやり方だったんだと感じる。


「朱里で良いよ。苗字呼びはこの対等の立場では相応しくないから、ね?」

「気持ちは嬉しいですが……閑谷に倣って、さん付けで勘弁してくれませんかね?」

「ふーん、鮮加と一緒ねぇ……」

「……別に他意はありませんよ。しゅ、朱里さん?」


 女の人を含め、あまり他人を下の名前で呼ばないからなるべく丁寧に言ってみた、つもりが……思いっきり噛んだ。慎重に扱おうとすると余計に緊張し、空回ってしまう。


「うん。しゅ朱里、じゃないけどね。ちなみに私の名前は芸名っぽいけど本名だから、プライベートで遭遇しても余計な配慮をしなくても良いわ」

「あ、そっかそういうのもあるか……」

「アマガミエンターテインメントと雫井プロダクションの子は大体本名みたいだけどね。それで吉永君のことは結理、でいいのかな?」

「……朱里さんにお任せします」

「うん。あとは確認してからかなー」


 何を確認するのかとオレが訊ねる前に、白砂 朱里……朱里さんは両手を伸ばす。座りっぱなしで少し退屈な身体を休ませようとしたのかもしれない。


 インタビュー場で見掛けたときから疑問に思っていたけど、やはりモデルとしてのプロ意識か、普段はあまり椅子を利用する習慣が無いらしい。


「……そうだ。謝らないとだ」

「謝る? オレにですか?」

「最初に言ったこと憶えてる? 鮮加の邪魔をするなとか、お前は何者だみたいな?」

「ああ、ありましたね。別の詰め寄られ方をされたせいで忘れてましたよ」

「……そっちもごめんね。でも、鮮加のそばにいる理由は分かったよ——」


 そう言うと朱里さんはオレの右袖を摘む。なんかなとそちらへ視線を向けると、フレームに入れていないのがもったいないくらいの自然体の美笑を浮かべた表情とかち合う。


「——流行りのタレント探偵は、閑谷 鮮加と吉永 結理、二人で一つなんだね」

「……」


 核心を突いた一言に、オレは閑谷のために認める訳にもいかず、曖昧な態度を取ったと思う。ただ元より朱里さんは返答なんて期待していない様子で詮索はしないと首を振る。


「吉永、朱里さん。いま大丈夫ですか?」

「おかえり鮮加、由紀子さんとの要件は済んだ?」

「はいっ。今回の一件は当事者同士、朱里さんと里野さんに一任するらしいです。あとは……二人だけで話たいことがあるらしいので、私たちは少し待っていましょう」

「……そうね、ようやくだからね」


 今の朱里さんの発言を精査すると……いやそれはオレの役目じゃないと思う。それにいつか日の目を見ることになるのだから、楽しみに黙っておくのが賢明だ。


 閑谷は別部屋へと移動していく雫井さんと里野さんを目元を細めながら流し見ている。探偵姿をした彼女の凛々しい輪郭、慣性の法則で揺れる横髪を束ねた編み込み、際立つ鼻筋の真下にある口角が上がっている。


 どこか秀麗さを醸し出す閑谷の体裁。

 オレは悟られないように、視線を外す。

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