現状と過去
「……さて」
新しき国の都にある、騎士用の宿泊所。あてがわれた小さな一室で、ラウドは深く溜息をついた。
「これから、どうするか」
確認するように、部屋を見回す。夕刻の茜色に染まった部屋にある物は、硬そうなベッドと、ラウドが腰掛けている服を入れる為の長櫃のみ。長櫃の中身が空であることは、先程確かめた。階下に台所があったから、食料はもらえるだろう。武器と服は、支給されるのだろうか? レーヴェが急かすので、ラウドが持っていた武器や荷物は全て従者と共にあの木の根元に置いて来ざるを得なかった。支給されないのであれば、下着の裾に縫い込んである金貨を使って買いに行かなければならない。窓から見える、傾斜した街並みにとその先にある川面に、ラウドは思わず目を細めた。話に聞いた通り、新しき国の都は、一面だけが緩く傾斜した丘の上に立てられている。丘の頂上に、分厚い盾壁と底に木杭を打った空濠に囲まれた王宮があり、緩く傾斜した部分に街が作られている。街はしっかりとした歩廊付きの城壁で囲まれているし、丘全体が川と人工の堀とで囲まれている。王宮の裏側には峻険な崖と深い堀があるから、一度籠城されると攻めるのは大変そうだ。ラウドはそんなことを考えていた。この都を攻めるのなら、裏切りを誘発する必要がある。そこまで考えて、ラウドは自分のばかばかしさに思わず笑った。古き国と新しき国との戦いは、終わったのだ。今更、この都を攻める術を考えても詮無きこと。今は、それよりも。
徐に、褪せた赤色の上着を脱ぐ。服の裾を解くと、黒銀色をした楕円形の平たく硬い物が、ラウドの手に幾つか落ちた。
古き国の騎士達が必ず携えるよう定められている『記録片』。この石を持つ騎士の行動は逐一、古き国の王宮の地下にある図書館内の書物に自動で記される。しかし古き国の騎士達がこの記録片を持っている理由は、行動を記録し不正を防ぐ為ではない。記録片は、古き国の騎士達が持つ、「過去や未来に『飛ぶ』能力」を抑える為に必要なのだ。思わぬ時に自分と繋がりがある人物が居る過去や未来の、今自分が居るのと同じ場所に飛ばされるのは、自分の身が危ない時にはその危険から逃れることができるので便利だが、歴史や未来を改変してしまう可能性がある。いや、この『能力』の所為で実際に歴史は改変されてしまった。だからこそ滅びるはずだった古き国は地下に隠れ、ラウドはレーヴェに殺されずに今この場所でのんびりできるのだが。歴史を変えた張本人である、もじゃもじゃの赤い髪をした少年の真っ直ぐな瞳を思い出し、ラウドは仕方が無いという笑みを浮かべた。ともかく、この記録片は、古き国の騎士達にとって無くてはならぬ物だ。特に、少年の頃から記録片が身に付かず、しばしば未来に『飛んで』しまっているラウドにとっては。現に、結婚式を挙げたばかりの妻のアリがマントにも上着にも鞄にも記録片を丁寧に数多く縫い込んでくれたにも拘わらず、マントは部下の従者の身体を包むのに使ってしまったし、鞄も置いてきてしまっている。残っているのは、上着に縫い込まれた分だけ。大切に使わねば。裾に縫い込まれた記録片を全て外しながら、ラウドは溜息ともつかぬ息を吐いた。
アリに、会いたい。唐突に、思う。逢って再びこの腕で、細身のラウドよりも更に華奢なあの身体を抱き締めることができる日は、来るのだろうか? 常に頭巾できっちり包まれている、あの白金色の艶やかな髪を撫でることは? らしくない不安に駆られ、ラウドは首を横に振った。
と。
「制服を、持ってきた」
ノックの音と共に、ラウドをこの部屋に案内してくれたレーヴェに仕える騎士団長が現れる。中年で何処か得体の知れないこの騎士団長を、ラウドは信頼できるとみていた。だから、でもないのだが。
「ありがとうございます」
きちんと一礼して、新しき国の騎士団の制服である白い上着と青いマントを受け取る。顔を上げると、騎士団長の後ろにまだ若い騎士が二人居るのが見えた。次の瞬間。若い騎士の一人が、いきなりラウドに殴りかかる。拳が頬に当たる寸前で、ラウドはついとその攻撃を避けた。
「何をする!」
騎士団長が、ラウドと若い騎士の間に割って入る。止められた若い騎士は、ラウドに激怒した目を向けた。
「こいつは、仲間を無残に殺した!」
騎士の言葉に、息が詰まる。確かに、戦場でラウドは多くの新しき国の騎士を殺した。策略を用いて、騎士達を罠に落としたことも何度かある。……もう負けが分かっているのに、騎士達を激怒させ、騎士達が渡っていた吊り橋を切り落として多くの命を川に落としたことも。戦争だから、仕方が無い。そう、言えるのかもしれない。だが、理性と感情は、別の物だ。だから。騎士団長の制止を聞かず再びラウドに向かってきた拳を、ラウドは今度はまともに頬に受けた。
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