過去の真実

 細い声が、耳に響く。


 何だろう? 気になって声がした方へ向かうと、中庭に生えている背の低い木の一つがむやみに揺れているのが、見えた。……その木の陰で、小柄な人影が手足をばたつかせているのも。


 一足で、木の傍へ向かい、人影が身に着けている豪奢な着物に引っかかっていた木の枝を折り取る。暴れるのに体力を使い果たしたのか、小柄な人影――見たところ老人、いや老女のようだ――はラウドにぐったりとその身を預けた。全く、こんな曲者が隠れやすそうな木を王宮の、しかも王が執務を行う『表』の中庭に植えて手入れもしていないとは。不用心過ぎる。老女が引っかかっていた低木を一瞥してラウドは深い溜息をつき、そして自分の思考に呆れた。何故自分は、敵であるレーヴェの王宮の木のことまで心配しているのだろうか? それはともかく。


「大丈夫ですか?」


 怪我が無いか、そっと老女の様子を確かめる。人心地がついたのか、老女はラウドの腕にすがりつつも自分の足でしゃんと立ち、ラウドをじっと見詰めた。


「ありがとう」


 そのすっきりとした物言いは、誰かに似ている。誰にだろう? ラウドが首を傾げるより早く、老女は不意にラウドの腕を掴み直すと、思いもかけない人の名を呟いた。


「……ルチア? ルチアなの?」


「え」


 今は亡き母の名を唐突に呼ばれたことよりも、老女のラウドの腕を掴む強さに胸を突かれる。そして。


「どうして黙って出て行ったの! 心配したのよ!」


 老女から言われた言葉に、ラウドは意味を取り損ねて立ち尽くした。


「レーヴェがラウドに大怪我を負わせたこと、悪かったと思っているわ。でも誰にも言わずに出て行くなんて。お腹の中にもう一人子供もいたのに」


 呆然とするラウドに、老女がまくし立てる。


「それで、ラウドと、お腹の子は、元気なの?」


「あ、……はい」


 それだけ答えるのが、ラウドにはやっとだった。


「そう、良かった」


「……奥方様!」


 女性の声に、我に帰る。振り向くと、王宮でよく見るお仕着せを着た若い女性がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。助かった。老女を女性に引き渡しながら、ほっと息を吐く。「奥方様」と呼ばれた、ということは、この老女は、レーヴェの母、すなわち先代の王妃なのだろう。……母とラウドを追い出したと、ラウドが信じていた。


 先代の王妃が女性に連れられて館の中に去ってからも、ラウドは庭に立ち尽くしたままだった。先代の王妃の言葉で、分かったことは、一つだけ。母は、この都から追い出されたわけではない。おそらく、レーヴェによってラウドが大怪我を負ったので、ラウドを守る為に、母は身重の身を押し切って自らこの場所を出て行ったのだ。


「そんなこと、しなくても良かったのに」


 小さく、呟く。母と一緒に歩いた、荒涼とした寒さを思い出し、ラウドの身体は無意識に震え続けた。


 この都を出て行く時、母は何を思ったのだろうか? ふと、そんなことを思ってみる。


 そして。レーヴェが「殺した」と思っている幼い少年は、おそらくラウド自身。暖炉の傍で見た、レーヴェの暗い顔を、ラウドはまざまざと思い出した。自分は、間違った感情を抱いたまま、何をしていたのだろうか? ぽろぽろと、涙が零れる。レーヴェに対する蟠りは、ラウドの中で完全に消えていた。

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