第4話 白々とした花弁に雨雫が伝う

 アームチェアに座り、テーブルの上に置いたショルダーバッグからステンレス水筒を取り出して閑谷は水分を補給をしようとする。

 分離させたカップへと注ぐそれは色合いからして恐らく麦茶だと思われる。相当喉が渇いていたのか、唇をカップのフチに付けるや否や、威勢良く飲み干してゆく。

 ついさっき繰り返して来た失敗が一体なんだったのかと問い詰めたくなるくらい、完璧に探偵キャラを演じた閑谷が普通の女の子に戻るまでの流れを垣間見た気がした。


「……はぁー、美味しい」

「お、お疲れ様?」

「ああ吉永。そうだ吉永から見て、私の演技はどうだった? 監督さんもスタッフさんもみんな褒めてくれたんだけど——」


 閑谷が褒めてくれたというのは過小評価だ。実際には先程までの噛み倒しや動きが硬直していた頃からの反動で、撮影が止まった途端に感嘆が巻き起こるぐらい演技を披露して魅せた。褒めるどころか、大絶賛だ。


「——うん、良かったと思う。あれがテレビ番組の合間や、動画サイトの広告で流れされるのが今から楽しみなくらいだ」

「あー……あはは、そう言われると嬉しいけど、なんか恥ずかしいね」

「事実を言っただけなんだが?」

「だから恥ずかしいんだってば」


 羞恥心を濁すように微笑む閑谷は、徐に撮影現場であるリビングキッチンを一瞥する。現在そこにはスタッフさんが撤収作業を行なっており、雫井さんが監督さんや遅れて到着した企業の関係者さんがなにやら談話中だ。


 三人家族役を演じていた役者さんたちは、映像を確認し、既にこの現場を離れている。元々閑谷とは別撮りで終わらせており、スケジュールが許すまで付き添う手筈だったらしいから、今頃は別現場か帰路への移動中だろう。


 スタッフさんはセットにある白皿やお玉などのキッチンに陳列された用具を回収し、数人がかりでソファーやテレビを運送する。映像の見栄えを良くする為の、竹製か木製か何か不明の骨子で作成されたらしい張りぼての窓側背景が見るも虚しく、意外にも楽々と倒されていく。敷かれたカーペットは丸められ、衣装は手中に収められている。


 そして企業関係者の部下と思しき男性が、CMでの商品である食器用洗剤の『マジョカルギュッと』詰め合わせを、関係者全員に配布しようと大包みのそばで待機している。各々の行動が、閑谷を主演に据えたCM撮影は終了したと告げている気がする。改めて眺めていると本当にここでタレントの撮影が行われていたのか不思議な、質素な光景へと移り変わっていくのが分かる。閑谷が好演したリビングキッチンのセットでは、もう無くなってしまったかのようだ。


「終わっちゃうと少し寂しいね……」

「……」


 閑谷に掛けるべき言葉が見当たらない。そこは言うならば、少し前まで閑谷の晴れ舞台だった空間だ。それが黙々と無くなっていく様をどう思うかなんて何も知らないオレが口出すのも違うし、なにより不適切だ。


「……吉永?」

「……えっ? ああ、なんだ?」

「なんか、ぼんやりしてるなって思って」

「……なんだろう。こう言う製作の裏側を見たことなかったから、新鮮……かな」

「あー……——」


 口から出任せの言い訳だ。本当は閑谷の胸の内がどんなものかと考えていたとは流石に言えない。そんな言い逃れをすると、閑谷がそういうことかと納得するみたく頷き、少し背もたれに寄りなりながら変わらずオレを仰ぐ。

 なんだかイタズラでも試みて来そうな、戯けた笑みを浮かべて。


「——じゃあもし、私がこのままタレントを続けて行ったらさ、吉永がそんな切なそうな顔、しなくなってたのかな?」

「はあ? そんな顔してねえよ」


 オレが遠巻きに違うと言うと、閑谷は何処か楽しそうにかぶりを振る。否定に対して、更なる否定で返される。


「いやいやしてたよぉー……そんなにあのセット気に入ってたの?」

「だから……閑谷の気のせいだって」

「んー本当かなー? 吉永って私じゃ及ばない感性を持ってるからねー」

「……というか一つ言っていいか?」

「えっ? うん、どうぞ? 私に断りを入れなくても別にいいけど——」


 水分補給を終え、分離していたカップをまた水筒の一部に統合しようと回転させる閑谷は、刹那的にオレから視線が外れる。

 閑谷としてはオレのことを弄ったつもりなんだろうけど、逆にそもそもの前提がおかしいことには勘付いていない様子だ。

 やられたやり返すのが別に心情ではないけど、閑谷を揶揄うのは嫌いじゃない。


「——なんで閑谷が出演する現場に、オレが居ることが決まってんの?」

「ん……ああっ! いや、違うよっ——」

「——別にオレってタレントじゃないし、閑谷のマネージャーでも、衣装やメイクのスタッフとかでもないじゃん。なんなら部外者と変わらないのに、何で?」

「えっと……——」


 今更気付いたと急に当惑した表情が豊かになったり、水筒を落としそうになったりと、閑谷の焦燥がひしひしと伝わる。

 閑谷がこうなるといつもの気品すら漂う仕草が総崩れして面白い。


「——……ん?」


 すると閑谷がオレに対して手招きをする。いやこれは招いているというよりは、しゃがんで欲しいという意味らしい。

 立ち尽くす理由もないし従う。オレが閑谷と同じくらいの目線になってすぐ、スタッフさんに聴こえないくらいの小声で話し始めた。


「……一応。私の関係者だよ、吉永は」

「役職とかがある訳じゃないだろ」

「そうだっけ?」

「そうだよ」


 オレも小声で応戦する。

 なんだか密約を交わそうしているみたいで、胸が高鳴る。


「由紀子さんとの間では確か、裏方見習いとかタレント予備軍とかじゃなかった?」

「あれって、いざというときの口実——」

「——口実でもなんでも、その事実があれば吉永は、私や雫井プロダクションの関係者に変わらないよ……だから、さっきのは吉永の誤解だからね?」

「いや……はあ、もうそれでいいや」


 オレを隈なく見据えてまで、発言の語弊を解こうとする閑谷の根気に折れる。どうしてそこまで意固地になる必要があるのかとは思うけど、こう見えて意外と負けず嫌いなのが理由だろう。問い詰めるのも面倒だ。こんなに見詰められるのも苦手だし、ましてや相手が閑谷のせいか変な罪悪感も同時に襲って来て、とにかく疲れる。


 オレがこうして閑谷の現場に居合わせられるのは、雫井プロダクションと閑谷の叔父さんの職場がそれぞれ関与していて、なにより本人がオレを迎え入れたからだ。

 その中でも最大の理由は閑谷が愛称として呼ばれる、タレントであり、探偵でもあるという立場に大きく関与する。

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