第6話 白々とした花弁に雨雫が伝う③

 意気揚々と隣部屋の撮影現場へと向かう閑谷にオレは付いて行く。閑谷が雫井さんに要望を出していた、白砂 朱里の撮影見学の許可が正式に下りたからである。

 別にオレ独り帰っても良かったけど、閑谷がわざわざ逢いたがる相手に……いや、ただの退屈凌ぎだと思う。


「失礼します」

「……ます」


『白砂 朱里 撮影等』と貼られた鉄扉を、その意気込みにしてはゆっくりと開け、一礼した閑谷の後に続く。


「おぉ……」

「へー……げっ——」


 閑谷が撮影していた一室と、間取りはさほど変わり映えしなかった。違いを強いて挙げるとすれば、リビングキッチンが無く、代わりに真っ白な背景紙を掲ぐスタンドキットに、左右から照射し、用途が異なりそうなスタンドライト四台がそのままになっている。傍には二十着以上は悠々とある。衣装と思しき洋服が掛けられたハンガーラックに、装飾品用のケースが隣の台座に開かれた状態で置いてあった。スタッフも数人いるが当人の姿はないらしい。


 恐らくはここでさっきまで、白砂 朱里が撮影を行なっていた痕跡の数々だろう。まあ何はともあれ、それほど白砂 朱里に興味が無かったことに加え、オレ個人的におかしな部分というか、気まずい花園みたいな光景が眼前に飛び込んで来て絶賛閑谷に同行したことへの後悔が勝る。


「——……なあ閑谷。これ、オレが入っていいのか?」

「ああうん。お連れさまもどうぞって、本人から言われたって」

「でもなんか、女の人しか居なくない?」

「言われてみれば……——」

「——あっ閑谷さんと、吉永さんで間違いないかな? 実際にお逢いするのは、はじめてですね」


 オレと閑谷が改めて撮影スタジオを見渡そうとしたそのとき、背後から声を掛けられる。とても真摯な印象を受ける、透明度のある女性の声だと思った。

 振り返ると首筋辺りまである黒髪のヘアスタイルに青縁の眼鏡、スニーカーを履き、服装は黒一色の長袖シャツにジーンズに吊り下げ名札。


 閑谷や他のスタッフのせいであんまり目立たないけど、身体は全体的にスレンダーで、平均女性よりも身長が高いだろう。それでいてもしそんな地味な格好をしていなければ、この人はアマガミエンターテインメントか、もしくは雫井プロダクション所属のモデルさんなのかと勘違いするくらいに綺麗な女性だ。


「……あれ? 人違いだったかな?」

「いえ、私が閑谷です。そしてこちらが吉永君、白砂 朱里さんの見学をしに来ました」


 閑谷が自身とオレにそれとなく指し示す。

 とりあえず会釈をする。


「ああ、だよね。閑谷さんは宣材写真と、巷で有名な写真の両方を見ていたのですぐに分かりましたよ。でも……吉永君は名前と男の子という情報を雫井さんに教えて貰ってただけだったから自信が無くて……間違えてなくて良かった」

「……いえ、仕方のないことだと思います」


 俯き気味に淡々と返した。その人は微笑を浮かべつつ、まだ名乗っていなかったと胸骨がある辺りに右手を当てる。


「申し遅れました。私、雫井プロダクションの現場担当、里野さとのと言います。本来なら自社所属の閑谷さんの撮影に同行するはずだったのですが、アマガミエンターテインメントからの要請で本日は白砂 朱里さんの裏方を請け負っています」


 懇切丁寧な自己紹介と所属は雫井プロダクションだということ、今日は閑谷のスタッフではなく白砂 朱里に付いていたことを簡潔に述べ、三十度くらい頭を下げる。


「あっ、一月ほど前に雫井プロダクション所属のタレントとなりました閑谷です」

「はい、存じております」


 それを見て慌てて閑谷も名乗り、里野さん以上に深くお辞儀をする。張り合っているつもりはないんだろうけど、真横のオレからすればそうとしか映らない。


「……ねぇ、あれって探偵じゃない?」

「えっ……あっ、本当だタレント探偵!」


 光景を目の当たりにしていた周りのスタッフさんが、今や時の人である閑谷の存在に気が付き、あちらこちらで囃し立てている。探偵の装いではなく完全に制服姿の閑谷でも、みんなの認識は探偵みたいだ。もはや本名よりも浸透した愛称のようなものなんだろうか? オレにはちょっと分からないが。


「流石の人気ですね」

「いえいえ、そんな……——」

「——閑谷さん。写真と実物で全然変わらないし……いえ寧ろ実物の方が美人ですね。清涼感もあって、物腰も淑やか、キャラクターまで確立してる。これでまだ高校生か……人気に火が付くのも頷けます」


 冷静に閑谷の魅力を列挙する里野さんの話が進んでいくにつれ閑谷が頰を赤らめ、そんなことないと言う間もなく、口元が忙しなく開かれ否定が出来ないようだ。

 こうしている最中も、白砂 朱里の撮影スタジオは閑谷の話題で持ち切りになっている。そろそろ里野さん以外の誰かが閑谷に声を掛けそうなムードにまでなろうとした刹那、撮影スタジオに美意識が宿る。


 それは閑谷の元へとくっきりとした吊り目に、その鋭利さを中和する高い鼻筋と添えるように上がる口角。小さな輪郭をなぞるようにして下ろした栗毛のロールヘアを惜しげもなくたぶらかしながら、爪先だけ覗くヒールサンダルにパステルブルーのフレアスカート、オフホワイトのニット服にサマーカーディガンを合わせた夏から秋に掛けてのコーディネートをする、麗かな女性が颯爽と向かって来たからだ。


「貴女が閑谷 鮮加ね」

「あっ、はい……ええっ!?」


 その人物を視認した途端、閑谷は驚嘆を上げる。先程の赤面がどこにいったのかと疑問に思うくらいの表情の化け具合だ。


「……っ」

「どうしたのかな?」


 オレはそれを見て、白砂 朱里はこの人だと判断する。今に至るまで彼女を良く知らなかったけど、閑谷や里野さん、スタッフさんまでも綺麗な女性が揃っている現場で、ただ美しいだけじゃない独自の魔性を穿つ。

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