第5話 白々とした花弁に雨雫が伝う②
最後に『マジョカルギュッと』詰め合わせセットを閑谷が愛想を浮かべながら丁重に受け取る。オレを含めた全員のスタッフが同じモノを脇に抱え、撮影無事終了を告げる喝采がビル五階、最奥の部屋にこだまする。
「ありがとうございますっ! もう大変、私のせいで苦労をお掛けしてすみませんっ」
閑谷が深々と頭を下げると、たちまち十人十色の笑いに包まれ、非常に和やかな雰囲気のまま御開きとなる。
オレと小声で話し合い始めてすぐ、閑谷は雫井さんに呼ばれ、関係者各所の挨拶回りに奔走していた。
取り残されたオレは何もすることがなく、たまに閑谷の動向を感慨も無く視線で追うだけ。一回『マジョカルギュッと』を配っている部下の方に声を掛けられ、
「吉永君。こんなところに居たのね?」
「ああ雫井さん、お疲れ様です」
「その言葉は鮮加にだけでいいわ。私はマネージャーとして当然の責務をこなしたに過ぎないのだからね」
「……そうですか」
それが雫井さんなりのプロ意識だろう。
マネージャーとして、社長としてタレントを立てる。お手本になるような思考だ。
「さて、時間がかなり余ってしまったわね。鮮加の送迎をして、事務所内のタスクマネジメントでも済まそうかしら? 吉永君もついでだから送るわ」
雫井さんが腕時計を確認しながら言う。
いかにも社会人といった体裁だ。
「いやオレ、雫井プロダクションの人間じゃないんですけど……——」
オレが謙遜すると、雫井さんは袖を戻しつつ、何故か飽きれたように息を吐く。
流し目で映る閑谷はスポンサー企業の方と監督さんとの挨拶を終えたらしく、受け取った洗剤セットを折り畳みチェアに乗せたショルダーバッグに入れる。そして夏日にも迫る熱量と外気には装いとして適応しないトレードマークであるトレンチコートとハンチング帽を脱ぎ、そのトレンチコートを丁寧に畳むのに苦労中の様子だ。
「——なら、その首掛けはなんなのかしらね? それは雫井プロダクションの関係者にしか渡していないモノよ」
「これは、閑谷の働き掛けで——」
オレは思わず首掛けの名札を摘む。三日くらい前、閑谷と共に雫井プロダクションへと呼び出され手渡されたそのプレートを。
「——確かに吉永君、貴方の立場はかなり面倒だとは思うわ。でもね、私が見込んだ鮮加が吉永君を必要としてる、タレントのケアマネジメントも私の務めよ」
「……どうなんですかね? 正直オレ個人としてはつまらない高校生の一人に過ぎないと思ってますか——」
「——由紀子さん、お待たせしました。吉永と何を話していたんですかー?」
オレがオレを卑下しようとしたタイミングで、ショルダーバッグを左肩に掛け、高校の制服姿にマイナーチェンジした閑谷が双眸を
制服のせいかトレンチコート姿よりも僅かに幼くなったかもだけど、仄かに彩られた化粧の色香は褪せない。そもそも探偵モノのコスプレのような格好を平然と着こなした時点で、閑谷素体の適応力は並外れている。
元々同年代にしては大人びた容貌と体躯をしている。系統でいえば美人と可愛いの中間で、身長も百六十センチ以上有る。それこそ、まだ高校一年生の十六歳なのかと甚だ疑問に思うくらいだ。だからなんというか、こうして閑谷が高校の制服姿になるとようやく閑谷もオレと同じ高校生なんだなと、至極当たり前の感想を抱いてしまう。
「それがね。鮮加を家まで送るついでに吉永君もどうって訊ねたら、恥ずかしいから嫌だって……——」
「——捏造はやめてください。オレにはその資格がないし、一人でも帰られるから遠慮しただけです」
「……とまあ。こんな思春期を拗らせたような拒絶をされてしまってね」
「……中高生をなんでも、思春期なんて単語であやふやにする大人は感心しませんよ」
そんなどうでもいい鉄扉付近の舌戦をオレと雫井さんが繰り広げていると、なにやら驚いたようにオレと雫井さんを見比べあっている閑谷が立ち尽くす。
「どうした閑谷?」
「えっ? ああ、いや——」
オレと問い掛けに、閑谷は曖昧な返事をする。雫井さんも何かおかしいと感じたらしく追随する。
「——どうしたの? 何か忘れ物とか、演技に納得がいかない部分でもあったの?」
「あっ、えっとそうじゃなくてですね——」
閑谷は一呼吸挟んで続ける。
図らずも勿体ぶるようにオレには映った。
「——なんで二人とも、もう帰ることが前提なのかなーって思いまして……」
「そうね。鮮加の次のスケジュールもないし、どこかに寄り道をしたいのなら、道中で教えて貰えば良いから——」
「——そ、それじゃダメなんですっ!」
雫井さんの容量を得た答えに、すかさず閑谷は空いた左手を振りながら否定する。
オレと、恐らく雫井さんもどうしてダメなのかを知りたいと閑谷を待つ。その矮小の威圧を感受したのか、心無しか身体を収縮させながら声質の抑揚を落としつつ述べる。
「あのーそのですね……私、由紀子さんにお願いがあって、実は逢いたい人が居るんですけど……」
「逢いたい人?」
閑谷はゆっくりと頷く。
少し恐縮した赴きだ。
「はい。今隣のスタジオで撮影している……
「朱里に?」
雫井さんが名前を言いながら返す。それはまるで、マネージャーとタレントの関係である閑谷のときと同じく慣れた口調だ。
「そうです。中学生の頃からよく雑誌とかSNSとかで見ていて自分を持っている人だなーって。モデルさんですけどタレントとしての立ち振る舞いを一目見てみたいなと——」
閑谷の希望に雫井さんは押し黙る。これはオレの予測でしかないけど、閑谷とその……白砂 朱里という人を引き合わせられるのか、そして引き合わせたときの化学反応はいかほどかとシミュレートしているらしい。そんな最中。閑谷は自らの両手を合わせ、雫井さんに懇願しながら続ける。
「——雫井プロダクションと白砂さんが所属するアマガミエンターテインメントは直接の繋がりがあるし……会社を起こす前の雫井さんがマネージャーとして働いていた元勤務先でも有りますよね? なんとか便宜が図れないかなと……もちろんダメならもう仕方ないです」
「……そうね。雫井プロダクションとアマガミエンターテインメントは提携関係にあるし、この撮影所を手配して貰ったのも先方のおかげよ。実質私たちは傘下とも言えるかもしれないけどね」
自虐も込めて雫井さんが肯定すると、再び腕時計に目を向ける。
そして数秒ほど経過してオレにも閑谷にも聴こえない独り言を喋り、何回か頷く。
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