騎士の務め その1

 次の日。


 殴られて腫れた顔に、記録片を縫い込んだ白い上着と青いマントを身に着けて、ラウドは宿舎を出た。


 古き国におけるラウドの任務は、探索。新しき国でラウドが行うべきことは分からないが、周りのことを知っておかなければ何もできない。だからラウドは何も考えずに、昨夜新しき国の騎士団長から貰った銅貨でパンとロープと水筒と葡萄酒と背負い鞄を買い、さくっと準備を整えて都を出た。日帰りの予定だから、火打ち石は購入したが松明は要らないだろう。


 川を渡れば、右に麦畑が広がり、左には遠くに森が見える。悪しきモノは森にいることが多い。だからラウドの足は、自然に森が見える方へと向かっていた。


 両側から木の枝が時々影を作る起伏のある小道を、てくてくと歩く。麗らかな春の日は、歩くのに丁度良い。そう思いながら歩いているラウドの耳に、不意に、風に乗って小さな泣き声が入ってきた。


 くるりと、慎重に辺りを見回す。道の傍を流れる小川の向こうに、えぐられたばかりの一筋の地肌を見せる小さな崖と、その下に蹲る小さな影を認めるなり、ラウドはバシャバシャと小川を渡り、泣いている小さな子供を抱き上げた。


「大丈夫か?」


 子供に声を掛けつつ、ラウドが習得している三つの魔法の内の一つ、回復の魔法を掛ける。ラウドが騎士団長を務めている古き国の騎士団の一つ狼団では、レベル1の回復魔法は習得必須である。レベル1でも、有るのと無いのでは大いに違う。少しの油断が命取りになることもあるのだ。しかしレベル1では間に合わないことも、多々有る。


「家は、どこだ?」


 とりあえず、子供の怪我はたいしたことは無い。温める為に自分のマントで子供の小さな身体を包みながら、ほっと息を吐く。だが、まだ小さい子供だから、家に帰した方が落ち着くだろう。ラウドの問いに、しかし子供は嫌々と首を横に振った。家が、無いのだろうか? そっと、辺りを見回す。綺麗に編まれた小さな籠と、そこから転がり落ちて潰れている卵が見え、ラウドははたと納得した。


「大丈夫。怒られないから。一緒に帰って謝ってあげるから」


 それでも何度も首を横に振る子供を抱えたまま、ラウドは小川の上流へと歩を進めた。下流にあるのは都だから、おそらく子供は母親か誰かに頼まれて都へと卵を売りに行く途中だったのだろう。ラウドの予想はうまく当たった。しばらく歩くと、小さな集落が見えてきた。


 その集落の、鶏が庭を歩いている家に、声を掛ける。家から出てきた女性は、ラウドが抱えていた泥に汚れた子供を見るなりわっと叫んで子供にむしゃぶりついた。


「ごめんなさい、卵、落と」


「大丈夫? 痛いところ無い? 無事で良かった」


 しょんぼりした子供の声に母親らしい優しい声が被る。その親子の声に、ラウドは自分の母親のことを思い出し、そっと左のこめかみに手を当てた。小さい頃、誰かに酷く殴られて気を失った時、目覚めたらすぐ側に母親の泣き顔があった。そして母は、ラウドを抱き締めてずっと泣いていた。常に厳しく冷静だった母の泣き顔を見たのは、この時だけ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る